宝石の小枝
25
噂はとうに一人歩きを始めていた。週刊誌に書かれている以上のことを生徒たちは口にしたし、特待生の醜聞もネット上にまで広がっている。講師陣や学園長に掛け合って、可能な範囲で正しい内部資料を公開できないかも検討したが、もはや打ち消すべき噂が何なのかさえ絞れない。
エメ☆カレは特待生についての噂を信じているようだった。そうでありながら、特待生が後ろめたさを抱かないように気遣いの言葉をかけてくれた。「さいわい、グラン・ユーフォリアの準備のために空けておいたスケジュールは仕事で埋めることができたんだ」「回り道してないで、さっさと自分の夢を果たしなさいな」
MAISYは特待生の噂に関しては全否定したが、同時にグラン・ユーフォリアへの参加にも難色を示した。仮に開催しても、宝石が丘の権威を取り戻すどころではないと訴えた。「話題にはなるかもしれない、けどそれは、当初目指していたような形なんですか?」「成功したところで特待生は裏切り者扱い、宝石が丘はていよく利用された時代遅れの名門校ってとこだ」
砂上の楼閣という言葉が胸に浮かぶ。土台が砂なのか、そもそも築き上げた城が砂でできていたのかもしれない。背負うものの重さに奮起していた昨日までが懐かしく思えるほど、特待生の心は空虚で、地球の重力が少し弱まったのではと感じるほど、足がふわふわおぼつかない。ぼーっと校舎の外を眺めていると、校庭の木立に佇む荒木の姿が見えた。今朝の時点では寮にいなかったが出張から戻ったのか。ひとまずここまでの報告と、可能なら相談もしたい。窓から直接外に出られないのをもどかしく感じながら、特待生は急ぎ足で昇降口を経由してグラウンド方面に出た。荒木はスマートフォンを耳に当て、通話中のようだった。
「ええ、はい。そうですね。引き続き書いてもらえれば。……お礼の件は……また追って連絡します。助かってますよ、それじゃ」
通話が終わったタイミングを見計らって「荒木先生!」と声をかけると、彼は少し芝居がかりすぎというくらい大げさに驚いた。
「うおっと! 特待生か。どうだ、ちょっとばかし風向きが変わってきた~なんて話も聞くが、お前のことだ、諦めてないよな?」
覗き込むような笑みを浮かべられて反射的に笑顔を浮かべ「もちろんです」と答えていた。荒木のあっけらかんとした対応が、本当は弱音を吐いて泣きつきたいという特待生の腹の中を暴いているようで、その醜い感情をとっさに隠した。自分は期待に応えなくてはいけない、見損なわれるわけにいかないのだ。
「おーい、特待生!」
少し離れたところから知った声が聞こえる。
「特待生、ちょっといいか……って、冴さんも。すみません、話し中でしたか」
千紘がこちらにやって来るのが見える。荒木を見て特待生への用向きをためらったようだが「こっちの話はもう終わったぞ」と荒木自身が宣言し、そこで会話は打ち切りになった。
千紘に連れられレッスン室へと向かう。葵と百瀬の姿もあった。
「特待生、来たか。見ろ、最盛期のグラン・ユーフォリアの会場図面が見つかった」
「これを見る限り、現在の講堂があるあたりに野外ステージがあったみたいなんだよな。そんな話は聞いたことがないが……」
ここに連れてこられる時点で、用件はグラン・ユーフォリアの参加意思に関してのものだと身構えていただけに、図面を睨む葵と千紘を見て特待生はぽかんと口を開けてしまった。
「ん~? どうしたの、特待生ちゃん。ま、想像はつくけどね。例の噂でしょ?」
百瀬の声で、一瞬で懸案に引き戻される。
「おかしいと思ってたんだよね~。男子しかいない宝石が丘を受験する女の子なんて、キャベツ畑を信じてるピュアガールか、野心満々のダークヒロインのどちらかじゃない?」
あ、それ今言っちゃうんだと胸の内で呟いた。三ヶ月前に一人きり、真っ暗闇に突き落とされて、いまやどうでもよくなった話題を出してくるなんて。百瀬の小憎らしい笑みが、なんだか少しいとおしく思える。
「櫻井先輩こそ、どうして実質男子校に三年間も通うことを決めたんでしょうね?」
わざとらしく首を傾げると、珍しく百瀬の顔が引きつった。普段やり込められてばかりなだけに、してやったりの含み笑いが止められない。近頃、この応酬が少しだけ楽しくなってきたなんて、口が裂けても言わないけれど。
「相変わらず可愛げがないねー」
「自覚してまーす」
「……そのへんにしておけ」
火花散る二人の間に、千紘が割って入る。
「特待生、噂の真偽はどうでもいいとまでは言わないが、重要なのは噂を立てられたそのこと自体だ。なぜか? お前に隙があるからだよ」
「今のお前は二重に情けない。碌でもない噂をばらまかれ、さらにそれに踊らされている。無実だろうが事実だろうが毅然としていろ。それができんなら学園をまとめるなんて到底無理だ、グラン・ユーフォリアも諦めろ」
悔しいが彼らの言うことには一理ある。レッスン室の大きな鏡に映る自分の姿を見て、この人物に学園と自分自身の命運を預けたいと思えるか。否、としか言えない。Prid'sが探し出してくれた会場図面のコピーを受け取って、レッスン室を出た。
潔白は自分の力で証明しろ。似たようなことを椿や蓮、七緒にも言われた。蛍は過去のグラン・ユーフォリア調査にのめり込んでいるようだった。
「――ウソだ! そんなのウソだよ!」
日没近くに戻った寮のエントランス付近で、聞き覚えのある声を耳にする。真に迫った響きから演技の練習中かと思ったが、続く会話にそれらが現実の話であると知る。
「落ち着いて、祭利。噂がウソかなんて僕たちにはわからないんだよ……」
「巴くんの言うとおり、俺たちにできるのは嘘だと信じることだけです」
「ミー先輩も零先輩も、なんでそんなに冷静でいられるの……!?」
「祭利、泣くのは特待生に話を聞いてからにしよう? 俺は特待生を信じてるよー」
すぐ近くまで自分が迫っているのに、よほどヒートアップしているのか、あるいは自分の覇気とか気配だとかいうものが完全に失われているのか。苦笑しながら「祭利くん」と声をかけた。パールの面々が驚いてこちらを振り返る。
「あ、特待生ちゃん。ねえ、どういうことなの。あの噂……」
「特待生さんのウソつき、裏切り者! グラン・ユーフォリアなんかどうでもよかったんじゃないか。僕たちの力なんて、いらなかったんじゃないか!」
激高する祭利は、巴の問いかけを遮って怒声を上げた。
「祭利くん、それが本当だと決まったわけじゃないんですよ……」
身体ごと揺らぐような勢いで祭利は激しく首を振り、零の制止をも振り切る。
「全力で特待生さんに協力してたのに……僕だけじゃない。零先輩も杏先輩も、ミー先輩も……兄貴も! みんなを利用して、自分が有名になりたかったの?」
視線も声も感情も、特待生を真っ直ぐに突き刺す。その涙は逃げるための道具ではない。教室の生徒全員から浴びる曖昧な態度より、ずっと特待生の奥深くに届く。なんて心を打つ涙なのだろう。特待生の空っぽの胸に、言いようのない熱が満ちる。ひどく純粋で、それゆえに深く傷ついて、混じりけのない悲しみや怒りを表明する姿が本当に美しい。ぶつけられるのが罵倒の言葉であってもいい。やっぱり私はこういう祭利くんが羨ましくて、尊くて、大好きだなと思う。口元は自然と笑みをたたえていたが、それが祭利の癇に障ったらしい。
「グラン・ユーフォリアなんて失敗しちゃえ!」
茜色の夕空にこだまする声を残して、祭利は走り去っていった。
「ああ、あかりさん。すみません、ご心配をお掛けするような事態になってしまって」
週に一度の定期報告とは別に電話がかかってくるのは初めてのことだ。大事な娘の身体を奪った相手を案じるなんて、特待生のほうがいたたまれなくなってくる。自室内を落ち着きなく歩き回りながら、電話で伝わりようもない仕草や表情までに平静さを装わせて通話を続けた。
「はい、大丈夫です。……あはは、根も葉もない話がここまで広まるなんて貴重な体験です……ありがとうございます。はい、おやすみなさい」
液晶に表示された通話時間は四分と少し。性急すぎずコンパクトに話をまとめられたのではないだろうか。机に両手をついて、肺の空気すべてを吐き出した。
「ねえ、ひかりちゃんならどうする?」
ユニットバスの洗面台に立って、鏡に問いかける。存在自体がないものとなった特待生には、当然ながら以前の写真は残っていない。身支度で鏡を覗くたび、ふと水たまりに映りこむ姿を見るたびに、そこいる少女を自分と認識しつつある。他人の名前を名乗るたびに、自身が何者であるか忘れそうになる。
『多重人格とは考えられないか?』
少しだけ、その言葉に頷きそうになる自分がいる。ひどく心細く恐ろしい。
『凝ったことを仕組む必要なんかなかったのになあ?』
祭利のように、裏切られた怒りや失望をぶつけてくれればよかったのにと思う。信用に値しない自分が嫌で、信頼を得られないことがとても悲しい。
エメ☆カレは特待生についての噂を信じているようだった。そうでありながら、特待生が後ろめたさを抱かないように気遣いの言葉をかけてくれた。「さいわい、グラン・ユーフォリアの準備のために空けておいたスケジュールは仕事で埋めることができたんだ」「回り道してないで、さっさと自分の夢を果たしなさいな」
MAISYは特待生の噂に関しては全否定したが、同時にグラン・ユーフォリアへの参加にも難色を示した。仮に開催しても、宝石が丘の権威を取り戻すどころではないと訴えた。「話題にはなるかもしれない、けどそれは、当初目指していたような形なんですか?」「成功したところで特待生は裏切り者扱い、宝石が丘はていよく利用された時代遅れの名門校ってとこだ」
砂上の楼閣という言葉が胸に浮かぶ。土台が砂なのか、そもそも築き上げた城が砂でできていたのかもしれない。背負うものの重さに奮起していた昨日までが懐かしく思えるほど、特待生の心は空虚で、地球の重力が少し弱まったのではと感じるほど、足がふわふわおぼつかない。ぼーっと校舎の外を眺めていると、校庭の木立に佇む荒木の姿が見えた。今朝の時点では寮にいなかったが出張から戻ったのか。ひとまずここまでの報告と、可能なら相談もしたい。窓から直接外に出られないのをもどかしく感じながら、特待生は急ぎ足で昇降口を経由してグラウンド方面に出た。荒木はスマートフォンを耳に当て、通話中のようだった。
「ええ、はい。そうですね。引き続き書いてもらえれば。……お礼の件は……また追って連絡します。助かってますよ、それじゃ」
通話が終わったタイミングを見計らって「荒木先生!」と声をかけると、彼は少し芝居がかりすぎというくらい大げさに驚いた。
「うおっと! 特待生か。どうだ、ちょっとばかし風向きが変わってきた~なんて話も聞くが、お前のことだ、諦めてないよな?」
覗き込むような笑みを浮かべられて反射的に笑顔を浮かべ「もちろんです」と答えていた。荒木のあっけらかんとした対応が、本当は弱音を吐いて泣きつきたいという特待生の腹の中を暴いているようで、その醜い感情をとっさに隠した。自分は期待に応えなくてはいけない、見損なわれるわけにいかないのだ。
「おーい、特待生!」
少し離れたところから知った声が聞こえる。
「特待生、ちょっといいか……って、冴さんも。すみません、話し中でしたか」
千紘がこちらにやって来るのが見える。荒木を見て特待生への用向きをためらったようだが「こっちの話はもう終わったぞ」と荒木自身が宣言し、そこで会話は打ち切りになった。
千紘に連れられレッスン室へと向かう。葵と百瀬の姿もあった。
「特待生、来たか。見ろ、最盛期のグラン・ユーフォリアの会場図面が見つかった」
「これを見る限り、現在の講堂があるあたりに野外ステージがあったみたいなんだよな。そんな話は聞いたことがないが……」
ここに連れてこられる時点で、用件はグラン・ユーフォリアの参加意思に関してのものだと身構えていただけに、図面を睨む葵と千紘を見て特待生はぽかんと口を開けてしまった。
「ん~? どうしたの、特待生ちゃん。ま、想像はつくけどね。例の噂でしょ?」
百瀬の声で、一瞬で懸案に引き戻される。
「おかしいと思ってたんだよね~。男子しかいない宝石が丘を受験する女の子なんて、キャベツ畑を信じてるピュアガールか、野心満々のダークヒロインのどちらかじゃない?」
あ、それ今言っちゃうんだと胸の内で呟いた。三ヶ月前に一人きり、真っ暗闇に突き落とされて、いまやどうでもよくなった話題を出してくるなんて。百瀬の小憎らしい笑みが、なんだか少しいとおしく思える。
「櫻井先輩こそ、どうして実質男子校に三年間も通うことを決めたんでしょうね?」
わざとらしく首を傾げると、珍しく百瀬の顔が引きつった。普段やり込められてばかりなだけに、してやったりの含み笑いが止められない。近頃、この応酬が少しだけ楽しくなってきたなんて、口が裂けても言わないけれど。
「相変わらず可愛げがないねー」
「自覚してまーす」
「……そのへんにしておけ」
火花散る二人の間に、千紘が割って入る。
「特待生、噂の真偽はどうでもいいとまでは言わないが、重要なのは噂を立てられたそのこと自体だ。なぜか? お前に隙があるからだよ」
「今のお前は二重に情けない。碌でもない噂をばらまかれ、さらにそれに踊らされている。無実だろうが事実だろうが毅然としていろ。それができんなら学園をまとめるなんて到底無理だ、グラン・ユーフォリアも諦めろ」
悔しいが彼らの言うことには一理ある。レッスン室の大きな鏡に映る自分の姿を見て、この人物に学園と自分自身の命運を預けたいと思えるか。否、としか言えない。Prid'sが探し出してくれた会場図面のコピーを受け取って、レッスン室を出た。
潔白は自分の力で証明しろ。似たようなことを椿や蓮、七緒にも言われた。蛍は過去のグラン・ユーフォリア調査にのめり込んでいるようだった。
「――ウソだ! そんなのウソだよ!」
日没近くに戻った寮のエントランス付近で、聞き覚えのある声を耳にする。真に迫った響きから演技の練習中かと思ったが、続く会話にそれらが現実の話であると知る。
「落ち着いて、祭利。噂がウソかなんて僕たちにはわからないんだよ……」
「巴くんの言うとおり、俺たちにできるのは嘘だと信じることだけです」
「ミー先輩も零先輩も、なんでそんなに冷静でいられるの……!?」
「祭利、泣くのは特待生に話を聞いてからにしよう? 俺は特待生を信じてるよー」
すぐ近くまで自分が迫っているのに、よほどヒートアップしているのか、あるいは自分の覇気とか気配だとかいうものが完全に失われているのか。苦笑しながら「祭利くん」と声をかけた。パールの面々が驚いてこちらを振り返る。
「あ、特待生ちゃん。ねえ、どういうことなの。あの噂……」
「特待生さんのウソつき、裏切り者! グラン・ユーフォリアなんかどうでもよかったんじゃないか。僕たちの力なんて、いらなかったんじゃないか!」
激高する祭利は、巴の問いかけを遮って怒声を上げた。
「祭利くん、それが本当だと決まったわけじゃないんですよ……」
身体ごと揺らぐような勢いで祭利は激しく首を振り、零の制止をも振り切る。
「全力で特待生さんに協力してたのに……僕だけじゃない。零先輩も杏先輩も、ミー先輩も……兄貴も! みんなを利用して、自分が有名になりたかったの?」
視線も声も感情も、特待生を真っ直ぐに突き刺す。その涙は逃げるための道具ではない。教室の生徒全員から浴びる曖昧な態度より、ずっと特待生の奥深くに届く。なんて心を打つ涙なのだろう。特待生の空っぽの胸に、言いようのない熱が満ちる。ひどく純粋で、それゆえに深く傷ついて、混じりけのない悲しみや怒りを表明する姿が本当に美しい。ぶつけられるのが罵倒の言葉であってもいい。やっぱり私はこういう祭利くんが羨ましくて、尊くて、大好きだなと思う。口元は自然と笑みをたたえていたが、それが祭利の癇に障ったらしい。
「グラン・ユーフォリアなんて失敗しちゃえ!」
茜色の夕空にこだまする声を残して、祭利は走り去っていった。
「ああ、あかりさん。すみません、ご心配をお掛けするような事態になってしまって」
週に一度の定期報告とは別に電話がかかってくるのは初めてのことだ。大事な娘の身体を奪った相手を案じるなんて、特待生のほうがいたたまれなくなってくる。自室内を落ち着きなく歩き回りながら、電話で伝わりようもない仕草や表情までに平静さを装わせて通話を続けた。
「はい、大丈夫です。……あはは、根も葉もない話がここまで広まるなんて貴重な体験です……ありがとうございます。はい、おやすみなさい」
液晶に表示された通話時間は四分と少し。性急すぎずコンパクトに話をまとめられたのではないだろうか。机に両手をついて、肺の空気すべてを吐き出した。
「ねえ、ひかりちゃんならどうする?」
ユニットバスの洗面台に立って、鏡に問いかける。存在自体がないものとなった特待生には、当然ながら以前の写真は残っていない。身支度で鏡を覗くたび、ふと水たまりに映りこむ姿を見るたびに、そこいる少女を自分と認識しつつある。他人の名前を名乗るたびに、自身が何者であるか忘れそうになる。
『多重人格とは考えられないか?』
少しだけ、その言葉に頷きそうになる自分がいる。ひどく心細く恐ろしい。
『凝ったことを仕組む必要なんかなかったのになあ?』
祭利のように、裏切られた怒りや失望をぶつけてくれればよかったのにと思う。信用に値しない自分が嫌で、信頼を得られないことがとても悲しい。
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