宝石の小枝
19
黒曜護に会うため、五人は学外へ出て路線バスに揺られていた。最後尾の長い椅子に心、祈、特待生、新多、優那の順で腰掛けている。特待生は手を膝に置き、ぴいんと背筋を伸ばして未だ緊張を解けずにいた。
「そういえば特待生ちゃんは一年生だろう? ガミとは学年が違うんじゃないのか」
間の持たない雰囲気を察してか、優那が切り出す。
「説明しよう。特待生さんは声優の道を目指すため、一度は進学した高校を中退してこの宝石が丘に来たのだ。……そうですよね、特待生さん」
「はは……そのとおりです」
「俺は特待生ちゃんに話を振ったんだけど」
優那がその話題を振ったのは、やはり固さの残る特待生に気を利かせてのことだったらしい。こちらでも何か話を広げなければと責任を感じつつ、隣で自分について誇らしげに語った祈にそういえばと目を留めた。
「祈先輩は、私のことをよく知ってらっしゃるんですね」
「えっ、ええ、ああ、そうですね! 俺の夢と同じ、声優を目指していると知って。これは運命かと、それでずっと気になって……」
「でも直接会話したことはないんだよな」
優那の独り言に近い問いかけに、祈はこくりと頷いた。彼の情報収集能力は特定分野において鳥羽霞を上回るかもしれない。倫理観とかプライバシー権とか、そういったものが頭を掠めるけれど、強い情熱をもってしなければできないことではある。
「あの……えっと、実はですね。私は記憶喪失なんです。と言っても全部ではなくて、部分的に欠けていることがありまして。それで祈先輩、よろしければ中学時代の私のことなど聞かせていただけませんか?」
予想通り、左右から二人ずつ合計四人の驚きの視線を感じる。入学直前の交通事故の影響であることと、日常生活に支障はないことを簡単に説明した。全員がほっと胸を撫で下ろす。言葉はぶっきらぼうでも優しい人たちであることは感じ取れた。
「そ、そうなんですね。ご無事で何よりです! と、ととと特待生さんは、中学時代からずっと、笑顔が素敵で、かわいらしくて、それでいて一度決めたことは絶対にやり遂げる芯の強さがあって……。高校を辞めて宝石が丘を目指されたと聞いたときは、やっぱり! と思いました」
「へえ~! すごいや、そこまでして諦めたくない夢だったんだね!」
「なかなか熱いヤツじゃねーか。コンチクショー!」
「いや、それほどでも……」
特待生は苦笑いしながら頭を掻く。なにが「それほどでも」なのか。祈が誇らしげに語ったのは自分ではなく〝天音ひかり〟のことなのに。超難関、宝石が丘への特待入学を成し遂げたのは自分ではないのに。彼らに対し、イメージ通り苦笑いの表情を浮かべられているだろうか。急激に気分が沈み込む。自己嫌悪で反吐が出そうだ。
(そうだよ。祈先輩は〝ひかりちゃん〟が好きなんだ……)
彼の行動は一部常軌を逸しているかもしれないが、根底にあるのは純粋な恋心。引きつり笑いを浮かべて応えていた自分が嫌で嫌で仕方ない。ごめんなさいと謝っても、土下座して地面に額を擦りつけたって、すべてが手遅れだ。
「特待生、顔色が良くないけど大丈夫? 酔ったとか?」
案の定、新多にそう言われてしまった。気のせいですよとごまかしているうちに、バスが目的の停留所に到着した。降りた先、眼前には大きな白い建物がそびえ立つ。その建物は、看板を掲げずとも圧倒的にわかりやすい特徴を備えている。
「……病院?」
面会の手続きを済ませ、やって来たのは入院病棟。敷地には樹木も多く植えられていて、窓の外には爽やかな景色が広がっている。それでも絶え間なく呼び出しが続く受付や、せわしなく歩く白衣の人たち、白い壁と薬品の匂いはやはり病院独特のものだ。
「やあ、みんな。いつもありがとう」
「そういうのやめろよな、来たくて来てるんだっつーの!」
「マモ、元気だった?」
MAISYの五人目、黒曜護は病室のベッドで上体だけを起こしてメンバーたちを出迎えた。
「あれ、その女の子は?」
「天音ひかりと言います。黒曜先輩、突然お邪魔してすみません」
五人揃って会えるのならいいこと、と碧鳥が言っていた意味がわかった。入院中ならばメンバーが全員揃うのはこの機会しかない。逆に言えば、特待生はユニット以外水入らずの貴重な機会を奪ってしまったとも言える。
「ふふ、気にしないで」
「……っ!?」
護の声に特待生は思わず口元を手で覆った。心の声のつもりが、口に出ていたのだろうか。自分以外の全員が意味ありげに笑みを浮かべている。
「びっくりした? 護はね、オーラが見えたり、心が読めたりするんだよ」
「さすがに心を読めはしないよ。ただ感じるだけ」
「……そんなことが?」
にわかには信じがたい。けれどMAISYのメンバーは誰もが真っ直ぐで、人をからかって遊ぶようなタイプではないし、唯一リアリストっぽさを感じる優那でさえ同じ反応をしている。本当に、そんなことがあるのだろうか。
「それよりみんな、準備してきてくれた?」
「もちろん」
「じゃあ、このへんの椅子とかちょっと片付けよう。特待生ちゃんも手伝ってもらっていいか?」
「はい。……えっと、何を?」
戸惑いながらも、心や祈が壁際に椅子を寄せているのを見て、真似をする。新多が「これから練習するんだ。小児病棟の子どもたち向けの芝居」と教えてくれた。配置が終わると心がメンバーに脚本を配りはじめる。
「脚本書いてきたぜ。雨の中で出会ったボーイとガールの甘酸っぱ~い青春ラブストーリーだ」
今日は何度も驚き、驚かされている。MAISYというグループの活動力の高さだろうか。全員のフットワークが軽く、一緒にいると次々と未知のものごとに遭遇していく。まずはヤンキー口調の少年、愛澤心がオリジナルの脚本を書いているらしいこと。さらにその脚本の内容がボーイミーツガールのラブストーリーだということ。書き手が心であるのと、子ども向けの芝居に使われるという二重の意味で驚きだ。
「愛澤はこういうのを書かせたらピカイチなんですよ」
台本に目を通しながら、祈が嬉しそうに解説する。心は年に数千冊の少女漫画を読破するらしい。仮に千冊だとしても一日二冊以上読んでいる計算になるのだから、それはものすごい情熱と呼んでいいだろう。膨大なインプットから生み出される彼の台本にひどく興味をそそられる。
「それとな、子どもをナメんじゃねーぞ、あのな、友情よりも男女の愛のほうがはるかに原始的な心理なんだ。幼稚園児が友情で悩むか? いや、やつらはラブで悩む!」
「な、なるほど……?」
子供向けのアニメ映画に王子様とお姫様ものが多くあることや、対象年齢が上がるにつれて恋愛ものから友情ものが増えていくことなど、新多や護も心の持論をフォローしていく。幼少時からお世辞にも女の子らしいと言えなかった特待生は、心やメンバーたちの力説を聞いても未だピンとこなかったりするのだが、ひとまず納得した風に頷いた。彼らの練習の邪魔にならない場所に立って、おとなしく台本の読み合わせを聞くことにする。爽やかな王道ラブストーリーは、溌剌とした彼らにぴったりだ。演技は荒削りな部分もあるが、逆にそこが初々しさを生んでいて好感が持てる。小劇団出身の優那が折を見て的確な指導を入れる。彼だけ演技力のレベルが群を抜いている。もしかするとPrid'sにも見劣りしないほどの深い洞察と表現力。特待生は息を呑んでMAISYの作り上げる世界を見守り続けた。
「護、元気そうで良かったね」
「ああ、サプライズの準備もしないとな」
今日一日、人をこれだけ驚かせておいて、まだ彼らは何かするらしい。帰りのバスを降りて学生寮へ戻る坂道、祈がおずおずと口を開いた。
「あ、あのさ新多。それなんだけど……と、特待生さんも入ってもらったらどうだろう。台本、今からでも直せないか、愛澤?」
「奇遇だな、俺も同じこと考えてたぜ、神谷」
「特待生ちゃんにも例の芝居に出てもらうってことか。悪くないアイデアだけど、当人の意思を聞いてみないことには……」
「もちろんやらせてください!」
心の脚本にすっかり引き込まれていた特待生は、二つ返事で了承した。
「そうこなくちゃ!」「やった……!」
寮に戻ったあともさっそく練習があるとのことで盛り上がる面々をよそに、優那は何か思い出したようだ。「一旦落ち着いて聞いてくれるか」と特待生に向き直る。
「さっきサプライズって言っただろ? 実は護にだけ違う台本を渡してある。絶対に本人には言うなよ、特待生ちゃん」
「そういえば特待生ちゃんは一年生だろう? ガミとは学年が違うんじゃないのか」
間の持たない雰囲気を察してか、優那が切り出す。
「説明しよう。特待生さんは声優の道を目指すため、一度は進学した高校を中退してこの宝石が丘に来たのだ。……そうですよね、特待生さん」
「はは……そのとおりです」
「俺は特待生ちゃんに話を振ったんだけど」
優那がその話題を振ったのは、やはり固さの残る特待生に気を利かせてのことだったらしい。こちらでも何か話を広げなければと責任を感じつつ、隣で自分について誇らしげに語った祈にそういえばと目を留めた。
「祈先輩は、私のことをよく知ってらっしゃるんですね」
「えっ、ええ、ああ、そうですね! 俺の夢と同じ、声優を目指していると知って。これは運命かと、それでずっと気になって……」
「でも直接会話したことはないんだよな」
優那の独り言に近い問いかけに、祈はこくりと頷いた。彼の情報収集能力は特定分野において鳥羽霞を上回るかもしれない。倫理観とかプライバシー権とか、そういったものが頭を掠めるけれど、強い情熱をもってしなければできないことではある。
「あの……えっと、実はですね。私は記憶喪失なんです。と言っても全部ではなくて、部分的に欠けていることがありまして。それで祈先輩、よろしければ中学時代の私のことなど聞かせていただけませんか?」
予想通り、左右から二人ずつ合計四人の驚きの視線を感じる。入学直前の交通事故の影響であることと、日常生活に支障はないことを簡単に説明した。全員がほっと胸を撫で下ろす。言葉はぶっきらぼうでも優しい人たちであることは感じ取れた。
「そ、そうなんですね。ご無事で何よりです! と、ととと特待生さんは、中学時代からずっと、笑顔が素敵で、かわいらしくて、それでいて一度決めたことは絶対にやり遂げる芯の強さがあって……。高校を辞めて宝石が丘を目指されたと聞いたときは、やっぱり! と思いました」
「へえ~! すごいや、そこまでして諦めたくない夢だったんだね!」
「なかなか熱いヤツじゃねーか。コンチクショー!」
「いや、それほどでも……」
特待生は苦笑いしながら頭を掻く。なにが「それほどでも」なのか。祈が誇らしげに語ったのは自分ではなく〝天音ひかり〟のことなのに。超難関、宝石が丘への特待入学を成し遂げたのは自分ではないのに。彼らに対し、イメージ通り苦笑いの表情を浮かべられているだろうか。急激に気分が沈み込む。自己嫌悪で反吐が出そうだ。
(そうだよ。祈先輩は〝ひかりちゃん〟が好きなんだ……)
彼の行動は一部常軌を逸しているかもしれないが、根底にあるのは純粋な恋心。引きつり笑いを浮かべて応えていた自分が嫌で嫌で仕方ない。ごめんなさいと謝っても、土下座して地面に額を擦りつけたって、すべてが手遅れだ。
「特待生、顔色が良くないけど大丈夫? 酔ったとか?」
案の定、新多にそう言われてしまった。気のせいですよとごまかしているうちに、バスが目的の停留所に到着した。降りた先、眼前には大きな白い建物がそびえ立つ。その建物は、看板を掲げずとも圧倒的にわかりやすい特徴を備えている。
「……病院?」
面会の手続きを済ませ、やって来たのは入院病棟。敷地には樹木も多く植えられていて、窓の外には爽やかな景色が広がっている。それでも絶え間なく呼び出しが続く受付や、せわしなく歩く白衣の人たち、白い壁と薬品の匂いはやはり病院独特のものだ。
「やあ、みんな。いつもありがとう」
「そういうのやめろよな、来たくて来てるんだっつーの!」
「マモ、元気だった?」
MAISYの五人目、黒曜護は病室のベッドで上体だけを起こしてメンバーたちを出迎えた。
「あれ、その女の子は?」
「天音ひかりと言います。黒曜先輩、突然お邪魔してすみません」
五人揃って会えるのならいいこと、と碧鳥が言っていた意味がわかった。入院中ならばメンバーが全員揃うのはこの機会しかない。逆に言えば、特待生はユニット以外水入らずの貴重な機会を奪ってしまったとも言える。
「ふふ、気にしないで」
「……っ!?」
護の声に特待生は思わず口元を手で覆った。心の声のつもりが、口に出ていたのだろうか。自分以外の全員が意味ありげに笑みを浮かべている。
「びっくりした? 護はね、オーラが見えたり、心が読めたりするんだよ」
「さすがに心を読めはしないよ。ただ感じるだけ」
「……そんなことが?」
にわかには信じがたい。けれどMAISYのメンバーは誰もが真っ直ぐで、人をからかって遊ぶようなタイプではないし、唯一リアリストっぽさを感じる優那でさえ同じ反応をしている。本当に、そんなことがあるのだろうか。
「それよりみんな、準備してきてくれた?」
「もちろん」
「じゃあ、このへんの椅子とかちょっと片付けよう。特待生ちゃんも手伝ってもらっていいか?」
「はい。……えっと、何を?」
戸惑いながらも、心や祈が壁際に椅子を寄せているのを見て、真似をする。新多が「これから練習するんだ。小児病棟の子どもたち向けの芝居」と教えてくれた。配置が終わると心がメンバーに脚本を配りはじめる。
「脚本書いてきたぜ。雨の中で出会ったボーイとガールの甘酸っぱ~い青春ラブストーリーだ」
今日は何度も驚き、驚かされている。MAISYというグループの活動力の高さだろうか。全員のフットワークが軽く、一緒にいると次々と未知のものごとに遭遇していく。まずはヤンキー口調の少年、愛澤心がオリジナルの脚本を書いているらしいこと。さらにその脚本の内容がボーイミーツガールのラブストーリーだということ。書き手が心であるのと、子ども向けの芝居に使われるという二重の意味で驚きだ。
「愛澤はこういうのを書かせたらピカイチなんですよ」
台本に目を通しながら、祈が嬉しそうに解説する。心は年に数千冊の少女漫画を読破するらしい。仮に千冊だとしても一日二冊以上読んでいる計算になるのだから、それはものすごい情熱と呼んでいいだろう。膨大なインプットから生み出される彼の台本にひどく興味をそそられる。
「それとな、子どもをナメんじゃねーぞ、あのな、友情よりも男女の愛のほうがはるかに原始的な心理なんだ。幼稚園児が友情で悩むか? いや、やつらはラブで悩む!」
「な、なるほど……?」
子供向けのアニメ映画に王子様とお姫様ものが多くあることや、対象年齢が上がるにつれて恋愛ものから友情ものが増えていくことなど、新多や護も心の持論をフォローしていく。幼少時からお世辞にも女の子らしいと言えなかった特待生は、心やメンバーたちの力説を聞いても未だピンとこなかったりするのだが、ひとまず納得した風に頷いた。彼らの練習の邪魔にならない場所に立って、おとなしく台本の読み合わせを聞くことにする。爽やかな王道ラブストーリーは、溌剌とした彼らにぴったりだ。演技は荒削りな部分もあるが、逆にそこが初々しさを生んでいて好感が持てる。小劇団出身の優那が折を見て的確な指導を入れる。彼だけ演技力のレベルが群を抜いている。もしかするとPrid'sにも見劣りしないほどの深い洞察と表現力。特待生は息を呑んでMAISYの作り上げる世界を見守り続けた。
「護、元気そうで良かったね」
「ああ、サプライズの準備もしないとな」
今日一日、人をこれだけ驚かせておいて、まだ彼らは何かするらしい。帰りのバスを降りて学生寮へ戻る坂道、祈がおずおずと口を開いた。
「あ、あのさ新多。それなんだけど……と、特待生さんも入ってもらったらどうだろう。台本、今からでも直せないか、愛澤?」
「奇遇だな、俺も同じこと考えてたぜ、神谷」
「特待生ちゃんにも例の芝居に出てもらうってことか。悪くないアイデアだけど、当人の意思を聞いてみないことには……」
「もちろんやらせてください!」
心の脚本にすっかり引き込まれていた特待生は、二つ返事で了承した。
「そうこなくちゃ!」「やった……!」
寮に戻ったあともさっそく練習があるとのことで盛り上がる面々をよそに、優那は何か思い出したようだ。「一旦落ち着いて聞いてくれるか」と特待生に向き直る。
「さっきサプライズって言っただろ? 実は護にだけ違う台本を渡してある。絶対に本人には言うなよ、特待生ちゃん」
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