宝石の小枝
24
「荒木先生、やりました! ……あ、まだまだ本番まで気を抜けないですけど」
ついに学園公認ユニットすべての合意を取り付けた。必ずしもグラン・ユーフォリアの成功を保証するものではないが、開催に必要な条件をクリアしたことは確かだ。作業部屋として借りている校舎の一室で資料の山に埋もれた特待生は、癒し系ユニット〝パール(仮称)〟の励ましを受け、元気を取り戻している。
「あー……言ってることと、この状況がいまいち一致しないんだが……」
「それぞれのメンバーを一番光らせる演出をしたいんです!」
特待生は頬を紅潮させながら資料の内容について力説する。彼女自身がかき集めた脚本や譜面、映像資料の他、学内サイトで生徒たちからおすすめされたアイデアも山ほどある。
たとえば一口に〝華やかで品格がある〟といっても、椿と陽人ではニュアンスが全く異なる。椿はピリピリと張り詰めるような空気感で、華奢な身体からは想像もつかない存在力を発揮するし、陽人はきらびやかな演出にかすむどころか、まばゆさを味方につけて映える。MAISYはなるべく観客との距離感を近くしたい。手で触れられそうな〝友情〟や〝絆〟を感じてほしい。Re:Flyは照明を工夫し、演出もあえて慎ましくしたほうが官能的に響くだろう。
「エンディングは出演者全員の歌唱とダンスで締める予定なんです。きらっきらの宝石箱のイメージで。宝石からビームが溢れ出て劇場を埋め尽くしちゃうみたいな!」
「わかったわかった。わかったからまずは落ち着け」
ふんすふんすと息巻く特待生のテンションに、荒木は若干引き気味である。手のひらをかざして落ち着くよう促した。
「いいか、お前自身が浮かれまくっているようじゃ原石どもはまとめきれねーぞ」
「承知しています。発散と収束、は意識します」
特待生は悪びれず、にっこり微笑んだ。
「……それならいいが」
半信半疑の表情で荒木が頭を掻いていると、スーツのポケットから着信音が鳴り響く。液晶の表示名を確認すると、彼はふんと鼻を鳴らした。
「仕事の電話だ。悪りぃけどまた今度聞かせてくれ」
「はい! 最高の公演を先生にもお届けできるよう、頑張ります!」
頷きながら荒木が教室を出ていく。彼が宿す目の光にはどことなく違和感があったが、いまはそれどころではない。予定されているミーティングまでに内容を吟味すべく、特待生は腕まくりして資料の山に意識を戻した。
ミーティング会場に指定された教室には、出演者である各ユニットメンバーの他、我こそはとアイデアを持ち寄った生徒たちもいて、ガヤガヤごった返している。特待生はたまに各人の席に足を運びながら、基本的には議長役として教壇でその様子を窺っていた。
「最新の情報には常にアンテナを張り巡らせて……」
「いま流行ってるものっていったらさ……」
「この前行った推しのイベントで面白い企画があって……」
それぞれが思い入れを持って挑むミーティング。演目を決める中で、各人の主張が絶えず湧き上がり騒がしくなってきた。少し気になるのは、即物的な受け狙いに走ってしまわないかということだ。訴求力と呼べば聞こえがいいが、グラン・ユーフォリア成功への熱意が空回りしかけているようにも感じる。たぶん今は発散のフェーズにいる。結構なことだが、いかんせん人数もアイデアも多すぎるのだ。船頭多くして船山に上る。場の空気がいったん落ち着くタイミングを見計らって、特待生は切り出した。
「えっと……少しだけ私から、いいですか?」
手持ちのPC画面をこの場の全員に見えるようにスクリーンに映し、即興のプレゼンテーションを行う。
「いかにしてグラン・ユーフォリアが断絶したのか、今一度そこに立ち返ってみたいんです。二十年前というと……まだ皆さんが生まれる前ですね。ああ、そういえば失われた二十年という言葉はご存知ですか」
会話と並行してキーボードを弾き、適当なキーワードで検索を行いながら二十年前の空気を示すような情報をザッピングしていく。一九九〇年代前半、日本でバブルが崩壊した。それまで二十年近く続いた高度経済成長期はここに終焉を迎える。けれど不景気は一時的なもので、再び明るく騒がしい日常が戻るのだと大多数が信じて疑わなかった。
「バブル崩壊、その後数年の中でもとりわけ知られている事柄を挙げてみます」
〝一九九五.〇一.一七 阪神・淡路大震災〟
〝一九九五.〇三.二〇 地下鉄サリン事件〟
〝二〇〇一.〇九.一一 同時多発テロ事件〟
その日を想起させる映像と文章がスクリーンに次々と映し出される。日本が、世界が、掴みようのない不安に呑まれていった。もはや華々しい日々が戻ってくることはないのだと人々が認識しはじめた。教科書でしか知らなかった〝かの事件をきっかけに戦争が勃発〟という構図が、厳然たる事実として目の前にあった。
「直接被害に遭われた方たちの悲しみには、言葉もありません。リアルタイムで映像を見て、ショックに身がすくんだ方々。フェイクニュースに違いない、たちの悪い冗談だと思いたい方も多かったことでしょう」
特待生は、時代に鬱々とした淀みを感じ取りながらも、結局はそれらを自分の外に置いていた。学業、友人関係、恋愛、就職活動、仕事……世界を憂えるよりも目の前のことに精一杯だった。今となれば、あの頃の自分の愚かさに泣けてくる。時間は戻らない。
「そしてこの頃、グラン・ユーフォリアも断絶……私は寡聞にして存じ上げませんでしたが。きっとそういうことが日本のそこかしこであって」
いったんキーボードから手を離し、特待生は教壇から全員を見渡した。
「あの頃からずっと晴れない、漠然とそびえる不安や喪失感……。グラン・ユーフォリアを復興させるからにはそういう闇を吹き飛ばしたいです。単体で世界を変えることはできないにしても、参加者全員に熱さや希望が伝わったらいいなって。きらめきを届けたいです。ここにいる皆さんならできるって思えるんです。輝きを見せつけてやりましょう!」
あれほど騒がしかった会議室は、いつの間にかしんと静まり返っていた。
「あ……えっとそれで、そういう視点で楽曲や脚本を選んでいきたいのですが」
当初は、意見を収束させる一つの柱について提案するはずだったのが、思いのほか一人語りになってしまった。場のテンションを保つ難しさを痛感しつつ、こわごわと反応を伺う。
「――そういうこと、なんで先に言わないの?」
椿が呆れ顔でこちらを見ている。
「おう、いまので脚本のイメージ浮かんできたぜ!」
「上等だ、やってやる」
「うおお、燃えてきた!」
再び騒がしさを取り戻した教室だったが、それらの声は芯を持っており一体感がある。
壁が立ちはだかっても、傷が痛んでも、声を合わせて進んでいこう。
テーマが決まると、嘘みたいにするするとミーティングは進んでいく。思い描くイメージを全員で統一したのは効果的だった。
「心の脚本、最初から完成度高かったのに、アドリブでどんどん良くなってく」
「公演の一日だけ借りられても本番はできないですよね。予算をなんとか取り付けて、リハを何回できるか検討しましょう」
「歌詞がついてないデモテープも多いんだな。このメロディはエンディングのイメージ通りじゃないか?」
噛み合った歯車が来たるべき日に向けて回りはじめる。この先にあるのはきらめきに満ちた未来だと、特待生も信じて疑わなかった。
いつもの朝。特待生は寝不足でぼんやりした頭のまま、校舎へと歩いていた。疲れ目で視界がぼやけているが、前方にわかりやすい人影を見つける。「ミーちゃん、おはよう!」ふわふわのロングヘアがかわいらしい友人に朝一番のあいさつをした。
「あ、特待生ちゃん。おはよう!」
呼びかけに振り向いて巴があいさつを返してくれる。そこには同じユニットの杏、零、祭利も勢揃いしていた。
「おはようございます。あれ、朝からユニットでミーティングでもしたんですか?」
「ううん。なんかねー、この先に、マスコミがいるんだよー」
杏が珍しくトーンダウンした声で話す。学園にマスコミが出入りするのは、そこまで珍しいことではない。ただ、授業の妨げにならぬよう、あらかじめセッティングされた取材を校舎内で受けることがほとんどだ。
「じゃあそれって、突撃ってことですか……?」
「たぶん、ねー」
杏が物憂げな視線を正門の方へ向ける。
「あっちに別の門があるから、そこから入ろうよ特待生ちゃん」
「それがいいですね。祭利くんは、中等部の校舎まで俺が送ります」
何か聞かれても絶対に答えないようにと零から念を押され、特待生は杏や巴と一緒に校舎へ向かった。遠回りしてたどり着いた一-Cの教室はざわついていた。生徒のうち何人かがスマートフォンを取り出して、画面を見せ合いながら会話している。彼らに倣い、特待生も宝石が丘について直近の情報を検索する。目的の情報には簡単にたどり着くことができた。
宝石が丘学園にまつわる不祥事の数々をスクープしたという週刊誌の記事がネット上で拡散している。裏金、買収、癒着……不正のオンパレードを語る文言であふれた画面に、特待生は顔をしかめた。午前の授業中はいつもと明らかに様子が違っていた。うわの空の生徒も多く、講師が叱咤するもそれが上滑りしているような状況。
昼休みになり、特待生は体育用の運動靴に履き替えて学園外のコンビニまで週刊誌を買い求めに走った。記事と前方とを交互に見ながら、帰り道を駆け上る。スクープを売りにする週刊誌など美容室で稀に手に取るくらいしかないが、その内容はひどいものだった。
確かなソースもなく、憶測はさも事実のように捻じ曲げられ、低俗な興味関心に応える感情的な書きっぷり。愛着も湧きはじめたこの学園を、無責任な興味と正義感で殴りつける言葉の数々に吐き気がする。憤懣やるかたない思いで、午後の授業開始ギリギリに教室に滑り込むとクラスメイトたちがなんとも言えぬ顔でこちらを見ている。自分まで雰囲気に踊らされては駄目だと、大きく息を吐いて険しい表情をリセットした。
すっきりしないまま放課後を迎え、資料の詰まった作業部屋へ向かおうとしたところで、レッスン室に集合していたHot-Bloodに呼び止められた。
「特待生ちゃん。この騒ぎ、もう何か聞いてる?」
霞の問いかけに特待生は頷き、週刊誌を取り出しながらネット上で見聞きしたことを話す。
「そっか、こっちも似たり寄ったりってとこだよ」
情報通の霞も、ネットの扱いに長けた蓮も、手にした情報は特待生とほぼ同じ。ただ、彼らはそこから導き出されるものを掴んでいた。
「この雑誌、あることないこと書くので有名なんだよ。ガセってわかってて書いてるようにも見える。なら、そこまでするメリットは一体何なのか考えてみたんだ」
「時期的に、宝石が丘を叩く狙いは一つしかねえな」
「うむ。グラン・ユーフォリア……でござる」
すうっと、血の気が引いていくのを感じる。
「そんな……意味がわかりません。グラン・ユーフォリアに妨害を加えるってことですか? どこに、なんのためにそんなことをするメリットが……」
「そこまではわからない。でも可能性は十分にあり得るんだよ、この業界では」
椿が視線を床に落としたまま、吐き捨てるように言った。
「ひどいひともいるもんだね。でも安心してね、オレたちは特待生ちゃんの味方だから!」
「何かあれば言うでござるよ。できることはしよう」
「とにかく練習あるのみだ。こんなつまんない妨害に負けちゃダメだよ」
えいえいおー!と央太が気勢を上げて、Hot-Bloodの練習が始まる。特待生は一礼してレッスン室をあとにした。彼らの話を聞くまでは、学園への理不尽な仕打ちに対する怒りで燃えていたはずだ。噂に目的があり攻撃対象があるなどとは考えてもいなかった。その矛先が自分のすぐ近くまで向いていることも。急激に重くなった足取りで廊下を進む。収録室の前を通るとよく知った声が漏れ聞こえて、特待生はドアをノックした。「はいはいーっと。あっ、噂をすれば特待生ちゃん!」出迎えた志朗は特待生を目にするなり、開口一番そう言った。
「次ここで練習? オレたち、もう終わるからちょい待ってね」
レッスン室を覗き込むと、Re:Flyのメンバー全員がそこにいる。
「おやおや? 話題のヒロインのお出ましだ」
「聞いたよ、例の話。オレらをだます必要なんかなかったのに」
聞き捨てならない帝と志朗の言葉に、一瞬にして緊張が走った。
「えっと……。なんの、お話でしょうか?」
口の端だけ精一杯持ち上げて、首を傾げてみせる。
「特待生にとってグラン・ユーフォリアは踏み台で、最終目的はこの機会に声優界で有名になることだったんだね。べつにいいけど」
「……え?」
べつによくないですよぉ。七緒のタハハ笑いを真似て茶化そうとしたのに、口を動かすことができなかった。さきほどHot-Bloodがメンバー間で認識を共有していたように、ここにいるRe:Flyの全員が、宙と同じ認識でいるのが感じ取れた。
「お前の目的がなんであろうとグラン・ユーフォリアは動き出している。俺たちも協力する意思は変わらない」
「ええ、気に病むことはありませんよ。表と裏があってこそ人、私としてはこの流れ、嫌いじゃありません」
「いやー、オレは割とショックだったけどさ。考えてみたらグラン・ユーフォリアを再現すること自体が楽しみだったわけじゃん?」
「よかった……志朗もショックは受けてたんだ。うん、たしかにそうだね」
「まあ俺たちは粛々と練習を続けるが、仮に公演が失敗したところで君は名を売れるってわけか。コスパ的にも考えられた壮大かつゲスな夢だな!」
次々に浴びせられる言葉はちゃんと特待生の耳に届いている。反応しなければと思いつめるほどに喉が締め上げられて、何も口にできぬまま特待生は立ち尽くした。自分はいまどんな顔をしているのだろうと目線だけ動かせば、コントロールルームのガラス面に半笑いの顔が映り込んでいる。その間に荷物をまとめ終えたRe:Flyメンバーは、軽いあいさつとともにあっさり特待生の脇を通り過ぎていった。
「やれやれ……最初から凝ったことを仕組む必要なんてなかったのになあ?」
去り際、帝が笑いながらそう言った。彼の示唆したことを瞬時に理解する。瞳孔が開いて目の前が真っ白になった。ひゅっと息が詰まって、呼吸の仕方を忘れた。
意識下に戻ったとき、特待生は山積みの資料を前にして作業部屋の椅子に座っていた。表紙の文字は細切れに躍って、全く頭に入ってこない。一人きりの部屋の中で、スマートフォンから流れる着信音だけがひたすらに反響している。ずっとそれを聞いている。
「特待生ちゃん、ここにいたの!」
ばん、と開け放たれたドアから央太が飛び込んでくる。続いて、鈴も。何がなんだかわからないまま、二人に手を引かれて部屋の外へ連れていかれる。鈴の手に特待生の鞄が提げられているのを眺めながら、酔っぱらいが介抱されているみたいだなと思い「ふふ」と虚ろな笑いが漏れた。
連れてこられたのはL棟にある鈴と央太の居室だった。オレンジ色のソファに座らされ、先に部屋で待っていた霞が話しかけてくる頃には、特待生の心もだいぶ焦点を取り戻していた。
「無事だったか、特待生ちゃん」
こくりと頷いて正気をアピールする。少なくとも自分が置かれた状況については、ぼんやり理解できるようにはなってきた。
「特待生どの、すでに知っているとは思うが、そなたに関する良くない噂が出回っているでござるよ」
「C棟はとくにね、うわさがひどくなるのがはやくて、あっちにいくのは危ないよ」
彼らが聞く限りでは、特待生は学園を利用するだけ利用して最後に捨てる、悪の女王に仕立て上げられているようだった。入学も裏口、学園の理事に金を払わせて大手事務所への入所も決まっているとのことらしい。
「すごいね。グラン・ユーフォリア妨害のためにここまでやるかって感じ」
苦笑しながら霞は肩をすくめてみせた。この人の声は、無関心を装っているようでいながら、ほわっと温かい。重苦しい空気を少しでも和らげまいとする茶化しのようだった。
「鳥羽先輩は……。央太くんも藤間先輩も、私を疑わないんですか?」
ここに連れてきてくれた時点で答えは出ているのに、そう尋ねることしかできなかった。
「特待生どのの今日までの行い、打算でできるものではないでござる」
「勝利が確定していないのに退学を賭けるはずがないしね。まあいくらでも理屈で説明はつくんだけどさ、〝なんとなく〟じゃだめかな」
「さいしょからオレたちは特待生ちゃんを信じてるってことです」
鈴がわざわざ部屋まで夕食を運んでくれて、その夜は就寝時間近くまでをL棟で過ごした。寮への帰り道も央太が付き添ってくれた。出来る限り普段の生活に近づけるよう明日の授業の予習をして、入浴後にストレッチをして布団に潜り込む。何も考えないようにして、目を閉じた。頼みの綱である荒木は地方出張中のため、翌朝を迎えた特待生は自室で一人コーヒーを飲みながら、部屋に備蓄した食料で朝食をまかなった。今朝の校門付近にマスコミは不在だった。一-Cの教室のドアに触れる手は少しだけ強張っている。特待生が一歩を踏み込んだ途端、室内の空気が変容するのを感じた。昨日、週刊誌を買って帰ったときに教室に漂っていた違和感はこれだったのかと納得する。覚悟を決めて、深く息を吸い込んだ。
「聞いてください!」
特待生の声に、教室内は一瞬にして静まり返った。
「学園内に広まっている噂は事実無根です。そして、グラン・ユーフォリアを成功させたいという私の思いに変わりはありません」
全員の視線が集中する。それらを迎え撃つように足元を踏みしめ、特待生は真っ直ぐに視線を返した。数秒後、何事もなかったかのように全員が目をそらし、教室内はまた元の状態に戻った。
ついに学園公認ユニットすべての合意を取り付けた。必ずしもグラン・ユーフォリアの成功を保証するものではないが、開催に必要な条件をクリアしたことは確かだ。作業部屋として借りている校舎の一室で資料の山に埋もれた特待生は、癒し系ユニット〝パール(仮称)〟の励ましを受け、元気を取り戻している。
「あー……言ってることと、この状況がいまいち一致しないんだが……」
「それぞれのメンバーを一番光らせる演出をしたいんです!」
特待生は頬を紅潮させながら資料の内容について力説する。彼女自身がかき集めた脚本や譜面、映像資料の他、学内サイトで生徒たちからおすすめされたアイデアも山ほどある。
たとえば一口に〝華やかで品格がある〟といっても、椿と陽人ではニュアンスが全く異なる。椿はピリピリと張り詰めるような空気感で、華奢な身体からは想像もつかない存在力を発揮するし、陽人はきらびやかな演出にかすむどころか、まばゆさを味方につけて映える。MAISYはなるべく観客との距離感を近くしたい。手で触れられそうな〝友情〟や〝絆〟を感じてほしい。Re:Flyは照明を工夫し、演出もあえて慎ましくしたほうが官能的に響くだろう。
「エンディングは出演者全員の歌唱とダンスで締める予定なんです。きらっきらの宝石箱のイメージで。宝石からビームが溢れ出て劇場を埋め尽くしちゃうみたいな!」
「わかったわかった。わかったからまずは落ち着け」
ふんすふんすと息巻く特待生のテンションに、荒木は若干引き気味である。手のひらをかざして落ち着くよう促した。
「いいか、お前自身が浮かれまくっているようじゃ原石どもはまとめきれねーぞ」
「承知しています。発散と収束、は意識します」
特待生は悪びれず、にっこり微笑んだ。
「……それならいいが」
半信半疑の表情で荒木が頭を掻いていると、スーツのポケットから着信音が鳴り響く。液晶の表示名を確認すると、彼はふんと鼻を鳴らした。
「仕事の電話だ。悪りぃけどまた今度聞かせてくれ」
「はい! 最高の公演を先生にもお届けできるよう、頑張ります!」
頷きながら荒木が教室を出ていく。彼が宿す目の光にはどことなく違和感があったが、いまはそれどころではない。予定されているミーティングまでに内容を吟味すべく、特待生は腕まくりして資料の山に意識を戻した。
ミーティング会場に指定された教室には、出演者である各ユニットメンバーの他、我こそはとアイデアを持ち寄った生徒たちもいて、ガヤガヤごった返している。特待生はたまに各人の席に足を運びながら、基本的には議長役として教壇でその様子を窺っていた。
「最新の情報には常にアンテナを張り巡らせて……」
「いま流行ってるものっていったらさ……」
「この前行った推しのイベントで面白い企画があって……」
それぞれが思い入れを持って挑むミーティング。演目を決める中で、各人の主張が絶えず湧き上がり騒がしくなってきた。少し気になるのは、即物的な受け狙いに走ってしまわないかということだ。訴求力と呼べば聞こえがいいが、グラン・ユーフォリア成功への熱意が空回りしかけているようにも感じる。たぶん今は発散のフェーズにいる。結構なことだが、いかんせん人数もアイデアも多すぎるのだ。船頭多くして船山に上る。場の空気がいったん落ち着くタイミングを見計らって、特待生は切り出した。
「えっと……少しだけ私から、いいですか?」
手持ちのPC画面をこの場の全員に見えるようにスクリーンに映し、即興のプレゼンテーションを行う。
「いかにしてグラン・ユーフォリアが断絶したのか、今一度そこに立ち返ってみたいんです。二十年前というと……まだ皆さんが生まれる前ですね。ああ、そういえば失われた二十年という言葉はご存知ですか」
会話と並行してキーボードを弾き、適当なキーワードで検索を行いながら二十年前の空気を示すような情報をザッピングしていく。一九九〇年代前半、日本でバブルが崩壊した。それまで二十年近く続いた高度経済成長期はここに終焉を迎える。けれど不景気は一時的なもので、再び明るく騒がしい日常が戻るのだと大多数が信じて疑わなかった。
「バブル崩壊、その後数年の中でもとりわけ知られている事柄を挙げてみます」
〝一九九五.〇一.一七 阪神・淡路大震災〟
〝一九九五.〇三.二〇 地下鉄サリン事件〟
〝二〇〇一.〇九.一一 同時多発テロ事件〟
その日を想起させる映像と文章がスクリーンに次々と映し出される。日本が、世界が、掴みようのない不安に呑まれていった。もはや華々しい日々が戻ってくることはないのだと人々が認識しはじめた。教科書でしか知らなかった〝かの事件をきっかけに戦争が勃発〟という構図が、厳然たる事実として目の前にあった。
「直接被害に遭われた方たちの悲しみには、言葉もありません。リアルタイムで映像を見て、ショックに身がすくんだ方々。フェイクニュースに違いない、たちの悪い冗談だと思いたい方も多かったことでしょう」
特待生は、時代に鬱々とした淀みを感じ取りながらも、結局はそれらを自分の外に置いていた。学業、友人関係、恋愛、就職活動、仕事……世界を憂えるよりも目の前のことに精一杯だった。今となれば、あの頃の自分の愚かさに泣けてくる。時間は戻らない。
「そしてこの頃、グラン・ユーフォリアも断絶……私は寡聞にして存じ上げませんでしたが。きっとそういうことが日本のそこかしこであって」
いったんキーボードから手を離し、特待生は教壇から全員を見渡した。
「あの頃からずっと晴れない、漠然とそびえる不安や喪失感……。グラン・ユーフォリアを復興させるからにはそういう闇を吹き飛ばしたいです。単体で世界を変えることはできないにしても、参加者全員に熱さや希望が伝わったらいいなって。きらめきを届けたいです。ここにいる皆さんならできるって思えるんです。輝きを見せつけてやりましょう!」
あれほど騒がしかった会議室は、いつの間にかしんと静まり返っていた。
「あ……えっとそれで、そういう視点で楽曲や脚本を選んでいきたいのですが」
当初は、意見を収束させる一つの柱について提案するはずだったのが、思いのほか一人語りになってしまった。場のテンションを保つ難しさを痛感しつつ、こわごわと反応を伺う。
「――そういうこと、なんで先に言わないの?」
椿が呆れ顔でこちらを見ている。
「おう、いまので脚本のイメージ浮かんできたぜ!」
「上等だ、やってやる」
「うおお、燃えてきた!」
再び騒がしさを取り戻した教室だったが、それらの声は芯を持っており一体感がある。
壁が立ちはだかっても、傷が痛んでも、声を合わせて進んでいこう。
テーマが決まると、嘘みたいにするするとミーティングは進んでいく。思い描くイメージを全員で統一したのは効果的だった。
「心の脚本、最初から完成度高かったのに、アドリブでどんどん良くなってく」
「公演の一日だけ借りられても本番はできないですよね。予算をなんとか取り付けて、リハを何回できるか検討しましょう」
「歌詞がついてないデモテープも多いんだな。このメロディはエンディングのイメージ通りじゃないか?」
噛み合った歯車が来たるべき日に向けて回りはじめる。この先にあるのはきらめきに満ちた未来だと、特待生も信じて疑わなかった。
いつもの朝。特待生は寝不足でぼんやりした頭のまま、校舎へと歩いていた。疲れ目で視界がぼやけているが、前方にわかりやすい人影を見つける。「ミーちゃん、おはよう!」ふわふわのロングヘアがかわいらしい友人に朝一番のあいさつをした。
「あ、特待生ちゃん。おはよう!」
呼びかけに振り向いて巴があいさつを返してくれる。そこには同じユニットの杏、零、祭利も勢揃いしていた。
「おはようございます。あれ、朝からユニットでミーティングでもしたんですか?」
「ううん。なんかねー、この先に、マスコミがいるんだよー」
杏が珍しくトーンダウンした声で話す。学園にマスコミが出入りするのは、そこまで珍しいことではない。ただ、授業の妨げにならぬよう、あらかじめセッティングされた取材を校舎内で受けることがほとんどだ。
「じゃあそれって、突撃ってことですか……?」
「たぶん、ねー」
杏が物憂げな視線を正門の方へ向ける。
「あっちに別の門があるから、そこから入ろうよ特待生ちゃん」
「それがいいですね。祭利くんは、中等部の校舎まで俺が送ります」
何か聞かれても絶対に答えないようにと零から念を押され、特待生は杏や巴と一緒に校舎へ向かった。遠回りしてたどり着いた一-Cの教室はざわついていた。生徒のうち何人かがスマートフォンを取り出して、画面を見せ合いながら会話している。彼らに倣い、特待生も宝石が丘について直近の情報を検索する。目的の情報には簡単にたどり着くことができた。
宝石が丘学園にまつわる不祥事の数々をスクープしたという週刊誌の記事がネット上で拡散している。裏金、買収、癒着……不正のオンパレードを語る文言であふれた画面に、特待生は顔をしかめた。午前の授業中はいつもと明らかに様子が違っていた。うわの空の生徒も多く、講師が叱咤するもそれが上滑りしているような状況。
昼休みになり、特待生は体育用の運動靴に履き替えて学園外のコンビニまで週刊誌を買い求めに走った。記事と前方とを交互に見ながら、帰り道を駆け上る。スクープを売りにする週刊誌など美容室で稀に手に取るくらいしかないが、その内容はひどいものだった。
確かなソースもなく、憶測はさも事実のように捻じ曲げられ、低俗な興味関心に応える感情的な書きっぷり。愛着も湧きはじめたこの学園を、無責任な興味と正義感で殴りつける言葉の数々に吐き気がする。憤懣やるかたない思いで、午後の授業開始ギリギリに教室に滑り込むとクラスメイトたちがなんとも言えぬ顔でこちらを見ている。自分まで雰囲気に踊らされては駄目だと、大きく息を吐いて険しい表情をリセットした。
すっきりしないまま放課後を迎え、資料の詰まった作業部屋へ向かおうとしたところで、レッスン室に集合していたHot-Bloodに呼び止められた。
「特待生ちゃん。この騒ぎ、もう何か聞いてる?」
霞の問いかけに特待生は頷き、週刊誌を取り出しながらネット上で見聞きしたことを話す。
「そっか、こっちも似たり寄ったりってとこだよ」
情報通の霞も、ネットの扱いに長けた蓮も、手にした情報は特待生とほぼ同じ。ただ、彼らはそこから導き出されるものを掴んでいた。
「この雑誌、あることないこと書くので有名なんだよ。ガセってわかってて書いてるようにも見える。なら、そこまでするメリットは一体何なのか考えてみたんだ」
「時期的に、宝石が丘を叩く狙いは一つしかねえな」
「うむ。グラン・ユーフォリア……でござる」
すうっと、血の気が引いていくのを感じる。
「そんな……意味がわかりません。グラン・ユーフォリアに妨害を加えるってことですか? どこに、なんのためにそんなことをするメリットが……」
「そこまではわからない。でも可能性は十分にあり得るんだよ、この業界では」
椿が視線を床に落としたまま、吐き捨てるように言った。
「ひどいひともいるもんだね。でも安心してね、オレたちは特待生ちゃんの味方だから!」
「何かあれば言うでござるよ。できることはしよう」
「とにかく練習あるのみだ。こんなつまんない妨害に負けちゃダメだよ」
えいえいおー!と央太が気勢を上げて、Hot-Bloodの練習が始まる。特待生は一礼してレッスン室をあとにした。彼らの話を聞くまでは、学園への理不尽な仕打ちに対する怒りで燃えていたはずだ。噂に目的があり攻撃対象があるなどとは考えてもいなかった。その矛先が自分のすぐ近くまで向いていることも。急激に重くなった足取りで廊下を進む。収録室の前を通るとよく知った声が漏れ聞こえて、特待生はドアをノックした。「はいはいーっと。あっ、噂をすれば特待生ちゃん!」出迎えた志朗は特待生を目にするなり、開口一番そう言った。
「次ここで練習? オレたち、もう終わるからちょい待ってね」
レッスン室を覗き込むと、Re:Flyのメンバー全員がそこにいる。
「おやおや? 話題のヒロインのお出ましだ」
「聞いたよ、例の話。オレらをだます必要なんかなかったのに」
聞き捨てならない帝と志朗の言葉に、一瞬にして緊張が走った。
「えっと……。なんの、お話でしょうか?」
口の端だけ精一杯持ち上げて、首を傾げてみせる。
「特待生にとってグラン・ユーフォリアは踏み台で、最終目的はこの機会に声優界で有名になることだったんだね。べつにいいけど」
「……え?」
べつによくないですよぉ。七緒のタハハ笑いを真似て茶化そうとしたのに、口を動かすことができなかった。さきほどHot-Bloodがメンバー間で認識を共有していたように、ここにいるRe:Flyの全員が、宙と同じ認識でいるのが感じ取れた。
「お前の目的がなんであろうとグラン・ユーフォリアは動き出している。俺たちも協力する意思は変わらない」
「ええ、気に病むことはありませんよ。表と裏があってこそ人、私としてはこの流れ、嫌いじゃありません」
「いやー、オレは割とショックだったけどさ。考えてみたらグラン・ユーフォリアを再現すること自体が楽しみだったわけじゃん?」
「よかった……志朗もショックは受けてたんだ。うん、たしかにそうだね」
「まあ俺たちは粛々と練習を続けるが、仮に公演が失敗したところで君は名を売れるってわけか。コスパ的にも考えられた壮大かつゲスな夢だな!」
次々に浴びせられる言葉はちゃんと特待生の耳に届いている。反応しなければと思いつめるほどに喉が締め上げられて、何も口にできぬまま特待生は立ち尽くした。自分はいまどんな顔をしているのだろうと目線だけ動かせば、コントロールルームのガラス面に半笑いの顔が映り込んでいる。その間に荷物をまとめ終えたRe:Flyメンバーは、軽いあいさつとともにあっさり特待生の脇を通り過ぎていった。
「やれやれ……最初から凝ったことを仕組む必要なんてなかったのになあ?」
去り際、帝が笑いながらそう言った。彼の示唆したことを瞬時に理解する。瞳孔が開いて目の前が真っ白になった。ひゅっと息が詰まって、呼吸の仕方を忘れた。
意識下に戻ったとき、特待生は山積みの資料を前にして作業部屋の椅子に座っていた。表紙の文字は細切れに躍って、全く頭に入ってこない。一人きりの部屋の中で、スマートフォンから流れる着信音だけがひたすらに反響している。ずっとそれを聞いている。
「特待生ちゃん、ここにいたの!」
ばん、と開け放たれたドアから央太が飛び込んでくる。続いて、鈴も。何がなんだかわからないまま、二人に手を引かれて部屋の外へ連れていかれる。鈴の手に特待生の鞄が提げられているのを眺めながら、酔っぱらいが介抱されているみたいだなと思い「ふふ」と虚ろな笑いが漏れた。
連れてこられたのはL棟にある鈴と央太の居室だった。オレンジ色のソファに座らされ、先に部屋で待っていた霞が話しかけてくる頃には、特待生の心もだいぶ焦点を取り戻していた。
「無事だったか、特待生ちゃん」
こくりと頷いて正気をアピールする。少なくとも自分が置かれた状況については、ぼんやり理解できるようにはなってきた。
「特待生どの、すでに知っているとは思うが、そなたに関する良くない噂が出回っているでござるよ」
「C棟はとくにね、うわさがひどくなるのがはやくて、あっちにいくのは危ないよ」
彼らが聞く限りでは、特待生は学園を利用するだけ利用して最後に捨てる、悪の女王に仕立て上げられているようだった。入学も裏口、学園の理事に金を払わせて大手事務所への入所も決まっているとのことらしい。
「すごいね。グラン・ユーフォリア妨害のためにここまでやるかって感じ」
苦笑しながら霞は肩をすくめてみせた。この人の声は、無関心を装っているようでいながら、ほわっと温かい。重苦しい空気を少しでも和らげまいとする茶化しのようだった。
「鳥羽先輩は……。央太くんも藤間先輩も、私を疑わないんですか?」
ここに連れてきてくれた時点で答えは出ているのに、そう尋ねることしかできなかった。
「特待生どのの今日までの行い、打算でできるものではないでござる」
「勝利が確定していないのに退学を賭けるはずがないしね。まあいくらでも理屈で説明はつくんだけどさ、〝なんとなく〟じゃだめかな」
「さいしょからオレたちは特待生ちゃんを信じてるってことです」
鈴がわざわざ部屋まで夕食を運んでくれて、その夜は就寝時間近くまでをL棟で過ごした。寮への帰り道も央太が付き添ってくれた。出来る限り普段の生活に近づけるよう明日の授業の予習をして、入浴後にストレッチをして布団に潜り込む。何も考えないようにして、目を閉じた。頼みの綱である荒木は地方出張中のため、翌朝を迎えた特待生は自室で一人コーヒーを飲みながら、部屋に備蓄した食料で朝食をまかなった。今朝の校門付近にマスコミは不在だった。一-Cの教室のドアに触れる手は少しだけ強張っている。特待生が一歩を踏み込んだ途端、室内の空気が変容するのを感じた。昨日、週刊誌を買って帰ったときに教室に漂っていた違和感はこれだったのかと納得する。覚悟を決めて、深く息を吸い込んだ。
「聞いてください!」
特待生の声に、教室内は一瞬にして静まり返った。
「学園内に広まっている噂は事実無根です。そして、グラン・ユーフォリアを成功させたいという私の思いに変わりはありません」
全員の視線が集中する。それらを迎え撃つように足元を踏みしめ、特待生は真っ直ぐに視線を返した。数秒後、何事もなかったかのように全員が目をそらし、教室内はまた元の状態に戻った。
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