宝石の小枝
04
グラン・ユーフォリアに出演できるのは実力者たるユニットメンバーのみ。彼らを説得して回り、グラン・ユーフォリアを開催したとして。その先で宝石が丘の威信が復活し、声優業界に新しい風を送れたとして、果たしてそれだけで大成功といえるだろうか。特待生と選ばれし特別な生徒たちだけが何か盛り上がっていたな、と華々しい活躍を一歩引いたところから眺めるその他大勢の生徒はどうすればいい。何の因果か特待生としてここにいるが、本来なら自分は間違いなく〝その他大勢〟側の人間だ。
「本当にやるつもりなのか、全校集会」
「学園の危機は、宝石が丘の全生徒にとっての問題です。私が彼らだったら、蚊帳の外に置かれて、きっととても悔しいです。やらせてください」
荒木は複雑な表情を浮かべつつも、頷いてくれた。
宝石が丘学園の講堂は、全校生徒約一二〇名を軽々収容できる立派なホールを備えている。特待生は舞台の裾で何度目かの深呼吸をしていた。やれるだけのことはやった。やってきた以上の実力が発揮できるなどと期待しない、その代わり練習は嘘をつかない。意を決して壇上に歩みを進める。
「本日は、お集まりいただきありがとうございます。事前にお知らせしたとおり、所要時間は一〇分を厳守します。お忙しい皆さんの時間を無駄にはしません。ご静聴よろしくお願いいたします。では始めます」
まず入学式で語られたこの学園の危機的状況、打開策であるグラン・ユーフォリアとは何かという説明から始める。多くの生徒がそのイベントの名すら知らない。企画も出演も生徒が主体で行うが、過去の記録は全くと言っていいほど残っていないこと。日程も会場規模も決まっていない現段階では、練習スケジュールや演目も決められないこと。今のままでは野外フェスでも伝統芸能でもなんでもアリの自由すぎる状態であること。中等部から内部進学の一年生および二、三年生にはこれまでの経験を活かして、外部入学の一年生にはあえて未知の目線で広くアイデアを募りたいこと。全くの無から「アイデアをください」と声を上げても意見は集まりにくいだろうことを見越して叩き台を作った。開催日程と会場の大きさによって異なるいくつかの演目やスケジュールを提案する。広報用の公式サイトと
「ご静聴ありがとうございました。 これより質疑応答の時間を設けます」
講堂内はざわついていた。おいどうするよ、と仲間うちで相談し合う様子は見られたがついに質問は出なかった。約束の一〇分が迫る。
「――では、学内ポータル上に特設サイトを設けました。お手数ですがアンケートにお答えください。 本日、お仕事などで不参加だった方々への周知もお願いいたします。 締切は……」
その夜、特待生はノートPCを前にアンケートの状況を確認していた。回答が済んでいる者は僅かだが、締め切り前にも関わらずざっと九割の生徒が閲覧してくれている。予想以上だ。
(そうだよ。やっぱり、学園が廃校の危機にあるのをスルーできるはずがないんだ。ちゃんと関心自体はある)
枠組みにとらわれない意見を書き込めるよう試験的に匿名掲示板も置いてみたが、そちらはどうだろうか。
『特待生さん頑張ってください。前世からずっと応援しています!』
これは本気だろうか、嫌味だろうか……。どちらの意味でも若干の寒気がする。
『特待生さんかっけー』『がんばれーwww』
予想はしていたが、この類の書き込みもあった。多くの匿名掲示板がそうであるように、この画面だけを見ても誰が書き込んでいるのかは知り得ない。しかしながら、この掲示板は学園関係者だけがログインできる場所に設置されており、すでに個人が特定された状態にある。管理者――この場合は特待生がアプリケーションログを見れば、誰が書き込んだか特定することは容易いのだけれど、いまは静観しておこう。今後、前向きな意見が出てくるかどうかで継続か廃止かを決めなくてはならない。
「さて、と――」
一息つきたいところだが、課された使命は当面の間、猶予を与えてくれそうにない。次なる手を打つため、特待生は再びかき集めた資料の山に手を伸ばした。
「おっはよー、特待生。 昨日はおつかれさん」
「
「すごい! 吉條くんの名前って縁起のいい字ばかり並んでる!」
「タハハ、そうかも。初めてそんなこと言われた~」
そのやり取りが気に入ったらしく、彼はちょくちょく声をかけてくれる。独特の考え方をしている人間が好きとのことだ。彼がトップユニットPrid'sの一員であると知ったときは心底びっくりしたが、いかにも天才然とした発言ではないか。
「あのね、昨日の集会でお話したとおりグラン・ユーフォリアにはユニットの協力が不可欠なんです。七緒くんはどう感じた? ぜひとも協力をお願いしたいんだけど……」
「うーん。俺は面白そうとは思うけど……」
珍しく歯切れが悪い。七緒は曖昧な表情で目線を漂わせる。
「そうだ、今日部活あるだろ。Prid'sに用なら千紘さんとモモくんが茶道部だから行ってみろよ。二人揃ってて効率的だよ」
「それなら七緒くんも一緒に……」
「ああ、俺ね。部活休めないんだよね。はあ~、あんなにしごかれるとは誤算……」
「そうだよ、ななおのバカー!」
突然、鼓膜を破る勢いの声とともに大きな影が迫ってきたので、後ずさった特待生はよろけて尻もちをついてしまった。運転中に眼前に飛び出してくる猫みたいな俊敏な影だ。
「ぐはっ!」
影の正体は猫。あながち間違いとも言えない。七緒は背後から飛びついてきた三毛猫パーカーくんに潰されて床にのびている。
「囲碁部はラクそうって、ななおがいうから、オレついていったのに。 ――あ、特待生ちゃんだ! 入学式でオレがとなりにすわってたの、おぼえてる?」
「はい。七緒くんと一緒にいましたよね。二人は仲良しなんですね」
「まあ中等部からの付き合いだからね。……
「おぼえててくれたんだ! オレ、
「だから早くどけってー!」
低い姿勢で会話をしていた三人は、それぞれ埃を払いながら立ち上がる。
「えっと、じゃあ央太くん。天音ひかりです。よろしくお願いします。央太くんはHot-Bloodのメンバーなんですよね」
「さっすが。もうオレのことしっててくれたんだね。 グラン・ユーフォリアって、おもしろそうだね」
「えっ! そう思ってもらえますか?」
目を輝かせた特待生だったが、無情にも一限目の予鈴が鳴る。
「やっべ。 早く教室行こうぜ。それにしても、あー……今日は部活。部活かあ」
「きっつい……」
げんなりする彼らの様子はとても演技には見えず、茶道部への七緒の同行依頼は諦めた。
花見の季節に各地の庭園で催される野点、雅やかな空間で味わうお抹茶と和菓子。興味が湧いたが、お茶の作法がわからない。「どうせ素人ばかりなんだから教わりながら参加すればいいでしょ」と口々に言われたが、ネット動画や図書館の本で予習を済ませてから申し込んだことがあった。そんなビビリ体質から手にした知識が、少しは役に立つだろうか。
(毎回、毎っ回思うんだけど、この学園って本当に財政難なのかな)
教室の一つを和室に改装でもしているのかと思いきや、本格的なお茶室が離れに用意されている。侘び寂びを醸し出すにじり口を眺めながら、くらくらする額を手で押さえた。
「おや、誰かと思えば噂の特待生ちゃんだ。 嬉しいな、俺に会いに来てくれたの?」
風に乗ってほんのり甘い香りが漂う。華やかな声だ。振り返ると、声のイメージを裏切ることなく蠱惑的な容貌の男子生徒がこちらに歩いてくる。
「はい、天音ひかりと申します。
「うわ、俺のこと覚えてくれてるんだね。幸せだなあ。ね、そんな堅苦しい喋り方しなくていいからさ、俺のことは
「い、いえ……。そういうのはちょっと。あの、私はグラン・ユーフォリアへのご協力をお願いしたくて伺いました」
その瞬間、彼の纏う空気が色を変えた。
「……だよね~。全校集会での勇姿、見てたよ。 廃校? どうぞどうぞ。俺たちはどこへ行ってもやっていけるから。それはいくら女の子の頼みでも聞き入れられないな」
「えっ」
予想だにしなかった台詞に特待生は面食らう。百瀬は艶やかな笑みの中に、わかりやすい毒を含ませて続けた。
「ちなみに俺の言ってる女の子ってのはね、かわいくて崇拝したくなってどこへも出したくないから縛っちゃって同じくらい束縛してほしいって思う生き物のことでね」
(あ。私、この人のこと嫌い……)
「けど君は女の子として扱われるのがご不満みたいだ。だからPrid'sの百瀬として答えさせてもらうよ。俺たちPrid'sは、生半可なオファーは受けない。出直しておいで」
様々な感情が交錯する。口をぱくぱくさせたまま、いま言うべきことを必死に組み立てようとする特待生の前に新たな人物が姿を現した。トップユニットPrid'sのエースにしてリーダー、輝崎千紘。朝のランニング以外の場所で彼と顔を合わせるのは初めてだ。
「ん、特待生じゃないか。どうした。……いや、どうしたはないな。お前がここに来た理由など分かりきっている。グラン・ユーフォリアの件だな」
嫌な予感がする。千紘の目にはすでに厄介ごとを忌避したい感情がありありと見て取れる。
「……その通りです。輝崎先輩に、Prid'sに協力をお願いするためにここに来ました」
「断る。理由は三つある。一つ、時間がない。俺たちは忙しい。二つ、メリットがない。そして三つ目。お前自身に、頼みを聞いてやりたいと思わせるなにかがない。以上、それじゃあな」
「……っ」
千紘は一気に言い放つと、立ち尽くす特待生に目もくれず百瀬と二人で茶室に向かっていく。
「待ってください!」
彼らを呼び止める特待生の唇は震えていた。怒りなのか恐れなのか、その両方かもしれない。
「Prid'sの結成について、学園の広報誌で知りました。……感動しました! だから私は最初にPrid'sに協力をお願いしに来たんです」
特待生はグラン・ユーフォリアに加えて学園の歴史や各ユニットメンバーのことも手当たり次第調べた。 ほんの一年前まで、宝石が丘のトップユニットは実力以外の要素で世襲され、形骸化していた。Prid'sはその悪しき慣習を打ち破り、真に実力を認められた者がトップに君臨すべく革命を起こした。そんな彼らなら、実力以外で声優が売り買いされる現状に問題意識を感じていないはずがない。
「今度は学園の外に、声優業界に革命を起こしませんか」
去り行く背中に必死に訴えかける。やや間をおいて、ふうっと憂鬱な溜息が聞こえた。
「……宝石が丘の存続のため、というのなら俺たちは既にその役目を全うしている。烏合の衆のお祭り騒ぎより、Prid'sが一つでも多く仕事をこなしたほうがよっぽど宝石が丘の権威を示せると思うが?」
千紘は振り向くことなくそう言った。
(烏合の衆……?)
それは誰を指すのか。特待生だけでなく、各ユニットメンバー以外、あるいはPrid's以外の全員とも受け取れる。じゃれあう七緒と央太の姿を思い出した。毎朝ランニングしている千紘と碧鳥の姿も。彼らの仲睦まじい様子に「ユニット同士で反目しあっているわけじゃないんだ」と胸を撫で下ろしたのに、急激に自信がなくなってきた。わかったことはただ一つ。彼らは学生である前に、誇り高きプロフェッショナル。声優としての実力が伴わなければ、声は届かない。
夕食後、特待生は自室で一年前の全校集会の映像を見ていた。トップに君臨するに相応しい素晴らしい演技。何度見返しても熱い思いがこみ上げて、目尻に涙が滲んでくる。そのあとに、先日の自分のプレゼンテーションを見る。
「あーあああああ。 恥ずかしい恥ずかしい! 早くも黒歴史がっ!」
Prid'sの演技と比較すると余計に打ちのめされる。Prid's、自分、Prid's、自分……それを幾度となく繰り返し眺めて、恥ずかしさに転げ回る。念のため、特待生に被虐嗜好はない。
『出直しておいで』
『お前自身に、頼みを聞いてやりたいと思わせるなにかがない』
きっぱり言い切られた。茶道部に向かう道すがら、自分は何を考えていただろうか。「まあまあ、お茶でも飲みながら話を聞こうか」などという展開を漠然と思い浮かべて、茶の湯の作法など気にしたりして。あのへっぽこプレゼンをPrid'sに見せて、どの面下げて歩いていたのか。結果、門前払い。
「恥ずかしい。情けない。……悔しい」
気晴らしに猛烈に炭酸飲料が飲みたくなって、消灯時間まぎわに廊下に出た。
「あ、特待生。もうすぐ消灯なのにどこ行くんだよ? 入学早々、目をつけられると面倒だぞ~」
あっけらかんとした声の持ち主が誰なのか特待生はもう知っている。「そういう君は大丈夫なの?」と問うより先に、彼に言っておきたいことがある。
「七緒くんは、私がこうなるって最初から知ってたんだね」
「ええ!? なんのこと? ……なんつって~」
大袈裟なアクションで驚いてはニカッと笑みを浮かべる。結局どちらなのだ。相変わらず、はぐらかすのがうまい。
「さっそく千紘さんとモモくんに突っぱねられたんでしょ? すぐに情報が回ってきたよ」
「はい、お察しのとおりです。トップユニットPrid'sの七緒様」
嫌味の一つも言いたくなってそう切り返したが、特待生の中に後味の悪さだけが残った。
「……ごめんなさい。ひどいこと言った」
「あのさ。グラン・ユーフォリアが面白そうって言ったのは嘘じゃないよ。けどね、同じくらい面白そうなことが山ほどあるのも事実かな。 その中でグラン・ユーフォリアを選ばなきゃいけない理由が思い浮かばない」
「うん……うん。七緒くんはすごいね。中等部時代からユニットメンバー、それもトップユニットの一員なんて」
七緒と目を合わせたらどんな顔をすればいいだろう。顔を前に向けたまま視線だけは下を見て、指先で髪をくるくるといじりながら、作り笑いを浮かべる。
「学年なんて関係ないだろ、実力がものを言う世界なんだからさ。 ……なんつって、千紘さんにはかなわないから、まだまだ全然だけどな」
「珍しく謙虚だな」
割り込んできた声に、特待生は顔を上げた。低く響く、厳格さと清廉さを感じる声。手入れの行き届いたつやつやのストレートロングヘアが、耳の横で結い上げられている。シワ一つないワイシャツ、きっちり首元で結ばれたネクタイ。すべてが直線で構成されているような――あくまで印象の話だが、そんな男子生徒が腕組みしながらこちらを睨んでいる。
「……げ! 葵先輩」
「げ、とはなんだ?」
「天音ひかりと申します。
腕組み、睥睨、冷ややかな低音。中ボス戦のイントロが脳内に流れはじめる……などとふざけたテンションには到底いられない特待生であるが、葵のペースに合わせる意味も込めて、きっちり斜め四五度で一礼した。
「葵せんぱーい、千紘さんとモモくんの話は聞きました? この子、いまPrid'sにグラン・ユーフォリアの出演依頼をしてるんですよ」
後輩からの紹介を受けて葵はこちらを一瞥すると、ふんと鼻を鳴らす。
「無様な顔つきだな。 この程度で意気消沈しているやつがグラン・ユーフォリアの総指揮だと?」
もはや言い返すだけの力が残っていない。満身創痍の自分はたしかに無様な顔つきをしているのだろう。HPゼロの特待生に葵はあっさり背を向ける。
「話にならん。 そろそろ門限だ、ふたりとも部屋に戻れ」
彼が冷たく言い放ってC棟から立ち去っても、もう驚かない。
「ブリザード~……」
「凍てつく波動~……」
「特待生、モモくんなんてあれでも優しいほうだってこと、わかった?」
七緒の声にこくりと頷くのが精一杯だった。
「それならさ、ほたるせんぱいのところに行こうよ!」
翌日、一年生のクラス合同授業にてPrid's攻略の顛末を聞いた央太はにこやかに言った。両耳の上でぴょこんと跳ねた毛束は寝癖かと思っていたが、今日も同じように跳ねているところから察するに生来の癖毛か、念入りなセットによるものか。窓際の日差しを浴びてのんびり欠伸する様子など眺めれば、本当に猫耳に見えてくる。
「特待生ちゃん、安心してね。ほたるせんぱいはやさしいから! これまでのPrid'sのひとみたいにかんじわるくないからね~」
「ここにひとりいるってこと忘れんなよ」
七緒と央太の掛け合いは今日も安定感抜群だ。そんな小さな幸せが特待生の胸をあたたかくしてくれる。
「央太くん、ありがとう。ちょっと考えてみるね。なんか突っ走りすぎちゃったみたいで」
「ななお~、特待生ちゃん元気ないじゃん!」
「俺のせいじゃないって! まあ、ほとんど俺のせいじゃない、うん」
「あはは……うん、七緒くんの正直な意見が聞けて、すごく嬉しかった」
残り一人のPrid'sメンバー、
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