彼女を好きになれなかった

転:なんでこうなる

 青柳さんが私に会ってくれるのは青柳さんの事情であって、私が魅力的だからじゃないんだとわかって、むしろ清々しかった。ホッとした。これからも心置きなく青柳さんに会える。

 私がそんなふうに考え出していた矢先、彼女との出会いは何気なく、突然に訪れた。青柳さんが宝石が丘学園の生徒であることを知ってから、十王子の街並みを闊歩する制服を認識できるようになったけど、女の子は初めて見た。ブレザーの色とか腕元の刺繍が珍しいのですぐに分かった。

 可愛い子だ。なんだろう、うまく形容できないけど……普通に?可愛い。青柳さんの着崩し方を基準に考えるから感覚がおかしいのは差し引いても、彼女はブレザーの前ボタンもワイシャツの第一ボタンも全部しっかり留めてリボンをつけて、スカートも長すぎず短すぎず。白いハイソックスに定番ローファー。地毛か少し明るく染めたくらいか、焦茶色の髪が典型的ボブカットで切りそろえられてさらさら揺れている。ほぼ標準体型、若干痩せ気味と言えなくもないが、程よく引き締まって健康的な脚をしている。そうだ『ゲームの初期アバターみたい』って言うとしっくりくる感じ。特徴らしい特徴は……うーん、遠目には、きらりと輝くヘアピンくらいだろうか?

 揃いのブレザーを着た男子生徒と連れだって歩いてる。弾けるような笑顔が眩しい。あの雰囲気、たぶん二人は恋人同士なのだろう。距離感を見ればなんとなく察することができる。「甘酸っぺぇ〜」なんておばさんじみた感想を抱きながら帰った。

 翌日は十王子シネマに映画を見に行った。

「……あれ?」

 今日は私服を着ているけど、間違いなく昨日の女の子だ。一緒にいるのは昨日とは違う男の子で、1冊のパンフを同時に覗き込んで楽しそうに談笑している。互いの前髪が触れ合いそうな距離感に、そうか本命はこっちだったか、女の勘も鈍ったもんだとやれやれしながら、映画を楽しんで帰った。

 神様、それよりも青柳さんとのエンカウント率を上げてくれませんか。そう念じながらたからハンバーガーに行ってみても、青柳さんはことごとくシフトを外れていた。神の声が『12月は絞め殺しの木、1月は青色シンフォニーで忙しいので、アルバイトする青柳帝はしばらくいません』って言ってた。知らんけど。さらになんとも具合の悪いことに、たからハンバーガーにはまたしても例の彼女がいた。お約束のように初見の男子生徒と一緒だった。2種類のドーナツを半分こずつシェアして「ん!おいしいです」だって。あの男の子、頭部が今にも弾け飛びそうなくらい真っ赤になって微振動してるんだけど大丈夫かな。黒ひげ危機一髪なのかな?

 これはちょっとおかしい。そう感じた私は、青柳さんサーチ以降禁じ手として封じていた、宝石が丘に関する情報を集め出す。そして目をひんむくような事実に遭遇した。彼女の名は天音ひかり。宝石が丘学園唯一の女子生徒にして特待生。崇高な宝石が丘学園像が、ガラガラ音を立てて崩れていった。約120名の男子生徒の中、紅一点の女子生徒。ピラニアまみれの池に投げ込まれた生肉なの?

「宝石が丘の子なら、個別の紹介ページあるはずだよね」

 真っ先に目に飛び込むのは、とっておきの宣材写真。輪郭は、丸顔寄りの卵型。悪目立ちするパーツのない、好感度の高い目鼻立ち。羨ましい。メイクと照明と角度で多少盛られている感はあるが、そこをとやかく言う気はない。たぶん青柳さんを含め誰だってやることだろう、宣材写真は、第一印象を決める大事な商売用の顔だ。でも……彼女、こんな顔、だったっけ?普通に可愛かった、それだけは強烈に覚えているのに。

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宝石が丘学園高等部一年 天音ひかりです。
特技は肉練。声優になりたいという熱意、ガッツなら誰にも負けません!
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 にくねり……?腸詰めでもするのかな?自己紹介に首をひねり、ブラウザのタブをもう一個開いて検索する。にくれん。要はフィジカルなトレーニングの総称として使われている用語みたいだった。私が初めて聞く単語、でもきっと青柳さんにとっては馴染み深くて耳慣れた言葉なんだろう。天音ひかりと青柳さんが知っていて、私の知らないことがきっとたくさんあるんだ。当たり前なのに、急にさみしさとか不安とかモヤモヤとかが鳩尾付近に充満した。

 ブラウザを閉じてしまうと、もう彼女の顔を思い出せない。横髪を留めたヘアピンの輝きだけが記憶に残ってる。もともと人の顔を覚えるのは得意なほうじゃないけど、実物に頻繁にエンカウントしてるのにこれは変だ。目鼻口元がぼやけるような……なんともモヤモヤする感覚。『天音ひかりは人物名じゃなくて概念だった』って言われたら頷いてしまうかも。

 ガッツが取り柄、みんなの共感を得られて、なおかつとてつもなく無難で尖ったところのない、彼女らしい自己紹介だと思った。加点要素もなく、減点要素もない。ちなみにこれは皮肉を自覚的に交えた感想です。その夜はずっと寝付けなくて、ストレスのあまりトイレで嘔吐する夢を見た。胃がキリキリする。

 翌日、少し暇になった職場で急な眠気に襲われた。夢見が悪かったし、繁忙期と暇なときの落差が激しすぎるんだよなぁ……。意味もなく無題のテキストファイルを作って『天音ひかり.txt』ってファイル名を変更する。はあー、同一人物なんだ。他人の空似でもなければ、一卵性多胎児でもないんだ。柄の悪そうな兄ちゃんと歩いていたのも、まつげバシバシのガラス細工みたいな美少年と歩いていたのも、天音ひかりという名前の、たった一人の女の子なんだ。コピー、ペースト。ペーストペーストペースト。『天音ひかりのコピー1.txt』『天音ひかりのコピー2.txt』『天音ひかりのコピー3.txt』『天音ひかりのコピー4.txt』……無限増殖していく天音ひかり。

「山猫〜、真面目に仕事してるかぁ〜」

 背後から肩まわりの肉をムニッと掴まれた。全身が総毛立つ。なんかのついでみたいな通り魔的スキンシップ。湧き上がる悲鳴を飲み込んで、部長様に笑顔で答えた。

「はいっ、テストデータの作成中です!」
「ん~、そっか。頑張ってよー」

 ばーか。ばかばか。今テストデータが必要なわけないじゃん。何もわかってないくせに。年功序列のデメリットを煮詰めたお前こそ真面目に仕事しろ。背中に無言の罵声を浴びせるしかできない自分が嫌だ。

 帰宅後、性懲りもせず天音ひかりについて調べてしまった。彼女は今年の初夏に週刊誌でスキャンダルを報じられたことがある。今秋に開催された伝説の祭典、グラン・ユーフォリア。その大ニュースに乗じて記事をでっち上げたかったのか、天音ひかりは宝石が丘学園を利用するだけし尽くして捨て、スター声優への道へ成り上がろうとする悪女に仕立てられた。

 私は性根がひねくれているので、まとめサイトは誰かの都合がいいように切り貼りされていないか疑ってかかる。Twiineだって、炎上の発端となった呟きの前後はもとより、普段の呟きやフォロイーフォロワーの傾向は調べるように心掛けてる。

 私は粗忽者なので、思ったのと同時に口が出てしまう。うっかり部長様に暴言を吐いちゃう日が来るかもしれなくて怯えている。自分の大嫌いな部分を自覚しているから、リアルタイムな会話はともかく、せめて文字情報くらいゆっくり吟味したいのだ。それだけ気をつけてもデマを掴んじゃうこともたくさんあるし。

 そして辿り着いた自分なりの結論。天音ひかりは完全なるシロだ、潔白だ。でも、残念ながら叩けると見なした相手を選び、正義を振りかざして徹底的に叩くやつはごまんといる。140文字の短文ですべてを結論づけて、それ以上調べない人もいる。これはちょっと気の毒だ。声優としてのキャリアは1年に満たないのに、まだ17歳の子どもなのに、消えない傷がつくには早すぎる。

 それはおいといて。なぜみんな気付かない?彼女が男の子たちを取っ替え引っ替えしていることを。しかも学園の看板たる宝石『ユニットメンバー』とだけ一緒にいることを。どう見てもこっちのほうが大問題だ。声優業は今や声と演技だけじゃ成り立たない。顔出しやセルフマーケティングは当たり前、アイドル的な人気の集め方が主流になってる。17歳の女性声優が、男子生徒と同じ寮でフラットに生活し、交際を疑うような距離感で、有名声優の男子生徒と街を闊歩する。そっちのほうが遙かにスキャンダラスと言えなくないか?

 ちょっと早めに仕事が終わった日は、ほぼ確実に天音ひかりに遭遇する。路上の皆さーん、見えてませんか?人気声優と話題の救世主(メシア)が仲良く連れ立って歩いてますよー?まるで私一人が天音ひかりエンカウント率を請け負っているみたいだった。寝ても覚めても天音ひかり。脳内の充填率は99.999%

 できればもう遭遇したくないけど、せめて、出会っちゃうならせめて女友達と歩いてくれてもいいのよ?なんて祈ってたらスカート履いた子と歩いてくれた。まあ男の娘だったんだけど。程度の差はあれ、みんな親愛以上の熱を込めた瞳で彼女を見てる。微かに頬を染めてる。対称的に、天音ひかりは誰に対しても平等に眩しかった。

「天音ひかりのことが大大大好きな宝石が丘ユニットメンバーかよ……」

 どんな男性にもカチリと当てはまるマスターキーみたいな女の子。いやどっちかっていうと鍵穴?わかりやすい下ネタですねごめんなさい。とにかく、そんな都合のいい子が実在するんだろうか。実在していいんだろうか。

 いやしかし、よくよく考えれば声優っていうのはいわば役者だ。(あまね)く光こと天音ひかりは、虹のスペクトルのどんな色にだってなれるのかもしれない。完全にチート性能の域ではあるが、なんといっても特待生に選ばれるくらいだし。

 あの子の中に負の感情は存在するのだろうか。嫉妬、敵意、軽蔑、落胆、怨恨……。天音ひかりはうつくしいものだけで構築されたスペシャルでいびつな生き物に思えた。彼女が持ち得ないものをRGB値で表すなら”#000000”。光の三原色すべてをゼロにした真っ暗闇。私があの子の対極に立てたなら、”#000000”の闇に、完全な悪になれたらいっそ楽だったかもなんて、ぼんやり考えたりした。

 そして時は満ちた……かは知らんのだけど。恐れていたその日が訪れた。買い出しに出た十王子駅前の繁華街を、青柳さんと天音ひかりが並んで歩いてる。私と並んで歩くときより二人の距離がずっと近い。大通りを挟んだ向こう側で、会話の内容はまったく聞き取れないけど、悪戯っぽく目を細めた青柳さんが天音ひかりのすぐ耳元で何かを囁いて、天音ひかりが真っ赤になって、ケタケタ笑う青柳さんに頬を膨らます。そういう、良くあるといえば良くある、……あー、なんかもう、こんなの言語化したくないので省いていいかな。はいはい、お似合いですぅお客様。あれも、これも、全部お似合いです。ねえ、どうしてどんな宝石でも似合っちゃうの?パーソナルカラーとかないの?色も個性もないの?他の宝石で替わりがきくなら、わざわざサファイアを身につけなくでもいいでしょ。私にとっては、サファイアだけが唯一で特別なのに。やめて、やめて。脳内の天音ひかり充填率はとうに100%を超えていて、溢れ出したぶんが胃腸や肺を浸食し始めた。

 その夜に見た夢は最悪だった。天音ひかりと、モチーフ宝石を持つ選ばれし男たちが、王冠を被って真っ赤なビロードのマントを羽織った世界。それ以外の人型をした何かはモブと呼ばれる生命体。目と鼻と口と名前がない。ごくまれに名前、鼻と口を持つ個体もあるが、目を持つ個体はこれまで確認されていない。モブは必要に応じて適宜、ゴツゴー空間から生み出される。天音ひかりと宝石たちの当て馬・引き立て役・ヨイショ要員が彼らの存在意義なのだ──!

 悪夢から覚めたとき、今度こそトイレに駆け込んで思いっきり嘔吐した。

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