宝石の小枝
06
学園名にちなんでか、実力ある生徒たちを誰かが宝石に例えはじめる。たとえが妥当であるほど定着する。トップオブトップ輝崎千紘を、宝石の王たるダイヤモンドと呼ぶことに異論を唱える者はないだろう。
「特待生、お前の声でゴロッゴロの原石たちを磨いてやれ」
荒木が言う〝ゴロッゴロの原石たち〟を磨くすべを特待生は知らない。鉄は熱いうちに打てとは先人の銘だが、ダイヤモンドはどうだろう。
「まさかいきなりPrid'sに行くとはな……ま、結果はその顔見りゃわかる」
「絶対零度まで冷やされた上、モース硬度一〇で打ち砕かれた私の心情、見えますか」
「お前はもうちょっとクレバーなタイプだと思ってたんだが……」
天井を仰ぎ、しばらく思案したのち荒木は口を開いた。
「Prid'sはおそらく、今のお前の手には負えない。頑張りに免じて一つアドバイスをやろう。攻めるならHot-Bloodからいけ」
Prid'sで唯一声をかけそこねた輝崎蛍のことは気にかかっていなくもない。が、ここは荒木のありがたいアドバイスに従おう。Hot-Blood――熱き血潮。凍てつく波動のあとにそんな名前のユニットとは少々シニカルではないか。二年生の教室を目指して廊下の角を曲がると、書籍と資料の山に足が生えた奇妙な生物に出くわした。
(……って、そんなわけない!)
慌てて「持ちます! 持ちます!」と謎生物に駆け寄る。相手の返答を待たずに、今にもバランスを崩しそうな頂上付近の何冊かを奪い取った。
「す、すみません……大丈夫ですから……」
ふわっと肩に舞い降りる淡雪みたいな声。特待生が本の山を黙々と奪い続けると、ようやく生物本体の顔が見えた。
「ああ、特待生さんだったんですね。ありがとうございます」
その笑顔はえも言われぬほど美しく、同時にひどく儚い。肌は透き通るように白く、長身の割に骨格そのものが折れそうなほどか細い。まるでガラス細工だ。
「入学式は大変でしたね。お元気そうで安心しました」
ネクタイは二年生を表す赤。だがその口ぶりは、入学式で例の使命に巻き込まれた特待生を見知っているかのようだ。よくよく聞いてみると荒木との会話後に放心状態の自分をホールまで連れていってくれたという。慌てて平謝りする特待生に、むしろ恐縮する男子生徒は驚くほど低姿勢。
「
「とんでもない。君は女の子でしょう」
「女である前に人間ですから! 一人より二人のほうが楽に決まってます!」
両腕が塞がって無抵抗の零からざっくり半分の荷物を奪ったものの「あ、あれ? 腕の長さが……足りないっ」小柄な自分では白雪零の半分を基準にすると持ちきれない。腕が伸びるか首が伸びるかしたらいいのに、想定量よりずっと少ない書物に埋もれてしまう。
「ふふふ、特待生さんを見ていると郷里の母を思い出します。俺よりずっと小柄なのに、ずっとたくましくて……あっ、うちの母と重ねるなんて失礼ですね。申し訳ありません」
「いえ、 最高の褒め言葉です」
癒し系だ。この人と話していると忙しない気持ちが緩んで、溢れるいたわりの心を分けてもらっているような気分になる。Prid'sによる粉砕のショックも残っていたためか、ふいに涙が滲んできた。
「あー、あはは。なんだか泣けてきました。すみません、簡単に涙が出てしまうタチなので、気にしないでくださいね!」
照れ隠しに口にした一言に、零の微笑みが曇った。
(あれ? 私、まさかまた失言した……?)
ひとまず荷物を届け終わり零に別れを告げ、特待生は二-Lの教室を後にした。山積み書類から解放されたのにむしろ肩が重い。入学早々に荒木のNGワードに触れて間もないのに、またもや大失態をおかしてしまった。
『本当に学園は破綻寸前なんでしょうか? この寮もさっきの講堂も、内装の細部まで凝っていてピカピカで。講堂の定礎は七年前でしたよ。これを見てたら財政難だなんて、信じられるわけが――』
あの質問のどこが気に障ったというのだろう。途方に暮れて肩を落とし、今日も今日とて浮き沈みの激しい特待生を目に留めた人物がいる。
「あれ、特待生じゃない。どうして二年の教室前をうろうろしてんの、学園内を散策?」
「…………あ、
「なんでフルネーム? ミヤでいいよ、みんなそう呼ぶ」
子役時代から舞台で名を馳せているHot-Bloodのエース、雅野椿。荒木先生オススメのターゲットが眼前に立っている。お人形さんみたいと本気で形容できる人類に初めて出会ってしまった。芸術品レベルの彼が立っているだけで空間は一枚の絵画になる。椿が歩けば額縁も動いて、そこにフレームインしようものなら容赦なくモブA、モブBにされてしまう。
「えっと、それではミヤ先輩とお呼びしますね。実はHot-Bloodの皆さんにお願いしたいことがありまして」
「おい、ミヤ! なにサボってんだよ、見つかったのかよ」
柄が悪い。この手の喋りをする人の言葉はオラオラ系の巻き舌が多く、往々にして聞き取りづらいものなのだが、例外的に明瞭に聞き取れる不思議体験を味わっている。椿に続いて現れた男子生徒はいわゆるガタイが良いタイプだ。捲り上げたワイシャツの袖から見える腕だけでも筋肉質なのがわかる。この人は椿の額縁に入ってもモブ化しない。むしろ椿と並ぶとお互いの魅力が余計に際立つ。会話に割り入ってきたオラオラの人を一瞥すると、椿はこれ見よがしに大きく嘆息した。
「話の途中でごめんね、特待生。こんな粗暴な万年反抗期の名前なんか知らないほうがいいよ」
「
「天音ひかりです。加賀谷先輩、よろしくお願いします」
加賀谷蓮もまたHot-Bloodのメンバー。椿より一つ年上の三年生である。
「特待生は俺たちを探してたらしいよ。うちのユニットに話があるみたい」
「そうなんです、実は……」
「へえ? じゃあ俺に話すんだな。このお姫様に言ったが最後、なんでもかんでも噛みつかれてストレスしか残らないぜ」
「いえ、そんなことは……」
「燃やすだけ燃やして火の始末もしないバカの一つ覚えの炎上屋に言われたくないよ!」
「ちょ、あのですね、話を」
「うるっせー、威勢だけのチビ!」
「品性不足のヒト未満! オランウータン!」
(美声の無駄遣い感、半端ない……)
次第にエスカレートしていく舌戦が、非常に残念だ。
(……Hot-Bloodって、熱いってそういう……血の気が多い的な……?)
蓮が現れたときの「おい、見つかったのかよ」という台詞から察するに何か探しものをしていたようなのだが、もはや話題に上らない。当然、特待生のことも見えていない。
「お、お邪魔しました。また伺います……」
小競り合いから逃げ出した特待生は、他のHot-Bloodメンバーに当たるべく中庭に来ていた。「貴様……
周囲を見回しながら歩いていたせいか足元にまで気が回らなかったし、よもやグラウンドに魔導陣が描かれているとは考えもしなかった。
「す、すみません……丹精込めて描かれた魔導陣を……」
「ぬぬ、某の魔導陣を農作物と同等がごとく扱うのはいかがなものか」
「あっ。……えーとほら、マンドラゴラとかありますしね?」
とんちんかんな相槌を打っている場合ではない。目の前にいるのは探していたHot-Bloodメンバーの一人、
「おーい、鈴。なにやってんだよ。昼休みはミーティングだって言ったろ!」
またもや割り込みパターン。この場合、高確率で同ユニットのメンバーが現れる。特待生の予想通り、険しい目つきで駆け寄ってくるのはHot-Blood五人目の
「ったくスタジオ行ったら空っぽなんだもんな! 携帯までシカトしやがっ……ゲフウッ!?」
「わー、かすみくんごめーん」
突然、空から三毛猫……央太が降ってきた。ターザンごっこで乗り移った先が、折れやすい柿の木だったのが落下原因らしい。数日前のデジャブを感じつつ、潰れた霞におそるおそる声をかける。
「あ、あの……鳥羽先輩、ですよね。大丈夫ですか」
霞は無言で微動だにしない。いや、よく見ると細かく震えているようだ。
「お前ら……お前ら、いい加減にしろ――――!」
どこからともなく労いの気持ちが湧いてきて、特待生は霞に向かってそっと合掌した。本気で怒り狂うでもなく、手のかかる子どもたちを前に弱り果てた母親に似た哀愁が漂っている。ゆえに怒声に怖さが感じられない。とりあえず乱れた霞の呼吸が落ち着くのを待ち、すでに顔見知りの央太を除く二人に自己紹介をした。
「そっか。特待生ちゃん、俺たち本当はミーティングの時間でさ。話ならあとで聞くから」
この場でグラン・ユーフォリアへの出演交渉に入りたいところだったが、すまなそうに霞に言われると引き下がるしかない。
「わかりました。またこちらから伺います」
「せっかく探してくれたのに、ごめんね」
レッスン室へ急ぐHot-Bloodの三人を見送っていると、霞が足を止めぬまま振り向いた。
「いい声だね。俺、女性声優はそこまで詳しくないけど誰とも被らない。でも全校集会のプレゼンは荒木先生のコピーって感じで少し残念だったかな。君ならではの演技ができるのか、今度レッスン見学させてよ」
一見すれば穏やかだが、割と辛辣なことをさらっと言われた。至極常識人に見える彼もただ者ではないのだろう。
「荒木先生……難易度高そうです。おすすめはHot-Bloodで本当に間違いないですか?」
ふーっと溜息を吐いて俯くと、グラウンドに似つかわしくない鮮やかな蛍光ピンクが目に飛び込む。特待生はしゃがみこんでそれを拾い上げた。
「あ、ヘアゴムか。一瞬、毛虫かと思った」
「虫……いま毛虫と言ったか」
「はい?」
しゃがんだまま声の方向に向き直ると、へっぴり腰で男子生徒が立ち尽くしている。短髪で長身という点では蓮と似ていなくもないが、パリッと白いワイシャツに清潔感と生活感がある。「ああ、これのことですか」ピンク色のポンポンがついてモジャモジャしたヘアゴムを、特待生は手のひらに載せて差し出した。
「やめろ、やめてくれ、見せるな近づくな!」
「あ、もしかしてRe:Flyの……」
「キャ――――――――――――――ッ!」
イケボが乙女な悲鳴を上げて逃げた。どのユニットを選んでも濃いのは変わらないらしい。爆速で遠ざかるRe:Flyの
あなたのいいねが励みになります