宝石の小枝

10

椿が手配してくれた劇場を確認してみたところ、立地、アクセス、設備、何もかもが素晴らしい。生徒全員に確認はするが、ここは多数決でなく総指揮である特待生が決定してしまっていいと思っている。会場と日程が決まる、これは大きなことだ。おのずと演目が絞られる。三日間ぶっ通し野外フェスの線もなくなった。会場が決定するらしいとの噂はすでに学園内に広まっており、生徒たちからのアンケートの反応も上々である。筋肉痛のつらさを和らげるほどの進捗に、特待生は上機嫌でコーヒー二杯を荒木の部屋へ運んだ。毎朝の定例報告会に欠かせないお供である。
「Hot-Bloodは落とせたみたいだな。おつかれさん、よくやった」
 椿に影響され、高飛車女王様の目覚ましボイスを試みた特待生に、荒木が少しだけ苦笑いを浮かべる。
「そんな特待生に、オーディション合格のお知らせだ」
「えっ」
 Prid'sに一蹴された特待生は考えた。声優として早く実績を積まなければ、この先もユニットに相手にしてもらえない可能性が高い。そこで、捻出したスキマ時間で厳選したオーディションに出向き、結果を待っていた。
「四つ受けたうちの二つだ。ソシャゲの必殺技、台詞一つのみ。それから幼稚園の先生役。今回限りのちょい役だが……」
「本当ですか! うわー、嬉し……喜んで、いいんですかね」
 話の途中でいきなりテンション急降下した特待生に、荒木がどうしたと問う。
「これが……声優業界の闇。実力以外で声優が売り買いされる現実、なんでしょうか」
 宝石が丘学園唯一の女子生徒、話題性に加え容姿も悪くない。駆け出し未満の自分が採用されてしまうのだとしたら、これはたしかに由々しき事態だ。
「そう自分を卑下するな。まずはおめでとうだな」
「荒木先生のご指導のおかげです」
「親御さんもさぞかし喜ぶだろう。ちゃんと報告しとけよ……ん? ああ、悪ぃ」
 親という言葉に反応して特待生の表情が曇ったのを察し、荒木が詫びる。声優の道を目指すことを快く思わない親がいる生徒も、学園内には多い。これは宝石が丘学園というより声優という職業へのマイナスイメージによるものだ。
「いえ、天音家はそういうんじゃないですよ。私が声優を目指すのを応援してくれてますし、ちゃんと週一回の定期報告もしてますから」
 その他、グラン・ユーフォリアについて幾つかの連絡事項を共有して、特待生は荒木の居室を出た。部屋に残された荒木は引きつった笑いを収めることができない。日進月歩で成長していく特待生に、陰で舌を巻いている。
「レッスン始めて一ヶ月も経ってないやつが受かるほど、声優界も落ちぶれちゃいねーよ」
 特待生の実力は本物だ。だからこそHot-Bloodを前にあれほどお膳立てしてやったのに。どうして肉練勝負にまでこじれたのか理解に苦しむ。退学を賭けて勝負したと聞いたときは肝が冷えた。なぜ率先して崖っぷちを歩く。
「こえーよ、お前の思考回路が全く読めねえよ! あー面倒くせえ……」
 
 荒木のぼやきなど露知らず、特待生は朝食を摂るため食堂のある一階へ階段を下りていく。オーディションに参加して、宝石が丘生たちのレベルの高さを知った。学園外の、一山いくらで売られている声優がどんなものなのかも知った。何より世知辛いのは、一山いくらの声優たちが次々に声をかけられること。それも、見目麗しい者から。一方で宝石が丘内部に目を向ければ、特待生はユニットメンバーのすごさを思い知る。入学式で目に留まった央太と七緒は学園公認ユニットメンバーだった。特待生は演技を見る前からすでに二人に惹かれていたのだ。彼らは全校生徒約一二〇人の中で埋もれることなく自然と目を引いている。
 特待生は、しばしば好戦的になる割には、勝ち負けをつけるのが苦手だ。自分が落ちるよりも、受かって落第組に睨まれると胃が痛くなる。これまでの人生でも、入試や検定で間接的に誰かを蹴落としたことはあっただろうが、それにしたってオーディションは生々しすぎる。
 だからこそHot-Bloodと会えて良かった。椿と勝負できたことはまぎれもない幸運だ。戦いが楽しいとしたら、それは勝っても負けても全力を出し切れたり、有無を言わせないほど圧倒的な実力差を見せつけられたりしたときだ。特待生自身が「こいつになら敗れてもしかたない」と思われる声優に早くならなくてはいけない。入学式から一ヶ月。桜はすっかり緑色の葉を茂らせている。

「加賀谷先輩!」
 三-L前の廊下で見覚えのある背中に声をかける。
「あの、ご相談したいことがあって。いま、少しだけお時間ありますか?」
「……へっ、お、おおお俺にか、なんだ」
 正確には「へあっ?」みたいな裏返った声で蓮が足を止めてくれた。蓮の傍らにいた百瀬が「俺が相談に乗ろうか?」と迫ってきたので「いえ、加・賀・谷先輩にお聞きしたいので」と至上の作り笑いでもって返す。いずれ協力をお願いするのに我ながら大人げない。
「へーえ……。お~いみんな聞いて! かがやんに春が来たよ~!」
 特待生の威嚇に全く動じない百瀬が教室内に喧伝し、廊下にまで「おめでとう加賀谷!」「脱・童貞か!?」とどよめきが漏れてくるのを、特待生は心から申し訳なく思う。
「なんかすみません……」
「お前のせいじゃねえよ……」
 泣きぼくろのすぐ上に一粒の雫が光っている。
 
「動画配信したい?」
「はい。加賀谷先輩の生放送拝聴しました。必要な機材とかアドバイスいただけないかと」
 Prid'sをはじめ、学園内で認められるには実力が必要、しかし駆け出しの自分ができることには限界がある。声を活かせて、かつ自分の強みをアピールできるのは何か。悩み抜いた結果、プログラミング講座の動画を上げることに決めた。
「そういうことなら買い物に付き合ってやるよ。実際に触ってみんのが一番だからな。今日、放課後あいてっか」
「いいんですか?」
 放課後、学園から一時間ほどかけて都心寄りの専門店に向かった。ずらりと陳列されたマイク付きヘッドフォンの中から、目的と価格帯で蓮がおすすめを絞ってくれる。
「どうだ、しっくりくるのあったか? 万人受けなんてものはねえんだ、ある一定のレベル超えたらな」
「……鳥羽先輩」
「ぶっ。おいおい、言うようになったじゃねーか」
 蓮の顔には可笑しさだけでなく嬉しさが滲んでいる。目当てのものを全て買い揃えて店外に出ると、既に日が暮れかけていた。茜色に染まりはじめた街並みを並んで歩き出す。
「はあ? あの公式サイトもシステムも全部お前だけで調達した? 真面目な話、お前それで食っていけるんじゃねーの」
「そうですね……誰かを養うのはともかく、自分一人くらいならいけると思います」
 これから人に教授するような配信をするのに、謙遜しても仕方ない。動画そのものの広告収入は難しくとも、いざという時のポートフォリオにもなる。仕事を干されたときの、家庭教師やIT職への就職も視野に入れている。天音家に頼らない収入源が欲しい。もともとはRe:Flyにどうやってギャラを払うか悩んで閃いたことだ。
「まあ、悪かねえよ。飯のタネを持っとくのは。俺もそうだからな」
「加賀谷先輩ほどの実力者であってもですか?」
「Prid'sだって一〇〇%の保証はねえ」
 宝石が丘が誇るトップユニットであろうとも、保証の確率が上がるだけで安心などできない世界だと蓮は諭す。
「今日三年の教室見て気づいたか? おまえら一年より人数が少ないことに。途中で辞めちまうやつも当然いる。綺麗事じゃ食えねえ。だから、俺はやつらの選択を否定しねえよ」
 特待生は、ほんの少し険しい顔で語りはじめた蓮を見つめ、それからしばらく空を仰ぎ見た。飛行機雲だ。どんなに長く長く描いても、いずれしっぽから消えてしまう。道しるべも終着点もない空を、自分で進路を定めて飛び続ける。
「就活で病んじゃう人とか、ネットでよく見かけるじゃないですか。この業界が終わらない就活みたいに見えてきました。評価されることもあるけど、品定めされて、ときには酷評されるループ繰り返してたら、壊れるほうが正常なんじゃないかって」
 そう口にしてから「あっ」と慌てて弁解の言葉を考える。これでは蓮のことをまともじゃないと言ったに等しい。
「そうだ。この業界なんて狂った人間の集まりだ。常識人ぶってるうちのモブ見ててもわかるだろ」
 蓮の目は茶化すでもなく真剣だった。
「まともに生きる道を残しときてえなら、今度、希望者のみ外部の実力テストやるから受けとけ。宝石が丘のテストはヌルすぎる。高卒資格を与えてやろうっつう良心みたいなもんだ」
「そう、そうですよね! テスト受けてびっくりしました。授業は厳しいし、先生たちすごく熱心なのに……」
「だな。古典の田村なんてよ、助教授のポスト蹴って宝石が丘に来たんだぜ。本当は役者やりたかったけど、自分はその器じゃねーって」
 資料にはない学園内の様々な事情を教えてくれる蓮に感謝しながら、特待生は家路についた。さて、プログラミング講座といってもターゲットもジャンルも際限がない。近く小学校でも授業で取り入れられることが決まっていること、先に〝幼稚園の先生役〟が認められオーディション合格したことから、子ども向けにプログラミングの先生を演じる設定で作っていくことを決めた。機器のセッティングを終えて、試しにざっくりとした内容で収録をしてみる。教える内容に頭がいくと、声色が完全に地声に戻ってしまう。キャラクター付けもまだ曖昧だ。台本はなく、自分で講義内容からキャラクター設定まで考えていく難しさ。
(つらい……ほぼデスクワークなのに汗が吹き出る)
 気がつくと消灯時間の見回りが始まっていた。帰宅してから夕食も摂らず没頭していたことに気づく。自分も霞のように非常食の用意が必要だな、と空腹に耐えながら床についた。
 
 結局、昨晩は動画の公開どころか作成にまで至らず、Twiineのアカウントを作成しただけで終わった。収録してみてわからなかった点を質問しに、お礼がてら蓮の所属するサッカー部へ足を運んだ。
「お前のTwiine見たよ。まあそうなるわな」
 蓮が開口一番そう言ったので特待生は慌てて表情を引き締めた。他にも質問したいことはあるのに、顔に出ていただろうか。
『男子だけの学校を選ぶとかビッチ確定』
『エメラルド様に近づくな、クソ女』
『どーせ売れなくてエロゲに出るパターン』
『ひどすぎる。みんなの百瀬なのに……』
『帝の視界に入らないでほしい』
『しね』
 いずれこの手のリプがくることは覚悟していた。特待生を震撼させたのはその早さだ。アカウントを作って、宝石が丘の生徒ですと呟いて三〇分足らずの出来事。
「いいか、煽るにはそれなりのリスクがある。勝手に燃料投下してくれてんのはありがたいとでも思っとけ。お前は粛々と仕事して結果を出す」
 これが蓮の励まし方なのだろう。Hot-Bloodは優しさを言葉にして向けられない、ひねくれ者のメンバーが二名ほどいる。
 声優業界は厳しい。少し前の特待生なら考えも及ばなかった世界に、いま身を置いている。まだまだ不安と恐ろしさが大きいのは事実だが、ほんの少しだけ不謹慎にも楽しんでいる自分を感じている。雲を描く飛行機が一機だけでないのなら、終わりのない旅路もありかもしれない。
「加賀谷先輩。未来なんて保証されてない業界ですけれど、私はずっと加賀谷先輩のファンでいますね。ずっと先輩の声が聞きたいですから」
 今度来るときはいちご牛乳を差し入れよう。幾つかの質問について蓮にアドバイスをもらい、特待生の胸の内はずいぶん軽くなっている。ご機嫌な彼女を見送りながら、加賀谷蓮は頭を抱えた。
「どうとらえりゃいいんだ……」


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