宝石の小枝
07
Hot-Bloodへの協力要請を開始した翌日の放課後、特待生は荒木とレッスン室にいた。特待制度の一つである特別レッスンの時間。いつもはマンツーマンで室内は二人きりなのだが、本日はなんとスペシャルギャラリーのおまけ付き。
「特待生は授業料や寮費の免除だけじゃなく、追加レッスンを受けられるのか。羨ましい」
「ミカみたいな奨学生とはまた違うってことだね。どんなレッスンなんだろ」
「へえ、一年の前期にマイクの前に立てるのか」
「俺は後期からだったけどな~」
「オレは前期からマイクレッスンあった! 中等部上がりだからね」
「なるほど、特待生はそういう扱いなのだな」
レッスンを見たいというHot-Bloodの申し出を承諾したのは自分だ、それは認める。しかしこのギャラリー、距離が近すぎるしよく喋る。端的に言って遠慮がない。困惑を隠せずにいる特待生だが、Prid'sに門前払いを食らった理由を思い出した。
『お前に頼みを聞いてやりたいと思わせる何かがない』
声優として力量が伴わなければ実力者たちの心は動かせない。どうせ避けて通ることのできない道だ。腹を括り、目の前のマイクだけを見る。
「まずはウォーミングアップからだ」
「はい。――あめんぼ あかいな あいうえお! うきもに こえびも およいでる!」
発声練習の定番、アメンボの歌。口の形だけでなく頬や舌の筋肉を意識してはっきりと、喉だけを使わないように声を出す。
「かきのき くりのき かきくけこ! きつつき こつこつ かれけやき……」
「はい、また自己流になっちまってるぞ。出した声は口の前一センチの位置で止める! その感覚を忘れるな」
「ささげに すをかけ さしすせそ! そのうお あさせで さしました!」
「声! また間延びしてる。もう一度だ」
「はい!」
荒木の指導は簡潔で厳しい。
「この先は声を出すより、止める技術のほうが重要になってくる。常に意識しているように」
「はい」
「じゃあ次、台本の……シーン4からいくか。相手役の芝居も想像しながらやれよ。……いや、今日は俺が相手役をやる」
「ふむ。荒木先生と一対一で掛け合いとは羨ましい限りでござるな」
「ん? これミヤが演ってた役じゃねーのか」
「うわ、悪趣味。 荒木先生のチョイスでしょ?」
台本の舞台は中世。男装の麗人である気高き女騎士と、敵対関係にある組織の重要人物たる男。両者退かない剣戟の末、互いに浅からぬ傷を負うが、女騎士がついに男を追い詰める。
「選べ。私と逃げるか、共に死ぬか」
一呼吸置いて、女騎士を演じる特待生は泰然と言い放った。荒木はこの後、隠し持っていた短剣で自らの胸を刺し貫くシーンを演じる、その予定だが――。
(ま、いきなりPrid'sに突っ込んだ度胸と、今日までのレッスンは評価してやるよ。ちったあ手助けしてやるかね)
悪戯な笑みを心中に隠し、荒木は仕掛けに入った。
(さあ見とけよ、Hot-Blood。ここからだ)
熱を帯びた瞳で、女騎士演じる特待生を見つめる。
「……好きにするがいい。愛する君とならどうなっても本望だ」
荒木は予告なしに、台本にない台詞を口にした。宝石が丘で講師を勤めつつ、なお第一線で輝くスター声優のアドリブ。役どころでは息も絶え絶えな状態で音量は絞らざるを得ないのに、存在感を失うどころか惹きつけられる。特待生は無言のまま頭を垂れた。
(おいおい、荒木先生容赦ねーな)
(買い被りすぎ)
(いくらなんでも気の毒ではござらんか)
Hot-Bloodの面々もさすがに口をつぐみながら、各々の感想を抱いたそのとき
「ああ! いつだってこの胸を刺し貫くことができるのはお前だけだ」
女騎士の手から、長剣が転がり落ちてかしゃんと音を立てた。聞こえた。存在しない辺境の川べりや、日の光を受けて輝く長剣が見えた。なおも続く特待生のアドリブに、二人は本当は惹かれ合っていたことも判明する。
(なに、いまの)
(全校集会のときと別人じゃないか!)
ギャラリーが本当の意味で、沈黙する。荒木が驚いた様子はなかった。
「よし、今の発声は悪くないな。そんじゃあ次。もう一つの台本あるだろ、シーン2からだ」
一転して喜劇。初心者なら、ましてや女性なら恥ずかしさが上回る道化役も、吐き気を催す悪役も、ギャラリーの視線など構わず堂々と演じる。
「何をご丁寧に説明してんだよ。プレゼンじゃねーぞ演技だ。聞き手を舐めてんのか?」
「ディティールに気を取られすぎだ。全体を見ろ!」
遠慮のない指導が次々に飛び出す。
(荒木先生が本気で指導している……! 掛け合いも本気演技だ)
役者は台本を読むだけの仕事ではない。演じる役の背景や心情を理解した上で演じる。そのためにわざわざ架空の台詞を考えて脚本を書く役者もいるくらいだ。特待生はそれを最初からできて当たり前のようにやってのける。演技が良いからこそ粗も見える。声量と音域をもっと安定させろ。滑舌も不十分だ。もっと立ち姿を美しく、指先の一つまで自由に操れるようになれば。惜しい、……惜しい。見ているほうが焦れるほど、演技から伝わる心情そのものは際立っている。荒削りの原石が完成の瞬間を待てず、漏れ出す光。レッスンの終了時間には、特待生だけでなく荒木も汗だくになっていた。首にかけたタオルで額を拭いながら、生徒全員に声をかける。
「さて、と。もう俺は行くぞ。お前らどうせこのあと話があるんだろ」
次にHot-Bloodのほうを向いて続ける。
「子役からやってきたお前らは俺とたいして芸歴も変わらん。実力もある。だからこそド素人と関わる機会もほぼゼロだと思うが……何か得たものがあったんじゃないか? じゃあな」
荒木がレッスン室を出て、Hot-Bloodと特待生だけが残される。
「まだ基礎がガタガタ。舞台に上げても使い物になんない」
「ミヤどの、そう意固地にならずとも」
「うっさい」
特待生はまだぼんやりした頭でその講評を聞いている。単純に疲労しているのと、演じてきた感情や情景がぐるぐる脳内を巡っていて戻りきれない。なにか大切な用事があったような気がするのだけど、思い出せない。
「――あ、グラン・ユーフォリアに出てください」
「やだ」
椿の速球ストレートで、ようやく特待生の中に現実が戻ってきた。
「えっと、それは、私の技術が不十分だから……」
「いや、何もお前の演技がどうのこうのって理由じゃねえんだ」
最上級生らしく、蓮がフォローを入れる。
「日程も会場も決まってねえんじゃどうしようもねーよ。だろ、ミヤ」
「そう。こっちはレギュラーの仕事も持ってる身だ。イベント自体が一公演だとしても、それに向けて練習、準備。どれだけ時間を取られると思う? コンディションだって調整しなきゃいけない。成功するかどうかもわからない身内イベントにそこまでする気はないよ」
一転して論理的な蓮と椿の説明に、特待生の頭も冷える。宝石が丘に入学して二週間以上経つが毎日とにかく忙しい。時間がない。ぺーぺーの特待生でさえそうなのに、彼らは声優と舞台俳優としての業務までこなしている。プロフェッショナルとして無責任な仕事はしたくないから安請け合いしない、というのも納得いく理由だ。
「それにね。きみ自身の問題でもあるよ。特待生ちゃんは何しにこの学園に来たの、声優になるためじゃないの?」霞が追い打ちをかける。「こんなことに振り回されて、周りに後れをとらないわけがないだろ。廃校が困るなら、養成所を紹介してあげてもいい」
これもまた筋の通った意見、それに魅力的な提案だ。けれどHot-Bloodのメンバーは何かまだ勘違いしている。特待生が全校集会で一番伝えたかったことが伝わっていない。自らの力量不足を嘆いても仕方ないから、改めて言わねばなるまい。
「先日、グラン・ユーフォリアの具体的な中身を決めるアンケートをお願いしたはずですが、まだ皆さんから回答を受け取っていません。先ほど会場も日程も決まってないと仰いましたが、そのアイデアを出すことさえ、子役時代からこの業界にいても無理なんですか。やってみないとわからないのに、やる前から放棄しちゃうんですか」
「はあ? 言ってくれるじゃん」
「皆さんが他の多くの生徒よりお忙しいのは承知しています。ただ『身内イベントにそこまでする気はない』って仰いましたけど、身内だからこそ……他人事じゃないでしょう!」
語気が荒くなる特待生と、負けじと睨みをきかせる椿の間に霞が割って入る。
「待て待て。感情的に熱くなってもしょうがないだろ。どうせならもっと建設的に勝敗をつけよう。勝てばHot-Bloodは特待生ちゃんに従う。ミヤ、お前はそれでどうだ?」
「いいよ、やってあげる。でも何で勝負すんの? 素人と演技や滑舌で勝負して勝ってもうれしくないんだけど」
「……それなら
申し出たのは鈴だ。ちなみに声優界において肉練とはフィジカルなトレーニング全般を指す。
「りんくん、すごい! オレも特待生ちゃん側につきまーす。だってグラン・ユーフォリア、おもしろそうじゃーん」
「なるほど、肉練勝負ね。蓮さんとはさすがに無理でも、ミヤとなら……?」
「……あっはは。あはははは! いいじゃん、おもしろいよ!」
特待生は心底ぞっとした。綺麗すぎる笑み。熱い血で真紅に染まった椿の花が咲いている。
「ところでさあ、特待生。お前が負けたら、何をくれるわけ?」
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