宝石の小枝
16
「嵐真を懐柔したみたいだね」
ライブから帰宅後の夜。寮の廊下を歩いていると、佐和に背後から声をかけられた。先日の壁ドンを思い出して少しだけ身がすくむ。それに、まるで籠絡したようなその言い方はいかがなものか。不服の感情を示すべく特待生は声域を少しだけ低くした。
「懐柔かどうかはわかりませんが……嵐真くんと小野屋くんからはグラン・ユーフォリアへの賛同をもらいました」
「ふーん……。おめでとさん、明日はハルと出かけるんだろ」
「はい、お誘いを受けています」
「じゃあ俺もお手並み拝見といこうかな。おやすみ、特待生ちゃん」
宝石が丘の三年生は軒並み精神年齢が高そうで、蓮や立夏のように頼りになることもあるが、腹の中に一物持っていそうなメンツも多い。やりづらい……というかシンプルに怖い。耳にこびりついていたライブの熱狂が、いまのやり取りで完全に払拭された。明日も気が抜けない。
翌日、陽人に誘われてやって来たのはエメ☆カレでヘリオドール役を務める彼のミニライブ。あずき、佐和も一緒についてきて、客席から程よく距離を置いた場所で彼のトークを眺めている。Hot-Bloodの朗読劇に見る演技とはまた違う魅力。小気味よく、それでいて気遣いあるトークが観客を飽きさせない。これが高校生、同じ学園に通う生徒だというのか。朗々と響く声、人の目を惹きつけて離さない華やかさ。機転の良さ。プロフェッショナルの仕事だ。近頃、テレビでは素人いじりの番組が流行っていて、たまに声の通るセミプロっぽい人も見る。たぶん人前に立つことに慣れているような、営業とか、プレゼンをよくやるとかそういう人なのだろうが、陽人は次元が違うことがよくわかる。
「すごい、キラキラしてる……」
「だろ、ハルには生まれ持った華があるんだ。苦労知らずの金持ちと見られがちだが、それだけじゃない。原作のキャラをたてる謙虚さも、ちゃんとある。もちろん、キャラを離れた仕事ではいつもの調子も出すけどね」
特待生は驚いて傍らの佐和を見た。憧れにも似た眩しそうな視線を陽人に向けている。ユニットの中では良きお兄さん的ポジションの佐和は、この会場まで向かう道中だけでもメンバーに慕われ、頼られていることが伺えた。しかしそれとは一線を画す、陽人にだけ向けるこの表情はなんなのだろう。
「おーい、佐和くん、嵐真、アズ! ここで見てたんだね」
「おお、ヒナさん」
学年が違うため、ランニング以外ではそれほど顔を合わせない碧鳥が遅れて合流する。
「特待生さん、ランニング以外で会うのは珍しいよね。ジャージで頑張っている姿も素敵だけど、私服もすごくかわいいよ」
「へはっ……」
「キタ ―― (゚∀゚) ―― !! 無自覚により破壊力を増した爆・弾・発・言!」
たしかに碧鳥本人はきょとんとした顔で嵐真や自分を見ている。無自覚に放たれる重低音の極甘ボイス。このままではリア充として爆発してしまう。特待生は、椿が見立てた服に感謝しながらやたら熱い顔を手で仰いだ。陽人のステージに集中しなくてはと目線を戻した先、怒涛のような黄色い歓声に混じり、重苦しく軋む音が聞こえたような気がした。
「え? あれって……ステージ傾いて……いませんか?」
音の発生源は、間違いなくステージだ。距離の近すぎるファンたちでは歓声に紛れてむしろ気付きにくいのだろうが、現場で異常事態を感じ取っている陽人の表情が、ことの深刻さを饒舌に物語っている。簡易ステージにファンが詰めかけていて、見ている間にも明らかに床面の角度が変わっている。足が勝手に動く。駆け出す。特待生は自分でも驚くほど器用に、すし詰めのファンの間をすり抜け陽人の元に向かっていく。しかし苛ついたファンの一人だろうか、鞄か何かで背中をどんと叩かれた。その衝撃に嫌な記憶が蘇る。
(……あ……)
また庇うのか。春先の、ひどく寒かったあの日のように。
(……また、失ったら……)
また失うのか。闇の中、死の恐怖に襲われたあの日のように。
(……それじゃあ、天神先輩を放っておくの……? ちがうよね?)
入学式で女子高生一人に壮大な使命を押し付けた荒木を許せず逆上したのも、荷物に埋もれた白雪零を助けたのも、いつも通りの自分。〝彼女〟を助けたのも偶然ではないはずだ。
『ボクたちはファミリーではなくディスティニーフレンドだからね!』
ステージで語った陽人の声が蘇る。家族と同等かそれ以上の絆を信じて疑わない言葉。深く結ばれた家族はバランスを取ろうとする。誰かが誰かを支えて互いに成り立っている。たとえば、しっかり者のお姉ちゃんがいるのは実は甘えん坊の妹のおかげ。
佐和はユニットのすべての暗部を引き受けようと振る舞う。本当はとても優しいのに、たまに露悪的な言動を選ぶ。そんな佐和が壊れないのはきっと陽人のおかげなのだ。どれほど傷ついても誰かを責めることのない純粋な瞳、それは世間知らずだからではなく、彼ゆえの強さと美学だ。碧鳥も嵐真もあずきも、エメ☆カレのメンバーは一人だって欠けてはならない。
「天神先輩……っ!」
ダイビングキャッチ。間にあった。しっかり彼の体重を受け止めたことを確かめると意識が闇に沈む。陽人が助かってよかったと思う。
目が覚めたとき、特待生は空の上にいた。
「特待生さん、気が付かれましたか!」
「特待生ちゃん、大丈夫か」
ベッドに横たわる自分。見下ろすように揃ってこちらを覗き込む顔が、緊張から安堵へと一斉に緩む。似たような状況を少し前にも経験した。
「私……私は……天音ひかり、ですか?」
「ああ、コンフューズしているんだね。無理もない」
自分の声が震えているのを認識しても、どうにもならないどころか余計不安になる。どくどく心臓が脈打って、滝のような汗が額から耳のほうへ伝い落ちた。
「どうしたんだ」
「過呼吸?」
「落ち着いて……」
「どこか痛むのかい? ドクターの見立てでは大きな傷はないようだが」
横たわったまま、特待生は首を振った。
「近くに鏡はありますか?」
誰かが持っていたらしい手鏡を覗き込み、そこに映る顔を確認した。その姿に安堵が半分、失意が半分。涙が次から次へと溢れて、震えが止まらなかった。混乱した様子の特待生に、佐和が今の状況を説明してくれる。どうやらここはドクターヘリの中で、天神家お抱えの医療施設へと搬送中らしい。
「ごめんな、あそこに俺が出ていけばますます混乱すると迷っているうちに、おまえを危険な目に合わせちゃって……」
特待生は謝罪を述べる彼に首を振って応えた。実際、佐和の判断は正しいと思う。彼が姿を現していたら特待生も陽人の元に辿り着けたいたかわからない。
「天神家のスペシャルなドクターズに依頼して精密検査をさせよう」
「違うんです、どこも痛くないですから。入学式前に事故に遭ったのを思い出してしまって」
自分の身体は想定していた程度のかすり傷のみで、たいして痛くない、陽人が治療を受けずここに立っているということは、彼も軽傷なのだろう。そこではっと気づく。
「ごめんなさい! 自分のことばかり。他に怪我人は出ませんでしたか、 イベントはどうなりましたか!?」
運営サイドでは深刻な問題になり、対策を練ったり陽人がこってり絞られたりしたようだが、人的被害はなかったそうだ。陽人自身がファンに対し機転のきいたTwiineを発信して、対外的にもそれほど大事にならずに済んだらしい。
「よかった……あんな素敵なトークを見せてくれる天神先輩を、絶対失いたくないですから」
「……!」
「プッ。顔が真っ赤だぞ、ハル」
特待生に異常がないことを再確認し宝石が丘へと引き返したヘリは、着陸時にそれなりに騒ぎになった。嵐の中心にいつも特待生の姿あり、生徒たちの間ではそんな噂も囁かれる。この学園に入学してはや二ヶ月、雨の匂いがすぐそこまで迫っていた。
ライブから帰宅後の夜。寮の廊下を歩いていると、佐和に背後から声をかけられた。先日の壁ドンを思い出して少しだけ身がすくむ。それに、まるで籠絡したようなその言い方はいかがなものか。不服の感情を示すべく特待生は声域を少しだけ低くした。
「懐柔かどうかはわかりませんが……嵐真くんと小野屋くんからはグラン・ユーフォリアへの賛同をもらいました」
「ふーん……。おめでとさん、明日はハルと出かけるんだろ」
「はい、お誘いを受けています」
「じゃあ俺もお手並み拝見といこうかな。おやすみ、特待生ちゃん」
宝石が丘の三年生は軒並み精神年齢が高そうで、蓮や立夏のように頼りになることもあるが、腹の中に一物持っていそうなメンツも多い。やりづらい……というかシンプルに怖い。耳にこびりついていたライブの熱狂が、いまのやり取りで完全に払拭された。明日も気が抜けない。
翌日、陽人に誘われてやって来たのはエメ☆カレでヘリオドール役を務める彼のミニライブ。あずき、佐和も一緒についてきて、客席から程よく距離を置いた場所で彼のトークを眺めている。Hot-Bloodの朗読劇に見る演技とはまた違う魅力。小気味よく、それでいて気遣いあるトークが観客を飽きさせない。これが高校生、同じ学園に通う生徒だというのか。朗々と響く声、人の目を惹きつけて離さない華やかさ。機転の良さ。プロフェッショナルの仕事だ。近頃、テレビでは素人いじりの番組が流行っていて、たまに声の通るセミプロっぽい人も見る。たぶん人前に立つことに慣れているような、営業とか、プレゼンをよくやるとかそういう人なのだろうが、陽人は次元が違うことがよくわかる。
「すごい、キラキラしてる……」
「だろ、ハルには生まれ持った華があるんだ。苦労知らずの金持ちと見られがちだが、それだけじゃない。原作のキャラをたてる謙虚さも、ちゃんとある。もちろん、キャラを離れた仕事ではいつもの調子も出すけどね」
特待生は驚いて傍らの佐和を見た。憧れにも似た眩しそうな視線を陽人に向けている。ユニットの中では良きお兄さん的ポジションの佐和は、この会場まで向かう道中だけでもメンバーに慕われ、頼られていることが伺えた。しかしそれとは一線を画す、陽人にだけ向けるこの表情はなんなのだろう。
「おーい、佐和くん、嵐真、アズ! ここで見てたんだね」
「おお、ヒナさん」
学年が違うため、ランニング以外ではそれほど顔を合わせない碧鳥が遅れて合流する。
「特待生さん、ランニング以外で会うのは珍しいよね。ジャージで頑張っている姿も素敵だけど、私服もすごくかわいいよ」
「へはっ……」
「キタ ―― (゚∀゚) ―― !! 無自覚により破壊力を増した爆・弾・発・言!」
たしかに碧鳥本人はきょとんとした顔で嵐真や自分を見ている。無自覚に放たれる重低音の極甘ボイス。このままではリア充として爆発してしまう。特待生は、椿が見立てた服に感謝しながらやたら熱い顔を手で仰いだ。陽人のステージに集中しなくてはと目線を戻した先、怒涛のような黄色い歓声に混じり、重苦しく軋む音が聞こえたような気がした。
「え? あれって……ステージ傾いて……いませんか?」
音の発生源は、間違いなくステージだ。距離の近すぎるファンたちでは歓声に紛れてむしろ気付きにくいのだろうが、現場で異常事態を感じ取っている陽人の表情が、ことの深刻さを饒舌に物語っている。簡易ステージにファンが詰めかけていて、見ている間にも明らかに床面の角度が変わっている。足が勝手に動く。駆け出す。特待生は自分でも驚くほど器用に、すし詰めのファンの間をすり抜け陽人の元に向かっていく。しかし苛ついたファンの一人だろうか、鞄か何かで背中をどんと叩かれた。その衝撃に嫌な記憶が蘇る。
(……あ……)
また庇うのか。春先の、ひどく寒かったあの日のように。
(……また、失ったら……)
また失うのか。闇の中、死の恐怖に襲われたあの日のように。
(……それじゃあ、天神先輩を放っておくの……? ちがうよね?)
入学式で女子高生一人に壮大な使命を押し付けた荒木を許せず逆上したのも、荷物に埋もれた白雪零を助けたのも、いつも通りの自分。〝彼女〟を助けたのも偶然ではないはずだ。
『ボクたちはファミリーではなくディスティニーフレンドだからね!』
ステージで語った陽人の声が蘇る。家族と同等かそれ以上の絆を信じて疑わない言葉。深く結ばれた家族はバランスを取ろうとする。誰かが誰かを支えて互いに成り立っている。たとえば、しっかり者のお姉ちゃんがいるのは実は甘えん坊の妹のおかげ。
佐和はユニットのすべての暗部を引き受けようと振る舞う。本当はとても優しいのに、たまに露悪的な言動を選ぶ。そんな佐和が壊れないのはきっと陽人のおかげなのだ。どれほど傷ついても誰かを責めることのない純粋な瞳、それは世間知らずだからではなく、彼ゆえの強さと美学だ。碧鳥も嵐真もあずきも、エメ☆カレのメンバーは一人だって欠けてはならない。
「天神先輩……っ!」
ダイビングキャッチ。間にあった。しっかり彼の体重を受け止めたことを確かめると意識が闇に沈む。陽人が助かってよかったと思う。
目が覚めたとき、特待生は空の上にいた。
「特待生さん、気が付かれましたか!」
「特待生ちゃん、大丈夫か」
ベッドに横たわる自分。見下ろすように揃ってこちらを覗き込む顔が、緊張から安堵へと一斉に緩む。似たような状況を少し前にも経験した。
「私……私は……天音ひかり、ですか?」
「ああ、コンフューズしているんだね。無理もない」
自分の声が震えているのを認識しても、どうにもならないどころか余計不安になる。どくどく心臓が脈打って、滝のような汗が額から耳のほうへ伝い落ちた。
「どうしたんだ」
「過呼吸?」
「落ち着いて……」
「どこか痛むのかい? ドクターの見立てでは大きな傷はないようだが」
横たわったまま、特待生は首を振った。
「近くに鏡はありますか?」
誰かが持っていたらしい手鏡を覗き込み、そこに映る顔を確認した。その姿に安堵が半分、失意が半分。涙が次から次へと溢れて、震えが止まらなかった。混乱した様子の特待生に、佐和が今の状況を説明してくれる。どうやらここはドクターヘリの中で、天神家お抱えの医療施設へと搬送中らしい。
「ごめんな、あそこに俺が出ていけばますます混乱すると迷っているうちに、おまえを危険な目に合わせちゃって……」
特待生は謝罪を述べる彼に首を振って応えた。実際、佐和の判断は正しいと思う。彼が姿を現していたら特待生も陽人の元に辿り着けたいたかわからない。
「天神家のスペシャルなドクターズに依頼して精密検査をさせよう」
「違うんです、どこも痛くないですから。入学式前に事故に遭ったのを思い出してしまって」
自分の身体は想定していた程度のかすり傷のみで、たいして痛くない、陽人が治療を受けずここに立っているということは、彼も軽傷なのだろう。そこではっと気づく。
「ごめんなさい! 自分のことばかり。他に怪我人は出ませんでしたか、 イベントはどうなりましたか!?」
運営サイドでは深刻な問題になり、対策を練ったり陽人がこってり絞られたりしたようだが、人的被害はなかったそうだ。陽人自身がファンに対し機転のきいたTwiineを発信して、対外的にもそれほど大事にならずに済んだらしい。
「よかった……あんな素敵なトークを見せてくれる天神先輩を、絶対失いたくないですから」
「……!」
「プッ。顔が真っ赤だぞ、ハル」
特待生に異常がないことを再確認し宝石が丘へと引き返したヘリは、着陸時にそれなりに騒ぎになった。嵐の中心にいつも特待生の姿あり、生徒たちの間ではそんな噂も囁かれる。この学園に入学してはや二ヶ月、雨の匂いがすぐそこまで迫っていた。
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