宝石の小枝

13

 五月も中頃に差し掛かる土曜日、特待生は都内にあるスタジオで声優としての初仕事〝某ソシャゲの必殺技ボイス〟に挑んでいた。レア度の低いキャラなので台詞は一つのみだが、モチーフとなった神話を読み込んだり、キャラクターの絵でイメージを膨らませたりしながら、特待生なりに精一杯演じたつもりだ。何度かリテイクはあったが無事OKをもらい、複数ある収録ブースのうち、メインキャラクターとしてアニメパートもある椿の収録を見学させてもらっている。
「はあ……すごい……」
 溜息まじりにその演技を見守る。絵が動くだけでも十分にキャラクターの魅力は出ているのに、椿が声を当てた途端にさらに厚みが出て、キャラクターが生き生きとして見える。まさに声で命を吹き込む瞬間を目の当たりにした。
「お疲れ様でした!」
 ほぼリテイクなしで収録室から出てきた椿に声をかける。
「ああ、お疲れ。ずっとそこで見てたの?」
「はい! ずっと見惚れていました!」
 興奮冷めやらぬ特待生のテンションにやや引きながらも、椿は顔を赤らめる。
「あっそ! 見てるだけじゃなくちゃんと学んでよね。で、このあとどうすんの?」
「せっかく都心まで出てきたので、寄り道して服を補充しようかと」
「ふーん……」
 椿は特待生の頭のてっぺんから爪先までを無遠慮に眺める。試着しまくること前提で選ばれた特待生の今日の服装は無地かつシンプル。無難オブ無難。
「そういうことなら、付き合ってやらなくもない。その格好、見るに堪えないし」
 慣れたつもりでも時折ものすごい破壊力で特待生のメンタルを攻撃してくる椿。いろいろ理由があって今日は一人で選びたいと主張したのだが、押し切られてしまった。そんなわけで特待生は椿と一緒に都内デパートのファッションフロアにいる。
「――はあ? このまえ蓮と一緒に出かけたらSNSに色々書かれたから目立たない服装にしたい、そんな理由で服を選びに来たわけ? あのゴリラそんなんで潰れるほど繊細じゃないし」
 私服も抜かりなく美しい椿に怒られるのは致し方ない部分もある。が、あのとき蓮が自分を手助けしてくれたことまで否定されているようで、特待生は少々むっとした。
「ほっといてください。私が加賀谷先輩にご迷惑をかけたくないんです。だいたい信条をテコでも曲げない点では、椿先輩も青柳先輩も同類だし、私よりずっとずーっと上でしょう」
「はあ? なにそれ、どういう意味」
「椿先輩がご自分の思う正しさを貫いて気高く生きるのも、青柳先輩が己の性欲(リビドー)について堂々と語るのも、根っこは同じじゃないですか。お二人とも『これが自分だが何か?』って顔してます。最初は全然似てないと思いましたけど、やっぱりいとこなんですね」
「いや……うっ、わからなくもないけど……俺の生き方をアレと同列に語らないでもらえる……?」
 椿はきまり悪そうにあたりを見回し、近くに陳列されたスカートを目に留めると手にとって特待生の腰にあてがった。
「これ、悪くないんじゃない? 髪色にも合うし、丈もよさそう」
「あ……今日はスカートはなしにしたいんですよね。言い忘れていてすみません」
 宝石が丘学園の建物は総じてとてもオシャレだ。校舎はレトロモダンな洋館風の外観で、教室内の照明もむき出しの蛍光灯ではなく吊るしのものを使うなど、細部にまでこだわっている。学生寮に至っては完全にデザイナーズマンションだ。それは良いのだが、やたらにガラスを用いた内装が多い点に特待生は物申したい。図書室の吹き抜けやリビングの階段など、スカートで歩くのをためらう場所ばかりである。実質男子校の現状では誰も気に留めないのかもしれないが、はっきり言って生活しづらい。
「たしかに、やたらジャージでうろついてたね」
「はい。だから今日はパンツとそれに合う服を買い足そうかと」
「ああ~、目立たないようにとか覗かれないようにとか、そんな理由で服選ぶとか、やってらんない!」
 この場合、やってられなくてキレるのは特待生が適任だと思うのだが、椿はおもむろにスマートフォンを取り出すと、ものすごい勢いで文字を打ちはじめた。
「はい、これでよし。お前はどうみたってかわいい……系の! 顔なんだからスカートのが合ってるの! ほら、これとこれ、ちゃっちゃと試着する」
 強いアクセントで〝系〟を強調しつつスカートを押し付けてくる椿に、特待生は動転し説明を求めた。
「え、え、意味がわからないんですけど。スマホで何されてたんですか?」
「なんでもない。天神(てんじん)にlineしただけ」
「菅原道真公ですか」
「ばっかじゃないの」
 やだ、何か目覚めそう……と思いながらも、迫力に気圧された特待生は試着室へ向かった。
 
「あーあ疲れた。お腹すいたしお昼にするよ」
 連れてこられたのは小洒落たリストランテだ。技巧が凝らされた高級感のある調度品と、すらりとして品の良いウェイターに出迎えられる。
「雅野様、いつもご贔屓にしてくださりありがとうございます」
 ただでさえ予算オーバーの服を買ってお財布が心もとない特待生は、こわごわと椿の後についていく。しかしこんなご立派なお店に連れてこられるのなら、椿の見立てた服に着替えておいたのは正解だったかもしれない。
「馴染みの店だし今日は俺のおごりでいいよ」
「え、いえ。そんなわけには……」
「お前が払うと俺が恥をかくの! それがお望み?」
「め、滅相もございません」
 誰かに椅子を引いてもらって席につくなんていつぶりだろう。ウェイターが椿にメニューを手渡し、口頭で本日のおすすめなどを伝えている。
「特待生、食べられないものはある?」
「え、ありません。特に」
「遠慮してんの? 誰にでも一つくらいあっていいじゃん?」
「いえ本当にないです。アレルギーもないです。なんでも美味しくいただきます」
「あっそう……」
 なぜか不満そうな椿は、やや頬を膨らませながら続けた。「ま、ミカなんかは、なんでも食べるし。それでいてちゃんと味の違いがわかるからね」
 ドヤ顔という響きがこれほど似合わない人もいないな、と特待生は小さく吹き出した。
「椿先輩は青柳先輩が大好きなんですね」
「はあ!? な、なんでそうなるの!」
 見たまま聞いたままの感想を述べたのだが、やはり椿は予想通りの反応を返す。なおも突っかかってくる彼を保護者的な笑みで諌めていると、さっそく前菜が運ばれてきた。
「おっ美味しい! ふわぁ……!」
 今日のところは椿にすべてお任せしたコースメニュー。新鮮なベビーリーフにドライいちじくと胡桃をアクセントに効かせたサラダ。野菜の風味をぎゅっと詰め込んだスープ。驚くほど柔らかいのに旨味が溢れ出してくる子羊のグリル。
 口に運んで、舌に載せて味わって、噛み締めてまた味わって、喉ごしと鼻に抜ける香りまで余すところなく堪能する。
「一口ごとにニマニマして気持ち悪いんだけど」
 毒づきながらも椿も嬉しそうに笑っている。
「だって……すごく美味しそうで美味しくて……お店の雰囲気も最高です!」
 料理そのものだけでなく、器や盛り付けの見た目も良く、旬を取り入れて季節感があり、野菜もたっぷり、美容にも良さそうなものばかり。お値段にさえ目を瞑れば夢見心地だ。しかし悲しいかな、肉にナイフを入れた感触に、野菜の瑞々しさと香り高さに、庶民センサーが「これは高いよ」と訴えかけてくる。
 何よりそつのないテーブルマナーで食べ進める椿が、優雅で華やかな非日常の食卓を演出している。椿なら、アイドル扱いの声優雑誌より、ハイブランドで固めたファッション誌がしっくり来そうだ。一般人お断りのオートクチュールを纏い、凛と立っているだけで、紙面からオーラが滲み出るに違いない。ただでさえ綺麗なのに、立つ、歩く、振り返る、照れ隠しに一房の髪をつまむ。所作の一つ一つが、カトラリーを手に取る指先一つが、圧倒的に美しい。
「宝石が丘は容姿端麗な人が多いですが、椿先輩がダントツですね!」
「何を言ってるんだか。合格発表のときに会ったの忘れてたくせに」
 入学式の日、廊下で交わした会話をまだ覚えているらしい。あのときの特待生はそれどころではなく、声も出せずに困惑していただけだというのに、椿は案外執念深いのだろうか。慌ててフォローに入る。
「あ……それはその。実は私、記憶喪失なんです」
 特待生の突然の告白に、椿はフォークを手にしたまま固まった。刺さっていたフルーツがぽとりと落ちる。
「合格発表の日の帰り道、乗っていたバスで事故に遭いました。完全な記憶喪失でなく、部分的に欠けがありまして……心肺停止状態がそれなりに続いたので、脳へのダメージはあるかもしれないとのことらしいです」
「何それ。大丈夫なの? 隅々までちゃんと検査した? べ、別に心配とかじゃなくて、調子が悪い言い訳にされても困るから」
「その点はご心配には及びません。ふふ、肉練勝負したこと忘れちゃいましたか?」
「あーはいはい、もちろんちゃんと覚えてるよ」
 特待生が少し意地悪っぽく笑ってみせたので、椿も安心したようでそれ以上は問い詰められなかった。
 
「な、なにごと……?」
 至高のランチを堪能して学生寮に帰り着くと、ヘルメットに作業着を身につけた、どう見ても生徒以外の一団が何か作業している。しばらく観察していると、内装のガラス部分に半透明のフィルムを貼って磨りガラス風にリフォームしているようだ。とはいえホームセンターで売っている覗き見防止用のものとは別格の、高級感溢れる仕上がりである。
「盲点だったな」
「うむ、ヴィオレッタにサンクスアロット! これでミーも安心だ」
 背後の会話が耳に入る。ヴィオレッタと聞いて真っ先に浮かぶのは、小デュマによる著名な戯曲、椿姫。宝石が丘には特待生以外の女子生徒はおろか教員すらいないが、椿姫と呼ばれるような心当たりもない。字面でいえば単純に椿の顔が浮かぶが、様々な観点から問題がありまくる。何かの隠語だろうか。気になって声の方向に振り向けば、宝石が丘の制服にヘルメットを被って会話する男子生徒が二人。その顔に特待生は心当たりがある。
「あの……? もしかしてエメ☆カレの……」
「Oh! 直接話すのは初めてだな、レディ? ザッツライト、ボクはエメ☆カレの天神(てんじん)陽人(はると)だ」
「同じく、見明(みあけ)佐和(さわ)だよ。はじめまして。特待生ちゃん、でいいか?」
「天音ひかりです、ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
 陽人はまるで太陽。それも高温多湿の日本でなく、異国の地で燦々と輝く太陽。対する佐和はクールで澄んだ水の流れを思わせる。
「HAHAHA☆ 気にすることはない」
「お前の手腕は聞いているよ。グラン・ユーフォリアの出演交渉で、Hot-BloodとRe:Flyを落としたってね」
「うむ! 噂を聞いてミーもキミのことが気になっているようだ。どうだろう、仲良くしてやってくれないか」
「ミーさん、ですか?」
「美和(みわ)(ともえ)。俺たちの大切な宝物だ」
 その名前ならよく知っている。クラスは違うものの同じ一年生。学年合同授業で見るたび、気にならないわけがなかった。ふわふわのロングヘア、アイドル顔負けの可愛らしい顔立ち、特待生と同じ制服のスカートにコルセットを着けてアレンジしている。しかし特待生が〝たった一人の女子生徒〟と言い切られるのはそういうことだし、加えて巴の腕の中でいつも大事そうに抱えられた犬のぬいぐるみは彼女、いや彼のA/Tフィールドにしか見えない。
「私も美和くんとお友達になりたいと思っていました。こちらこそお願いします!」
「うん、いい答えだ。ただし――」
 ずい、と佐和が特待生に歩みよった。あまりに勢いがあるので特待生は後ずさり、なおも近づいてくる彼によってとんとん拍子に壁際まで追い詰められた。佐和の顔が小さい子をあやすような微笑みから一転してどす黒い何かを孕むものに変わる。
「変な真似はなさんなよ。ミーに害をなすやつは、男だろうと女だろうと容赦しない」
 人生初の壁ドン体験は「カツアゲされたらたぶんこんな感じ」という感想に尽きる。そもそも身長差がありすぎて、胸キュンどころか恐怖しか湧かなかった。いったい自分が何をしたというのだろう。身動きの取れない中、とにかく佐和を懐柔しなくてはと特待生は焦った。
「でっ、では私のことを知ってください。そうしたら美和くんと話しても安心ですよね? 私もエメ☆カレの皆さんのことが知りたいです。悪くない取引だと思います」
「へえ……取引ね。かわいい顔して聞き捨てならない、何を企んでいるんだろうな?」
 帝と交渉したイメージが漠然と残っていたせいか、エメ☆カレにも同じような持ちかけ方をしてしまった。懐柔作戦は完全に裏目に出てしまったらしい。Re:Flyに傷跡を感じるとするなら、彼らは現在進行形の生々しい傷を負っている。猜疑に満ちた目、彼らの信用を得るのは容易ではなさそうだ。

あなたのいいねが励みになります