宝石の小枝

39

「なあ荒木、グラン・ユーフォリアの件、考えてくれたか?」
 面倒くさいヤツだと思った。断っても断っても、執拗に参加を迫ってくる。不思議と邪険に出来なかった。あの声のせいだ。宝石が丘学園に美声の持ち主は数多くあれど、格別に心地よく染み入るその声でなかったら、とっくにぶん殴っていたかもしれない。
「俺は声優になるために宝石が丘学園に通ってんの。学園を助けるんじゃ真逆じゃねえか」
「荒木は宝石が丘が嫌いか?」
「別に……学校に嫌いも好きもねーだろ」
 仮に学園が潰れても問題ない。荒木冴は声優として開花を始めていた。生徒たちも、インターネットを使って個人アピールに余念がない。ユニット活動なんて古くさいことをやっているのも、GENERALのやつらぐらいだ。
「だからだよ。そういう時代だからこそだ。生のステージだけが持つ臨場感が、熱量が、人の心を震わせるんだ!」
「……生のステージ、ねえ」
「企画も運営も、生徒たちで作り上げる。やらされるんじゃない、俺たちがやるんだ」
「やらされるんじゃなく、俺たちが」
 暑苦しい。だが、その熱量がなぜか心地いい。順風満帆、ともすればレールを敷かれたように人気声優の花道を駆け上りつつある荒木にとって、自分の足で踏みしめる獣道が輝いて見えた。
「……わかったよ、参加する。おめーのしつこさには負けたよ、杉石」
「そうか! すげー嬉しい! なあ、お前の同室の天橋はどうだ? 俺から声をかけても逃げられるばかりでさ。お前からだったら返事が変わったりしないか」

 伝説の祭典を復活させようと試みる生徒たち。いざその集まりに参加してみると、当の杉石珪は裏方で出演者たちのサポートにばかり回っていた。
「おい杉石、話が違くねえか?」
 荒木から見ても、杉石の演技力は格段に優れていた。ダンスも歌も、人を惹きつけて笑顔にするようなパワフルさがある。舞台を作り上げる裏方の面白さを否定はしないが、この役割分担はあまりに釈然としない。文句をたれた荒木に、杉石はいつもとは少し違う笑顔を向ける。
「お前にそう言ってもらえて光栄だよ。強い喉が欲しいよな、荒木」
 なんと寂しげな声だろう。思いも付かぬ言葉に荒木は立ち尽くした。
「俺は生得的に喉が弱いみたいでさ。ポリープも複数見つかってる」
 喉を痛めない発声方法は、宝石が丘学園に通い始めて最初期にマスターすべき事項だ。声帯の開閉、息の使い方。それらの技術を駆使した上で〝喉が弱い〟というのなら、どうしようもない。声帯そのものは筋肉のように鍛えることができないから。
「けど、けどよ……一番走り回ってるお前が舞台に立たなくてどうすんだよ。そんな……」
 杉石の瞳は寂しげで、かっかと燃えるようないつものきらめきが見えない。
「そんなことって……あるかよ」

「どうせ終わってしまうなら、最後にお前たちとデカい花火を打ち上げるのも悪くない。そう思ってさ」
 卒業後すぐポリープの手術をする。それまでは使い潰すつもりでこの声を張り上げる。杉石が宣言したのは数日後だった。
 グラン・ユーフォリアを企画する生徒たちは、しんと静まりかえりながら彼の決意を聞いていた。
「頼む、やらせてくれ!」
 頭を下げた杉石に、全員が強く頷く。
「お前がそう決めたのなら」
「やろう、杉石!」
「俺たちで見せてやろう、宝石が丘の光を!!」

 開催日を間近に控えたリハーサル舞台の上で、杉石がむせかえる。口にあてがった手のひらから鮮血がこぼれ落ちた。呼吸もままならないのか、その場にうずくまってしまった。この後の展開を思い出し、荒木の背筋が凍り付く。
「おい、奈落の操作ストップだ! まだ早い」
「わかった!!」
 ほっとして舞台に目をやると、ギイギイ重苦しい音とともに、舞台から杉石の姿が消えた。奈落に滑落したのだ。
「何でだよおい、止めたって言ったろが」
「止めたよ。ほら、スイッチは間違いなく消えてる」
 使い込まれてボロボロの制御盤は、たしかにスイッチオフになっていた。

「救急車を呼べ!」
「なあおい、杉石、返事をしてくれ!」
「ダメだ、こんな……助からない」
なあ、杉石。声優杉石珪の終わりは、ここじゃなかったはずだったろ?

 声優の卵たちを守るため、学園に多少のスキャンダルを握りつぶす力があるのは薄々気付いていた。あの日、野外ステージにいた者たちが学園長室に呼び出される。
「杉石くんの死は、学園外で起きた不慮の事故によるものとする。……彼は誰よりも学園の未来を案じていた。彼の遺志を汲んでやりたければ、宝石が丘にとってマイナスな情報は排除すべきだ。わかってくれるね?」
  頷いたのか、うなだれたのか。荒木には自分のことすらわからなかった。 落ちぶれていながらもなお残る宝石が丘の威光は、学園の凋落を食い止めんとする彼の死を秘匿するために使われた。スギライトの名を冠した声はもう戻らない。

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