宝石の小枝
12
「俺は、グラン・ユーフォリアに参加してもいいと思ってる」
たからハンバーガーでのアルバイトが円満終了しRe:Flyと特待生が寮へと帰る道すがら、帝が前触れなくそう言った。五人から半歩遅れてうつむき加減で歩いていた特待生は、目を丸くして帝を見上げる。
「あのあとグラン・ユーフォリアについて俺なりに調べてみたんだ。だが何も出てこない。映像記録もなければ写真すらない」
(そう。私の探し方が悪いのか疑っていたけど、青柳先輩でも見つけられないんだ。……というか、探してくれてたんだ)
鼻の奥がツンとなって、特待生は軽く咳き込んだふりをしながら目尻をこすった。
「まさに伝説というか、幻というか……」宙がこぼした感想に、帝が感慨深げに相槌を返す。「旧時代の栄光を葬りたい時期があったのかもな。むしろ、荒木先生がグラン・ユーフォリアについてよく知っているなと不思議なくらいだ」
それは特待生も思っていたことだ。遠く二十年前に断絶したならば、いま二十四歳の荒木と得られる情報に大差はないはずなのに。
「特待生。荒木先生は宝石が丘の卒業生だが……と、その顔だと初耳みたいだな。先生の在学中にはすでにグラン・ユーフォリアは途絶えていた、か」
立夏も帝の言葉に引っかかりがあったようで、神妙な顔をして呟く。宝石が丘学園講師としてではなく、生徒として在学中の荒木であっても、二十年前なら誤差の範囲だ。
「帝は大ホラ吹きの変態ですが、あんがい鋭いところを突いてくるんですよねえ」
「同感です、コスモ先輩」
「そうだな。帝はこういうやつだが、変態で、どうしようもないんだ」
「同感です、夜来先輩」
「こらこらこら!」
特待生の暗く沈んだ顔に気づいたらしい立夏が場を和ませてくれた。それに応えたつもりの特待生は上手に自然に笑えているだろうか。グラン・ユーフォリアの資料は断絶から長い年月を経ることで失われたのか。否、荒木の在学中には残っていたものが、どこかの時点で意図的に葬られたのだ。なんとなく、そんな確信がある。
「伝説、幻……やりましょうよ! 誰も知らない伝説のイベントの復活、上等っすよ」
「ふふ、前向きな志朗は素敵ですね。宙、あなたもいい目をしている」
「あの……コスモさんは……」
「一緒に楽しい夢を見ましょうか」
「はい!」
「そういうことだ、特待生。Re:Flyは五人全員が賛同して初めて答えが出せる」
立夏が特待生の頭をぽんと撫でた。本当に面倒見がいい。
「……あ、ありがとうございます! 皆さん、ありがとうございます!」
立ち止まって何度も何度も頭を下げる。周りの人たちにあらぬ誤解を受けそうだからそろそろやめようか、と宙に指摘されるまで、特待生はお礼の言葉を述べ続けた。
「あ、ちなみにギャラの件ですが、まだ工面中でして……」
「ああ、うん、今回はギャラはいい」
メンバー四人が信じられないものを見るかのように固まって、帝を凝視している。
「特待生が……特待生が店長にいたく気に入られてな。ギャラを得る前に俺の雇用が危ない。これでは本末転倒だ」
「あっははは! ミカさん、ヤブヘビじゃないっすかー」
Re:Flyの参加表明を取り付けた。帝が特待生の知らないところでグラン・ユーフォリアについて調べてくれていた。喜ばしいことが立て続けに起こったのに、特待生の心は晴れない。
帝とコスモの居室はL棟二〇八号室にある。事前にline で「受け取ってほしいものがある」と伝え、特待生はL二〇八を訪ねた。出迎えた帝に対し、特待生は後ろ手に何かを隠しながらもじもじと俯く。意味深な行動に帝も漠然とした期待のようなものを感じ取って、思わず頬を染めた。
「こ、これっ! 受け取ってください!」
特待生が差し出したのはハートのシールで封緘された恋文……ではなく白い紙の包み。
「青柳先輩がお好きな、牛のお肉です」
特待生は持参した霜降り黒毛和牛(すき焼き用、四〇〇グラム)の包みを差し出した。帝が部屋で自炊しているという情報はリサーチ済みだ。
「先日は申し訳ありませんでした。それでは失礼します」
回れ右して立ち去ろうとする特待生の首根っこを帝が掴む。謝らなくてはいけない、でももう触れてはいけない。渡すものだけ渡してすぐに帰ろうと思っていたのだ、特待生は。そんな彼女に帝は意外なことを口にした。
「こら待て。差し入れたからには君も一緒に食べていくといい」
正直、寮の居室でどれほどの料理ができるのかと特待生は疑心を抱いていた。狭いし、洗い場も調理台もなくて作業効率も悪いはずだ。蒸気やら油汚れやら、部屋の匂い移りも気になる。
「ハウスクリーニングのバイトをしたことがあってな。プロのノウハウを教えてやらなくもないぞ、有料で」
「は、はあ。またの機会に……」
帝はてきぱきと折りたたみの簡易調理台を組み立て、ベストな位置に調理器具と各種調味料を配置している。さながらシステムキッチンである。調理台はもちろん金属製で、火災にも配慮がなされている。
「あ、でも火災報知器……なんでもないです」
LEDが点灯していないのは偶然壊れているからなのだ。きっと偶然壊れている。気まずくてベランダに目を向ければ、しなびて売り物にならなくなった大根が、スライスされた状態で干されいる。さらに、室内に見えるガラス瓶は――
(わあー、もやし栽培してるよこの人……)
もやしは実は素人でも手軽に栽培できる。一袋三〇円以下で入手できる食材をわざわざ栽培するのかという問題はあるが。部屋を見回すほど、かえって妙な気持ちになってくるので、諦めた特待生は帝に視線を戻す。見惚れてしまう。手際の良さ、鍋を揺する腕のたくましさ、制服にエプロン、凛々しい横顔(一部は特待生の趣味嗜好です)。これはこれで目のやり場に困る。コスモが在室なら世間話でもできただろうに、今日は夜遅くまで戻らないらしい。
「さ、できたぞ。久方ぶりの牛の肉!」
「わああ……。いただきます」
「うむ、いただきます!」
メインのすき焼きの他にも、多くの副菜が並ぶ。全体的に茶色かった料理にも、仕上げは抜かりなく彩りが添えられ、食欲をそそる。脂っこい料理や濃い味付けのものは少ない。口に運んだ瞬間おいしいと思い、しばらくして身体がおいしいと言う。どれも素材を活かして身体にじんわり染みてくるような滋味がある。
「ふおお……。おいしい! むっ、これは……おいしいなあ……」
「さっきから君はそればかりだな。声優たるもの、食レポにも独自性と多彩さが求められるぞ。ちょっと意識してやってみたらどうだ」
帝の指摘はもっともだ。特待生は気の利いた台詞を生み出そうと首を捻ったが、しばらく思案したのち両手を上げて降参のポーズをとった。
「……だめです。今はちょっとお仕事抜きにしましょうよ。難しいこと考えてたらお料理がもったいないです。はあ~、いい匂い、おいしい~……」
改善の兆しが見えない特待生に、帝も呆れ半分破顔する。
「わかったわかった。ほら、落ち着いて食べろ」
「青柳先輩、料理を教えてください。週に何回か、一緒にお料理させてください」
二人揃って食後の後片付けに取り掛かる中、特待生がおもむろにそう切り出したので、帝は面食らってしまった。
「もちろん青柳先輩にもメリットはあります。そのときの食材費は私が負担、でどうですか? 節約料理を学ぶのが目的なので、そこまで贅沢はしませんが」
帝のツボを心得ているらしく、交渉材料を示しながら特待生は言った。それでも帝は難色を示す。
「いや、君は食堂があるだろう? 十分に安いし、美味いし、他の生徒との交流も必要だ」
「それなら週一回でも構いません」
じいっと目を合わせて食い下がる特待生に、帝は仕方なく次の言葉を選ぶ。
「料理を習いたい。その他に何かあるな?」
「……」
「君がそうそう簡単に折れないのは知っている。正直に言いたまえ」
帝も負けじと視線で押し返す。断定に近い帝の言い様に特待生も観念したのか、ふっと目を逸らして俯いた。
「ちょっとだけ……心配です。ぺーぺーの私でさえ毎日忙しいのに、声優業にアルバイト、自炊までしている青柳先輩が。お肉だって豚とか牛のほうが効率的な栄養素もあるでしょう? 余計なお世話ってわかってますが、性分なんです」
「正直だな」
貧すれば鈍するなんて言葉もあるのに、帝は頑張りすぎるほど頑張っている。彼の重荷にならない方向で、どうにか少しでもサポートできないか。……グラン・ユーフォリアの総指揮として。特待生には大義名分がある。
「ふむ……」
今度は真摯に見つめる二つの瞳をはぐらかすことができなかった。彼女は先日三-Lの教室を訪れ、放課後に加賀谷蓮と二人で街へ出かけたらしい。いとこの椿とも仲良くやっていると聞く。グラン・ユーフォリア開催に向けて、彼女は学園内で日に日に影響力を増していくだろう。Hot-Bloodだけが彼女と懇意にしているのだとしたら……Re:Flyのリーダーとして指を咥えて見ているわけにはいかない。青柳帝には大義名分がある。
「いいだろう。これからよろしく、特待生」
黙々と拭き上げられ、積み重ねられる皿。久しぶりの牛肉を味わうことなどすっかり忘れていたと、まだ帝は気づいていない。
たからハンバーガーでのアルバイトが円満終了しRe:Flyと特待生が寮へと帰る道すがら、帝が前触れなくそう言った。五人から半歩遅れてうつむき加減で歩いていた特待生は、目を丸くして帝を見上げる。
「あのあとグラン・ユーフォリアについて俺なりに調べてみたんだ。だが何も出てこない。映像記録もなければ写真すらない」
(そう。私の探し方が悪いのか疑っていたけど、青柳先輩でも見つけられないんだ。……というか、探してくれてたんだ)
鼻の奥がツンとなって、特待生は軽く咳き込んだふりをしながら目尻をこすった。
「まさに伝説というか、幻というか……」宙がこぼした感想に、帝が感慨深げに相槌を返す。「旧時代の栄光を葬りたい時期があったのかもな。むしろ、荒木先生がグラン・ユーフォリアについてよく知っているなと不思議なくらいだ」
それは特待生も思っていたことだ。遠く二十年前に断絶したならば、いま二十四歳の荒木と得られる情報に大差はないはずなのに。
「特待生。荒木先生は宝石が丘の卒業生だが……と、その顔だと初耳みたいだな。先生の在学中にはすでにグラン・ユーフォリアは途絶えていた、か」
立夏も帝の言葉に引っかかりがあったようで、神妙な顔をして呟く。宝石が丘学園講師としてではなく、生徒として在学中の荒木であっても、二十年前なら誤差の範囲だ。
「帝は大ホラ吹きの変態ですが、あんがい鋭いところを突いてくるんですよねえ」
「同感です、コスモ先輩」
「そうだな。帝はこういうやつだが、変態で、どうしようもないんだ」
「同感です、夜来先輩」
「こらこらこら!」
特待生の暗く沈んだ顔に気づいたらしい立夏が場を和ませてくれた。それに応えたつもりの特待生は上手に自然に笑えているだろうか。グラン・ユーフォリアの資料は断絶から長い年月を経ることで失われたのか。否、荒木の在学中には残っていたものが、どこかの時点で意図的に葬られたのだ。なんとなく、そんな確信がある。
「伝説、幻……やりましょうよ! 誰も知らない伝説のイベントの復活、上等っすよ」
「ふふ、前向きな志朗は素敵ですね。宙、あなたもいい目をしている」
「あの……コスモさんは……」
「一緒に楽しい夢を見ましょうか」
「はい!」
「そういうことだ、特待生。Re:Flyは五人全員が賛同して初めて答えが出せる」
立夏が特待生の頭をぽんと撫でた。本当に面倒見がいい。
「……あ、ありがとうございます! 皆さん、ありがとうございます!」
立ち止まって何度も何度も頭を下げる。周りの人たちにあらぬ誤解を受けそうだからそろそろやめようか、と宙に指摘されるまで、特待生はお礼の言葉を述べ続けた。
「あ、ちなみにギャラの件ですが、まだ工面中でして……」
「ああ、うん、今回はギャラはいい」
メンバー四人が信じられないものを見るかのように固まって、帝を凝視している。
「特待生が……特待生が店長にいたく気に入られてな。ギャラを得る前に俺の雇用が危ない。これでは本末転倒だ」
「あっははは! ミカさん、ヤブヘビじゃないっすかー」
Re:Flyの参加表明を取り付けた。帝が特待生の知らないところでグラン・ユーフォリアについて調べてくれていた。喜ばしいことが立て続けに起こったのに、特待生の心は晴れない。
帝とコスモの居室はL棟二〇八号室にある。事前に
「こ、これっ! 受け取ってください!」
特待生が差し出したのはハートのシールで封緘された恋文……ではなく白い紙の包み。
「青柳先輩がお好きな、牛のお肉です」
特待生は持参した霜降り黒毛和牛(すき焼き用、四〇〇グラム)の包みを差し出した。帝が部屋で自炊しているという情報はリサーチ済みだ。
「先日は申し訳ありませんでした。それでは失礼します」
回れ右して立ち去ろうとする特待生の首根っこを帝が掴む。謝らなくてはいけない、でももう触れてはいけない。渡すものだけ渡してすぐに帰ろうと思っていたのだ、特待生は。そんな彼女に帝は意外なことを口にした。
「こら待て。差し入れたからには君も一緒に食べていくといい」
正直、寮の居室でどれほどの料理ができるのかと特待生は疑心を抱いていた。狭いし、洗い場も調理台もなくて作業効率も悪いはずだ。蒸気やら油汚れやら、部屋の匂い移りも気になる。
「ハウスクリーニングのバイトをしたことがあってな。プロのノウハウを教えてやらなくもないぞ、有料で」
「は、はあ。またの機会に……」
帝はてきぱきと折りたたみの簡易調理台を組み立て、ベストな位置に調理器具と各種調味料を配置している。さながらシステムキッチンである。調理台はもちろん金属製で、火災にも配慮がなされている。
「あ、でも火災報知器……なんでもないです」
LEDが点灯していないのは偶然壊れているからなのだ。きっと偶然壊れている。気まずくてベランダに目を向ければ、しなびて売り物にならなくなった大根が、スライスされた状態で干されいる。さらに、室内に見えるガラス瓶は――
(わあー、もやし栽培してるよこの人……)
もやしは実は素人でも手軽に栽培できる。一袋三〇円以下で入手できる食材をわざわざ栽培するのかという問題はあるが。部屋を見回すほど、かえって妙な気持ちになってくるので、諦めた特待生は帝に視線を戻す。見惚れてしまう。手際の良さ、鍋を揺する腕のたくましさ、制服にエプロン、凛々しい横顔(一部は特待生の趣味嗜好です)。これはこれで目のやり場に困る。コスモが在室なら世間話でもできただろうに、今日は夜遅くまで戻らないらしい。
「さ、できたぞ。久方ぶりの牛の肉!」
「わああ……。いただきます」
「うむ、いただきます!」
メインのすき焼きの他にも、多くの副菜が並ぶ。全体的に茶色かった料理にも、仕上げは抜かりなく彩りが添えられ、食欲をそそる。脂っこい料理や濃い味付けのものは少ない。口に運んだ瞬間おいしいと思い、しばらくして身体がおいしいと言う。どれも素材を活かして身体にじんわり染みてくるような滋味がある。
「ふおお……。おいしい! むっ、これは……おいしいなあ……」
「さっきから君はそればかりだな。声優たるもの、食レポにも独自性と多彩さが求められるぞ。ちょっと意識してやってみたらどうだ」
帝の指摘はもっともだ。特待生は気の利いた台詞を生み出そうと首を捻ったが、しばらく思案したのち両手を上げて降参のポーズをとった。
「……だめです。今はちょっとお仕事抜きにしましょうよ。難しいこと考えてたらお料理がもったいないです。はあ~、いい匂い、おいしい~……」
改善の兆しが見えない特待生に、帝も呆れ半分破顔する。
「わかったわかった。ほら、落ち着いて食べろ」
「青柳先輩、料理を教えてください。週に何回か、一緒にお料理させてください」
二人揃って食後の後片付けに取り掛かる中、特待生がおもむろにそう切り出したので、帝は面食らってしまった。
「もちろん青柳先輩にもメリットはあります。そのときの食材費は私が負担、でどうですか? 節約料理を学ぶのが目的なので、そこまで贅沢はしませんが」
帝のツボを心得ているらしく、交渉材料を示しながら特待生は言った。それでも帝は難色を示す。
「いや、君は食堂があるだろう? 十分に安いし、美味いし、他の生徒との交流も必要だ」
「それなら週一回でも構いません」
じいっと目を合わせて食い下がる特待生に、帝は仕方なく次の言葉を選ぶ。
「料理を習いたい。その他に何かあるな?」
「……」
「君がそうそう簡単に折れないのは知っている。正直に言いたまえ」
帝も負けじと視線で押し返す。断定に近い帝の言い様に特待生も観念したのか、ふっと目を逸らして俯いた。
「ちょっとだけ……心配です。ぺーぺーの私でさえ毎日忙しいのに、声優業にアルバイト、自炊までしている青柳先輩が。お肉だって豚とか牛のほうが効率的な栄養素もあるでしょう? 余計なお世話ってわかってますが、性分なんです」
「正直だな」
貧すれば鈍するなんて言葉もあるのに、帝は頑張りすぎるほど頑張っている。彼の重荷にならない方向で、どうにか少しでもサポートできないか。……グラン・ユーフォリアの総指揮として。特待生には大義名分がある。
「ふむ……」
今度は真摯に見つめる二つの瞳をはぐらかすことができなかった。彼女は先日三-Lの教室を訪れ、放課後に加賀谷蓮と二人で街へ出かけたらしい。いとこの椿とも仲良くやっていると聞く。グラン・ユーフォリア開催に向けて、彼女は学園内で日に日に影響力を増していくだろう。Hot-Bloodだけが彼女と懇意にしているのだとしたら……Re:Flyのリーダーとして指を咥えて見ているわけにはいかない。青柳帝には大義名分がある。
「いいだろう。これからよろしく、特待生」
黙々と拭き上げられ、積み重ねられる皿。久しぶりの牛肉を味わうことなどすっかり忘れていたと、まだ帝は気づいていない。
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