宝石の小枝
11
「いらっしゃいませ! たからハンバーガーへようこそ!」
ハンバーガーをモチーフにした制服に身を包み、特待生はレジカウンターの内側で来店客にとびきりのスマイルを向けた。しかしその胸中は複雑である。
(研修も受けてない人間にバイトを許可する店もすごいな……。店長も青柳先輩の型破りっぷりを受け入れちゃってる感があったもんなあ……コンプラとは)
始業の三〇分早めに入店して、マニュアルを確認した。思ったより属人化されておらず、初見の特待生でもなんとかこなせそうだ。たからハンバーガーのシステムはなかなか優秀と覚えておこう。そんなふうに久しぶりのアルバイトに新鮮な気持ちを抱かなくもないが、問題はそもそもここで働くことになった理由である。
「お待たせしました、たからタワーバーガーです」
「おっ、来たな! 腹が減っては穿いているパンツの色も忘れるというものだ。そうだろ特待生?」
「それは、どうでしょうね……追試対策、進んでますか?」
「カカカ! 俺を誰だと思っている!」
青柳帝先輩だから不安なんですよ、と言いたい気持ちをぐっとこらえた。宝石が丘学園には〝ユニットメンバーの過半数が赤点をとったら活動休止〟という校則がある。先に行われた一学期中間テスト、Re:Flyメンバーの結果は――
(……夜来先輩以外は全員赤点。よってユニット活動休止の危機、と)
それこそが帝が言っていた〝Re:Fly存続の危機〟の真相である。
帝は特待生の勤務時間分、グラン・ユーフォリアについて話し合うと約束してくれた。ユニットの活動休止が決定してしまったら、参加要請どころではない。まずは追試合格が最初の関門、よって今回のたからハンバーガーでのミーティングは追試対策に当てる。はぐらかされたような釈然としない何かがあるのに押し切られてしまった。あのテストのどこをどうすれば赤点が取れるのか。テスト勉強そっちのけで筋トレと柔軟に明け暮れていた特待生は正直理解に苦しむ。
「オレは……大事なときに風邪引いちゃって……」
「志朗は悪くないよ! 試験科目を間違って教えた俺が悪いんだ!」
(な、なるほど……)
「コスモさんは? いつも成績いいのに……」
「なに、最近どうにも眠気に勝てなくなってきましてね。それだけです。特に食事のあとがつらい。午前中は朝食のあとで眠い。午後は昼食のあとで眠い」
「そんなこと言ってたら一日眠気に襲われていることになるじゃないか」
(だから医務室で寝てたのか……わかるような、わからないような)
「ミカさんは?」
「俺か? 俺は試験があることすら忘れてバイトに行っていた」
(はい論外)
食事の済んだテーブルを片付けながら聞き耳を立てる特待生は、盛大にずっこけて笑いをとるべきなのか真剣に悩んでいた。
「帝、バイトばかりしていると来年もまた三年だぞ。もう一度ダブったら学園にいる間に成人なんだぞ。お前はことの重大さを自覚しているのか」
(ああ……そういえば、青柳先輩は一年生のとき留年してるってどこかで見た)
帝が留年している、と聞くと特待生は違和感がある。数学の授業中、こっそり彼の背中を盗み見ていると、帝は熱心に(不真面目に?)台本読みをしていた。見とがめた教師が難しめの設問で報復を試みると、ほんの数秒黙り込んで彼は完璧な解を出した。途中式が絶対に必要なはずの難問を。
「それにしても……このハンバーガー、大きさがはんぱ(ば)ーがー、ナゲットを投げっと? プッ、くく……」
「……ぷっ、ふふ……」
どうやら立夏のダジャレは逐一コスモに刺さるらしい。言い知れない不安が募る。掃除用具を片付けた特待生がバックヤードを通りかかると、デスクトップPCを前に店長が首を傾げていた。
「ああ、天音さん。今日、青柳くん来てるんだよね」
「はい、お客様としてですが」
「本部との通信がうまくいかないんだけど、どうしてかな。青柳くんに聞けばわかると思うんだ」
頭の回転が速い帝を呼べばあっという間に解決するのかもしれないが、勤務時間分を話し合いに当てると言ってくれている。彼の手を煩わせる前に、自分で対処できることはしておこう
「少しだけ、見させていただいてよろしいですか?」
たからハンバーガーのシステムに精通しているわけではない。各種ケーブルや中継機器のステータス、OSの状態などを確認していくと、ごくありがちな解決方法で修復することができた。
「ありがとう、天音さん。助かったよ!」
「お役に立てて良かったです。……あ、いらっしゃいませー! 店長、レジに行ってきます」
「どうもね~」
店内はそこまで混んでいない。繁忙期でなくて助かったし、だからこそ帝も特待生にアルバイトを任せたのだと思う。そう信じたい。フロアにモップをかけながら、Re:Flyの様子を窺う。
「あーもう! 対数ってなんすか! こんなの人生に必要とは思えないっす」
志朗が泣きそうな声を上げて頭を抱えている。学校の勉強、たしかに役立ちそうなものもあれば、学ぶ意義を感じられないものも多い。存分に勉学に励めることのありがたさを知るのはもう少し後になる。特待生も通った道だ。店内の混雑状況を確認しながら、そろり、と志朗に忍び寄る。
「デシベルってご存知ですか? 声優にとっても身近な単位ですけど」
「わっ! 特待生ちゃん? ……うん、騒音とか……音の大きさだよね、たしか」
こそっと耳打ちしてきた特待生に驚き、恐る恐る答える志朗。
「正解です! 自然数で表すと、小さな音から大きな音まで、すごーく広い範囲に渡りってしまうんですが。そういうときに対数があると便利なんですよ。ちなみに本来は〝ベル〟という単位なんですが、これでもまだ大きすぎるので一〇分の一を意味する〝デシ〟がついてるんです」
「デシリットルのデシだ!」
「ピンポンピンポン! 大正解です」
志朗の顔にぱあっと明るい笑顔が戻る。
「あーオレ憧れてたんだよ。こうやって女の子とテスト勉強するとか。幸せだあ」
手のひらを返したかのように、いそいそ勉強に励む志朗。テストの範囲を間違えただけで、普段は問題ない宙。できるのにやらない帝にコスモ。どうやら追試は問題なさそうだ。
「どうにか今回の留年決定は免れそうだな」
立夏が安堵のため息をつく。特待生も同じ気分だ。帝とは出会って間もない間柄ではあるが、やはり早めに卒業できたほうが声優業にも専念できるのではないかと案じてしまう。ちなみにコスモは「成人どころではない」という噂も聞かなくはないのだが、真相は闇の中である。
「あれ? でもちょっと変ですよね」
単位制では何年生の時分にここまでという明確な制限はなく、必要な単位さえすべて取得すれば高卒資格が得られるはずなのだ。だからこそコスモはあえて単位を取り逃して誰も知りえないほど長く学園に籍を置いているのかもしれない。最悪、三年生になってから留年はあっても、一年生時点で留年決定は考えづらい。
「宝石が丘は単位制だから、基本的に留年という考え方がないのでは……」
その瞬間、場の空気が凍りついた。取り返しの出来ない失言をしたことだけは嫌でもわかる。
「……あっ! 私、調理に戻らないと! 失礼します」
踵を返して逃げるようにキッチンへ駆け込んだ。
(油断した……青柳先輩はさらっと笑い話にするけど、そもそも留年ってセンシティブな話題なのに、私の大馬鹿者!)
荒木や零のときと違って、この失言は完全に特待生の過失だ。一見すれば気さくで親しみやすいユニット。しかしメンバー外の人間との間に圧倒的すぎる溝がある。当然だ、Re:Flyのユニット結成期間は学園随一の長さを誇る。志朗は、特待生が失言したとき帝以上に動揺していた。宙のコスモへの盲従。ほんの少し、特待生の荒木へのそれを思い起こさせる。大人びた、とても高校三年生には見えない帝、コスモ、立夏。一体何があればそんな風に育つのだろう。傷の舐め合い、なんて嫌らしい言葉が浮かんで特待生は首を激しく振った。Re:Fly。直訳するなら〝再飛翔〟というところか。飛ばない、飛べないときがあったことを示唆するようなその名前。
ハンバーガーをモチーフにした制服に身を包み、特待生はレジカウンターの内側で来店客にとびきりのスマイルを向けた。しかしその胸中は複雑である。
(研修も受けてない人間にバイトを許可する店もすごいな……。店長も青柳先輩の型破りっぷりを受け入れちゃってる感があったもんなあ……コンプラとは)
始業の三〇分早めに入店して、マニュアルを確認した。思ったより属人化されておらず、初見の特待生でもなんとかこなせそうだ。たからハンバーガーのシステムはなかなか優秀と覚えておこう。そんなふうに久しぶりのアルバイトに新鮮な気持ちを抱かなくもないが、問題はそもそもここで働くことになった理由である。
「お待たせしました、たからタワーバーガーです」
「おっ、来たな! 腹が減っては穿いているパンツの色も忘れるというものだ。そうだろ特待生?」
「それは、どうでしょうね……追試対策、進んでますか?」
「カカカ! 俺を誰だと思っている!」
青柳帝先輩だから不安なんですよ、と言いたい気持ちをぐっとこらえた。宝石が丘学園には〝ユニットメンバーの過半数が赤点をとったら活動休止〟という校則がある。先に行われた一学期中間テスト、Re:Flyメンバーの結果は――
(……夜来先輩以外は全員赤点。よってユニット活動休止の危機、と)
それこそが帝が言っていた〝Re:Fly存続の危機〟の真相である。
帝は特待生の勤務時間分、グラン・ユーフォリアについて話し合うと約束してくれた。ユニットの活動休止が決定してしまったら、参加要請どころではない。まずは追試合格が最初の関門、よって今回のたからハンバーガーでのミーティングは追試対策に当てる。はぐらかされたような釈然としない何かがあるのに押し切られてしまった。あのテストのどこをどうすれば赤点が取れるのか。テスト勉強そっちのけで筋トレと柔軟に明け暮れていた特待生は正直理解に苦しむ。
「オレは……大事なときに風邪引いちゃって……」
「志朗は悪くないよ! 試験科目を間違って教えた俺が悪いんだ!」
(な、なるほど……)
「コスモさんは? いつも成績いいのに……」
「なに、最近どうにも眠気に勝てなくなってきましてね。それだけです。特に食事のあとがつらい。午前中は朝食のあとで眠い。午後は昼食のあとで眠い」
「そんなこと言ってたら一日眠気に襲われていることになるじゃないか」
(だから医務室で寝てたのか……わかるような、わからないような)
「ミカさんは?」
「俺か? 俺は試験があることすら忘れてバイトに行っていた」
(はい論外)
食事の済んだテーブルを片付けながら聞き耳を立てる特待生は、盛大にずっこけて笑いをとるべきなのか真剣に悩んでいた。
「帝、バイトばかりしていると来年もまた三年だぞ。もう一度ダブったら学園にいる間に成人なんだぞ。お前はことの重大さを自覚しているのか」
(ああ……そういえば、青柳先輩は一年生のとき留年してるってどこかで見た)
帝が留年している、と聞くと特待生は違和感がある。数学の授業中、こっそり彼の背中を盗み見ていると、帝は熱心に(不真面目に?)台本読みをしていた。見とがめた教師が難しめの設問で報復を試みると、ほんの数秒黙り込んで彼は完璧な解を出した。途中式が絶対に必要なはずの難問を。
「それにしても……このハンバーガー、大きさがはんぱ(ば)ーがー、ナゲットを投げっと? プッ、くく……」
「……ぷっ、ふふ……」
どうやら立夏のダジャレは逐一コスモに刺さるらしい。言い知れない不安が募る。掃除用具を片付けた特待生がバックヤードを通りかかると、デスクトップPCを前に店長が首を傾げていた。
「ああ、天音さん。今日、青柳くん来てるんだよね」
「はい、お客様としてですが」
「本部との通信がうまくいかないんだけど、どうしてかな。青柳くんに聞けばわかると思うんだ」
頭の回転が速い帝を呼べばあっという間に解決するのかもしれないが、勤務時間分を話し合いに当てると言ってくれている。彼の手を煩わせる前に、自分で対処できることはしておこう
「少しだけ、見させていただいてよろしいですか?」
たからハンバーガーのシステムに精通しているわけではない。各種ケーブルや中継機器のステータス、OSの状態などを確認していくと、ごくありがちな解決方法で修復することができた。
「ありがとう、天音さん。助かったよ!」
「お役に立てて良かったです。……あ、いらっしゃいませー! 店長、レジに行ってきます」
「どうもね~」
店内はそこまで混んでいない。繁忙期でなくて助かったし、だからこそ帝も特待生にアルバイトを任せたのだと思う。そう信じたい。フロアにモップをかけながら、Re:Flyの様子を窺う。
「あーもう! 対数ってなんすか! こんなの人生に必要とは思えないっす」
志朗が泣きそうな声を上げて頭を抱えている。学校の勉強、たしかに役立ちそうなものもあれば、学ぶ意義を感じられないものも多い。存分に勉学に励めることのありがたさを知るのはもう少し後になる。特待生も通った道だ。店内の混雑状況を確認しながら、そろり、と志朗に忍び寄る。
「デシベルってご存知ですか? 声優にとっても身近な単位ですけど」
「わっ! 特待生ちゃん? ……うん、騒音とか……音の大きさだよね、たしか」
こそっと耳打ちしてきた特待生に驚き、恐る恐る答える志朗。
「正解です! 自然数で表すと、小さな音から大きな音まで、すごーく広い範囲に渡りってしまうんですが。そういうときに対数があると便利なんですよ。ちなみに本来は〝ベル〟という単位なんですが、これでもまだ大きすぎるので一〇分の一を意味する〝デシ〟がついてるんです」
「デシリットルのデシだ!」
「ピンポンピンポン! 大正解です」
志朗の顔にぱあっと明るい笑顔が戻る。
「あーオレ憧れてたんだよ。こうやって女の子とテスト勉強するとか。幸せだあ」
手のひらを返したかのように、いそいそ勉強に励む志朗。テストの範囲を間違えただけで、普段は問題ない宙。できるのにやらない帝にコスモ。どうやら追試は問題なさそうだ。
「どうにか今回の留年決定は免れそうだな」
立夏が安堵のため息をつく。特待生も同じ気分だ。帝とは出会って間もない間柄ではあるが、やはり早めに卒業できたほうが声優業にも専念できるのではないかと案じてしまう。ちなみにコスモは「成人どころではない」という噂も聞かなくはないのだが、真相は闇の中である。
「あれ? でもちょっと変ですよね」
単位制では何年生の時分にここまでという明確な制限はなく、必要な単位さえすべて取得すれば高卒資格が得られるはずなのだ。だからこそコスモはあえて単位を取り逃して誰も知りえないほど長く学園に籍を置いているのかもしれない。最悪、三年生になってから留年はあっても、一年生時点で留年決定は考えづらい。
「宝石が丘は単位制だから、基本的に留年という考え方がないのでは……」
その瞬間、場の空気が凍りついた。取り返しの出来ない失言をしたことだけは嫌でもわかる。
「……あっ! 私、調理に戻らないと! 失礼します」
踵を返して逃げるようにキッチンへ駆け込んだ。
(油断した……青柳先輩はさらっと笑い話にするけど、そもそも留年ってセンシティブな話題なのに、私の大馬鹿者!)
荒木や零のときと違って、この失言は完全に特待生の過失だ。一見すれば気さくで親しみやすいユニット。しかしメンバー外の人間との間に圧倒的すぎる溝がある。当然だ、Re:Flyのユニット結成期間は学園随一の長さを誇る。志朗は、特待生が失言したとき帝以上に動揺していた。宙のコスモへの盲従。ほんの少し、特待生の荒木へのそれを思い起こさせる。大人びた、とても高校三年生には見えない帝、コスモ、立夏。一体何があればそんな風に育つのだろう。傷の舐め合い、なんて嫌らしい言葉が浮かんで特待生は首を激しく振った。Re:Fly。直訳するなら〝再飛翔〟というところか。飛ばない、飛べないときがあったことを示唆するようなその名前。
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