彼女を好きになれなかった

結:BAD ENDかつTRUE END

 たからハンバーガーから足が遠のいていた。私が訪れるたびに店長さんが目配せで「青柳くんは今日はいません」ってすまなそうな顔をするのが心苦しくて、純粋にたからハンバーガー美味しいですよ!って伝えるのも言い訳がましくて。

 十王子駅からアパートに直行し、家鍵を出すために鞄の中を漁りながら階段を登る。自分の部屋の前に立つ人影に、肩から鞄がどさっと落ちた。

「たま?しばらく見ないうちにやつれてないか?」
「あ、あああ青柳さんこそ。見るからに痩せてますよ。ちゃんと食べてるんですか?」
「……」

 あ、沈黙した。ちゃんと食べてくださいよ。後生ですから。青柳さんは筋金入りの極貧生活を送っているらしい。私はどうしたらいいんだろう。金銭的余裕という意味では、現金も食料も渡すことができる。でも私って青柳さんの何なんだろう。渡していい立場なのか、受け取ってもらえる立場なのかな。

「待ち伏せられて驚いたか?めでたいことに春には卒業できる見込みなんだ。今までのようにはいかなくなるし、その前にたまに会っておきたかった」

 ああ。そっか、そうだよね。なんでそこに気が回らなかったんだろう。私ってば、もしかして『天音ひかりを憎む気持ち』が『青柳さんを好きな気持ち』を上回ってた?だから、高校3年生の青柳さんが卒業することに考えが及ばなかったんだろうか。

 青柳さんを部屋に迎え入れて、久々にハーブティーを入れた。青柳さん専用のとっておきの茶葉の缶。開けたときの懐かしい香りに、ぎゅっと息苦しくなった。

 これでいいのかな。二客のティーカップをこたつに置いて、ゆらゆら揺れる液体を眺めた。天音ひかりを散々憎んでおきながら、私だってこうして青柳さんと会っている。今の私に天音ひかりを責める資格はない。お茶一杯飲み干す時間だけだから、短い時間だからなんて言い訳にすぎない。火のないところに煙を立たせるのがあの手の週刊誌の仕事だもの、『乙女ゲー分野で絶大な支持を得る青柳帝が一般人女性と交際中!』などど報道される可能性だってゼロじゃない。この自己矛盾な状態を、自分自身が一番許せない。

「天音、ひかりさん」

 青柳さんの眉がピクッとした。そうか、ピクッとするような存在なんだ。そうか……。ちゃんと、決着をつけなきゃ。このままじゃいけない。

「この前は、ゲーセンで遊び慣れてそうな男の子に手取り足取りダーツを教えてもらってました。本屋さんで、生真面目そうな長髪サイドテールの子と話してるときも、顔と顔の距離がものすごく近かったです。チャラそうだけどおぼこい感じの子……たぶんRe:Flyのシローくん、とタピオカ飲んで歩いてたのも見ました。それにそれに(中略。記憶にある限りの目撃いちゃいちゃシチュエーションを列挙)という現場も見ました」

 最初は、天音ひかりがどれだけの男の子と関係を持ってるか──関係って言っても肉体関係とかじゃなくて、でも仄かながらも確実に恋の匂いがするような触れ合い──を複数人の男性と並行して行っているかプレゼンするだけのつもりだった。

「人情の機微に聡くなきゃやってけないはずの声優なのに、あれだけの矢印向けられて何も気づかないって、声優としての適性に欠けてると思います。鈍感は美徳ですか?それでピュアだの謙虚だの持て囃される風潮、おかしくないですか?奪い合いされてるのに、ぽやっとかわいい顔で首傾げてればいい。そんな女の子、全方位に都合がいいだけ。男の子たちも、青柳さんも、誰もかれもが天音ひかりちゃんに好意を向けてるのに、気づかぬふりして仲良しこよしで衝突しないなんてありえるんですかね。そんなの、お豆腐の上を足跡ひとつ残さず歩くような難易度でしょ」

 女に生まれたら、たぶん大部分の子は一日一回鏡を見て溜息ついたりご機嫌になったりするのじゃなかろうか。自分の容姿に何かを思わずにはいられない。醜く生まれたら揶揄われて、美しく生まれたら望みもしない執着を受ける。可愛くても、わがままボディでも、醜くても、それぞれのハードモードが待ち構えてる。でも天音ひかりは、たぶんあの子はさ、自分のことを鏡で見ても「かわいい」とか「今日はなんとなくイケてない」とか感じたりしないんじゃないかな。代わりに「どうしても声優になりたいです」「いつでも頑張ってます」って言うんだろう。綺麗な綺麗な言葉だけが天音ひかりから生まれる。
 同性のライバルがいないってことは、女同士で争う機会もないってこと。骨肉の争いじゃなくても、女子生徒が二人以上いれば男子生徒がどちらかの子に肩入れするシーンだって出てくるだろう。そういうリスクも負わないで済む。票は割れずに全て彼女に入る。切磋琢磨の相手が男子だけなら、女の子なのに対等に渡り合ってすごいね、大変だろうにねって賞賛の的になる。汚れようがないんだ。卑怯だと思う。不公平だと思う。

「いつもいつもいぃいーっつも違う男の子と、しかも学園公認ユニットに選ばれるような人気者とだけ、一緒にいますよね?声優さんの休日ってそんなに暇なんですか?同じ学園の生徒だとしても、あくまで友人関係だと言い張っても、男女二人で出かけてばかりって業界人としてどうなんですか?」

 天音ひかりは可愛く生まれた恩恵だけ享受して、不利益を被らない。さらに言えば、自分が可愛く生まれついたことや、数多の男性から好意を受けていることに無自覚であるように見えた。私はずっと自分のことが嫌だった。望んで乳と尻とタッパがでかく生まれたわけじゃないのに、なんで汚らわしい目線に晒されなきゃいけないのか。顔が熱い、ぜったい体温上がってる。喉が、声が震える。肩が勝手に上下する。ああ、私は今めちゃくちゃに怒っている。

「声優として脇がゆるいのは確実だし、ついでにお股もユルユルなんじゃないですかねえ?あ、わかった、学園中でマワされてるんだ。平等に愛を注いであげてるんだ。誰にだって分け隔てなく接する宝石が丘のマドンナですもんね」

 人の数だけ尻の穴はあれど、女は一人だけ、まんこは一つだけ。食堂のおばちゃんや共演の幼女は女に含みません。でもって天音ひかりは当然のように『名器』設定なんでしょ知ってる。夢のような世界だ、悪夢のような現実だ。

「なるほどだから争いもなく仲良しこよしできるんですね。じゃないとおかしいです、つじつまがあわないです。それで青柳さんも既にあの足を、『綺麗だな』って褒めたあの美脚をおっ広げて、毎晩おまんこ堪能してたりするんですよね?」

 私の脳内は常に真面目から不謹慎まで汚部屋状態で、いつどこから何が出てくるか想像もつかなくて、口に出しているのは一応、一応は、倫理的に厳選した氷山の一角に過ぎない。でもトップギアに入った私はもう止まれない。芋づる式にどんどこ湧き上がる天音ひかりへの恨みつらみを、内容も吟味せず、年齢制限フィルタもかけず、脳内ダダ漏れ状態でひたすらに口走っていた。

「……出直したほうが、よさそうだ。ごちそうさま」

 賢者タイムってあるじゃないですか。うん、男の人が射精したあとの虚無時間すね。天音ひかりへの怨嗟をこれでもかってくらいに残さずビューッと吐き出した私も、たぶんあの時、賢者タイムだったんだと思う。いやまあ、どす黒い怨念と白濁液を同一視するのも失礼かな。すまんこすまんこー。

 青柳さんの目、見たことないくらい冷たい色の目をぼんやり眺めて、ほぼ無感情で頷いた。青柳さんが深い溜息とともに立ち上がって、背中を向けて、玄関から出て行くのを、こたつから動かずアホみたいに眺めてた。ははは、賢者タイムなのにアホみたいって、どっちだろうね。わけわかんない。もう、何にもわからないや。ただ、自分で勝手に想像しておいてなんだけど、青柳さんのあの大きくてあったかい手が、私の頭をくしゃくしゃしてくれた手が、ベッドに仰向けになった天音ひかりの両膝を掴んでぐいっと開くとこが脳裏に浮かんで、鳩尾からやばいのがせり上がって、それでトイレに駆け込んでめちゃくちゃ嘔吐した。何も食べてないから、胃液くらいしか出てこなかったけど。

 これは間違いなくバッドエンド。でも私は全宝石30ルート独り占めじゃなく、たった一つの青柳さんルートを選んだんだから、間違いなくトゥルーエンド。後悔はしてないよ。

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