宝石の小枝

20

 「サプライズ、ですか」
 子どもたちに芝居を披露する本番、五月三十日は護の誕生日なのだと新多が教えてくれた。簡単に言うと、台本上のバースデーイベントを途中から護本人のものに変えて祝おうという趣旨らしい。護を慕う小児病棟の子どもたちも共犯に巻き込んでの一大サプライズ。しかし、オーラが読めるらしい護に、果たしてサプライズが通用するのだろうか。護自身の話を信じるなら、心の声そのものが読めるのではないから、驚かせてやろうという意気込みのようなものをオーラとして感じ取られたらアウトになる。「心を……無に……」メンバーたちと固く誓い合ったものの、情動の煮凝りみたいな特待生に実現が可能なのか。そんな心配の他に、本題である芝居の練習もある。アフレコの仕事は少ないながら経験のある特待生だが、芝居は授業以外では初めてだ。リテイクはきかないし、声に加えて身体的な表現も要求される。それを宝石が丘学園の公認ユニットと共演。身に余りすぎる大役を果たすため、特待生も日夜必死に練習に励んだ。
「うーん……ここの台詞って純粋に〝驚き〟でいいのかなあ……」
 台本の中でどうしても解釈に迷うところがあり、脚本担当の心を探していると、新多も同じく彼を探しているようで一緒になった。「たぶん小部屋じゃないかな」と新多が言うので素直についていく。
「ぬおっ!? 驚かすんじゃねーよスットコドッコイ!」
「ほらね」
 小部屋のドアを開けると、新多の予言通りに心がテーブルについていた。ノートやら画材やらが机いっぱいに広がっていて、それらを慌ててかき集めている。小さめの身体で一生懸命に覆いかぶさろうとしている後ろ姿が、なんだかかわいらしい。
「それ、護に見せるやつでしょ?」
「なんで知ってんだよ!」
「護の病室で見た」
「ぬかった……!」
 文章だけでなく、絵も描くのか。それも、セミプロ以上と呼んでいいくらいの完成度である。きれいにコマ割りまでされた自作少女漫画を見て、特待生はひたすら感心する。
「そういやよお、特待生はどんな少女漫画を読むんだ? 王道か? 悲恋ものか?」
「え? あ、そうですね、えーっと……」
 特待生は言葉につまる。最後に少女漫画を読んだのがいつのことだか思い出せないレベルだ。適当に話を合わせても、心にはすぐ付け焼き刃とバレてしまうだろう。「私、あまり少女漫画を読まないかもしれないです……昔は読んでいたんですけど」正直に白状することにした。
「なんていうか、少女漫画って現実世界が舞台のものが多いですよね。ファンタジーだと多少ぶっとんだ設定でも許容できるんですけど、現実世界だと小さなことでもつじつま合わせが気になってしまうんです」
 漫画でも小説でも、特待生は読んでいるうちに視点が登場人物の中に引き込まれて、作中に描かれていないエピソードまで無意識に思い浮かべてしまう。だから世界観や心情の矛盾が気になるし、読むことに膨大なエネルギーを使う。宝石が丘で声優として演技をする上でこのクセは非常に役立っている。
「あと、ライバルとか、発生するトラブルがちょっとわざとらしいというか、暗黙のお約束とも言えるんでしょうけど舞台装置に見えてくるっていうか……」
 とは言ったものの、綻びを気にしすぎていては楽しむ作品の幅を狭めてしまう。自身の内省も含めて、ほぼ独り言を垂れ流してしまった。はたと心の大好きな少女漫画を貶めるような話を延々とほざいていたことに気づき、青ざめる。
「……言ってくれるじゃねーか」
 しまった、と身をすくめる特待生に、心はニカッと笑った。
「そこまで言われるとかえって燃えてくんぜ! 待ってろ、とっておきのやつ紹介してやるから!」
 言うが早いか、寮の部屋まで漫画を取りに走っていってしまった。一見ヤンキーだが、情に厚く漢気あふれる行動力。小部屋には呆気にとられた新多と特待生だけが残された。
「ど、どうしましょう。新多先輩も用事があったんですよね?」
「うーん。まあ大丈夫だよ。心の荷物はここに残ってるし、すぐ戻ってくると思う」
 新多は待つことを決めたようで、椅子に腰を下ろした。
「昨日ね、寮にいるメンバーで話してたんだ。護の出番が少し多すぎるから調整できないかなって」
「たしかに……この前の練習でもつらそうでした。ベッドで寝るだけの生活って、本当に体力が落ちるんですよね」
「うん、でも単に減らすだけだと護のプライドを傷つけちゃう。みんなで相談してね、脚本をちょっとだけいじって、出番は減らさずソデで休む時間を長くできないかって考えたんだ。その出来上がりを心に確認しに来た。仕上がったら特待生も目を通してね」
 特待生は頷いた。体調だけでなく、余計な気遣いが護を傷つけないかまで考える優しさを持ったメンバーたち。心から互いを思い合っていて結びつきの強い彼らだからこそ、一日でも早く五人で活動できる日が来ることを願わずにはいられない。
 
 そして公演当日。芝居を行う場所は奇しくも病院の敷地内にある噴水広場。
「よし、いよいよ本番だ! サプライズも含めて絶対に成功させよう!」
 新多の呼びかけに、メンバーたちも燃えている。
「やるぞっ、サプライズ!」と優那。
「サプライズ!」と心。「サプライズ」と祈。「サプライズ?」と護。
 沈黙と冷や汗が護を除く全員に流れる。
「ま、護!? なんでここにいるの」
「なんでって、準備しに来たんだよ。ところでサプライズって何?」
 必死にごまかそうとする一同だったが、含みのある微笑みに特待生が嫌な予感をおぼえたとおり、結果は最初から見えていた。護にだけ違う台本が渡るからと念には念を入れて名前を書いておいたことが「いつもと違う」と裏目に出たり、読み合わせのときに互いの台本を見せ合わなかったことなど次々に看破されたりで、サプライズは無念の失敗となった。護の鋭さをよく知るメンバーにとってはこれも想定の範囲内だったようだから、そこまで落ち込みが激しくないのが不幸中の幸いだろう。
「ごめんね、僕、リアクションとかうまくないし。……それと、ありがとう」
 その一言でサプライズが反故になったことなどどうでも良くなった。彼の笑顔ですべて報われてしまう。サプライズ要素がなくても進行には影響なく、芝居中に護の誕生日祝いを始めて子どもたちを喜ばせると確認した上で、それぞれが張り切って準備を始めた。
「う……ぐ、ゴホッ、ゴホッ……」
 小道具のダンボールを開封する護が咳き込んでいる。「大丈夫ですか!」特待生は慌てて駆け寄った。護は人差し指を口の前に立てて、眉間に皺を寄せながらも笑ってみせた。
「大丈夫。無理さえしなければ、命に別状はない病気なんだ」
「やっぱり……。怪我じゃなくて、病気なんですね」
 他のメンバーたちが口を閉ざしていたので、これまで深く聞くことはできなかった。病室でおしゃべりを楽しむぶんには、護は健康な人となんら変わりないように見えるが「無理さえしなければ」の部分が特待生の呼吸まで重苦しくしていく。演技も歌もダンスも、身体には大きな負担がかかる。護自身もメンバーたちも、MAISYが五人で活動できる日を心待ちにしているというのに。
「ふふ。きみは優しいね。それに話の飲み込みも早い。……だから、みんなには言わないでくれるね?」
「だめそうなときは絶対に言ってください。そうしたら、私もいま見たことは誰にも言いません」
「うん、わかった。約束しよう」
 その後は順調に準備が整い、いよいよ舞台の幕が切って落とされた。心の書き上げたストーリーは最高だった。誰かを大切に思うときのあたたかな気持ち。数え切れない人々の中で、自分の一番好きな人が自分を一番好きだと言ってくれる、その奇跡。当たり前すぎて歳を重ねるごとに忘れてしまうこと。親友もライバルも、自分の気持ちと向き合い、他者と全力でぶつかり、真剣に生きている。舞台装置ではない。
 子ども騙しのお話は誰の心も動かせないが、子どもへ真摯な目線で向き合う作品は、老若男女すべての琴線に触れる。特待生は、小児病棟がどんなところか過去に少しだけ知る機会があった。生まれつきの病に苦しむ子もいれば、ある日突然、生活を一変させられてしまった子もいる。まだ「おみずのみたい」すら言葉にできない幼子が、手術に備えて絶飲食を強いられ、そんな子を見守る家族も、外面は気丈に振る舞いながら代われるものなら代わってやりたい歯がゆさに苦しんでいる。ストレッチャーに乗せられ泣いている、手術着の我が子を送り出すやるせなさを特待生は知っている。今日の芝居を小児病棟のすべての子たちが見に来られるわけではないけれど、彼らが護兄ちゃんと慕って懐いているところから察するに、長期入院組なのだろう。どうして僕だけが病院にいるの、と問うことすらやめてしまった彼らに心から笑ってほしい。不自然なくらい明るい子どもたちが、今日このときは自然に笑いを浮かべられるように。サプライズは失敗したけれど、どうかメンバーと特待生のありのままの気持ちが護へと届きますように。焦らなくていい、いつまでだって待っている。病院の中庭に無邪気な歓声が響き渡る、快晴の日だった。
 
 芝居の盛り上がりから興奮冷めやらず、撤収後も病室でその感動を分かち合っていると、看護師さんにやんわり叱られてしまった。そんな経緯でしばらくは必要以上にひそひそと話を続ける面々だったが、新多が突然「忘れてた!」と叫び声を上げた。
「忘れてたって、何をですか?」
「グラン・ユーフォリアだよ!」
 あ、と特待生も大きな声を出してしまった。総指揮者が一番忘れてはいけないことである。
「グラン・ユーフォリアって?」
 その単語を初めて耳にするであろう護が、首を傾げる。すると特待生に代わって、祈や心が失われた祭典とその復興に向けての動きを説明してくれた。全校集会で特待生が訴えたことはこの二人にもしっかり届いていた。開催を前向きにとらえていてくれることが言葉の端々から伝わって、特待生は胸が熱くなった。……最初に噴水前で出会ったとき、二人が特待生を知らなかったように見えたのは未だに謎であるが。
「へえ、そんなイベントがあるんだ。公演日はいつ?」
 椿が会場を押さえてくれた日にちを伝えると、護は「えっ」と目を見開き「いや……うん、出たらいいんじゃないかな」といつもの穏やかな口調に戻った。
「……もしかして、なにか感じるのか、マモ」
「ここのところね、ずっと空気がザワザワしてた。悪いものじゃなくてね、でも得体の知れない説明のつかないものが近づいてくる予感……」
 彼にはそんなことまでわかるというのか。不思議なのは護の口から出た言葉なら、言い知れぬ不安も訝しむ気持ちもなんだかすうっと消えてしまうことだ。
「みんな、心配しなくていいよ。この話から感じるのは、少し揺らいでいるけれどあたたかい……希望の光だ」
「護がそう言うんなら、やらない理由がなくなっちゃったな」
「特待生ちゃん、参加表明だ。MAISYはグラン・ユーフォリアに出演する」
 
 夕刻、護に別れを告げてMAISYの四人と特待生は病院前のバス停で帰りを待つ。視界の端に目的地方向のバスが現れたとき、特待生はあたかもいま思い出したように口火を切った。
「あ、そうだ。私はせっかく街まで出てきたので買い物して帰ります。今日は本当に楽しかったです、ありがとうございました!」
 突然のことに驚きつつも「気をつけろよ」と声をかけてくれる四人に手を振って、特待生はバス停から引き返した。まだ面会時間が残っている。走る特待生のポケットでスマートフォンが小さく震えた。
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[mamoru]
 中庭で待ってるよ
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 彼にはすべてお見通しのようだ。病院中庭の、藤棚の下に設置されたベンチに護が座っている。見頃は過ぎてしまったが、しっとりした紫のグラデーションがまだまだ美しい。彼の神秘性を引き立てて、ここは本当に此岸なのか疑ってしまうほどだ。
「やあ、僕に話があるんだよね?」
 どうぞと手のひらで隣を促されるまま、特待生もベンチに腰掛ける。言うしかない。
「……黒曜先輩は、私が幽霊に取り憑かれていると言ったら信じてくれますか?」
「へえ。……うーん、そういうのはないかなあ。ぱっと見、きみから複数のオーラを感じるようなことはないし」
 そうですかと特待生は肩を落とした。本当は私こそが取り付く幽霊で、天音ひかりではありませんとまでは言えない。目を伏せた特待生に護が優しく語りかける。
「心を落ち着けて、もうちょっとしっかり見せてね。表面的に現れるものではなくて、きみの根底にあるオーラをよく見れば、何かわかるかもしれない。うん、目は瞑らずに、こっちを見て?」
 藤の花のフィルタを通して、陽光が彼の目を紫色に染めている。怖くないと言えば嘘になるが、震え上がらせるようなものではなくて……もっと、人の力の及ばないものに対する畏怖みたいな感覚だ。不思議な色に吸い込まれそうで、膝の上で握りしめた手に汗が滲む。
「うーん……。やっぱり、見えるオーラはきみだけのものだよ。でもきみは何かを抱えて悩んでいるね? 僕で良かったら相談に乗るよ」
 慈愛の笑みに涙があふれそうになる。たぶん護なら特待生を笑い飛ばしたりはしない。これまでずっと明かさず堪えてきた胸の内を、突拍子もない絵空事みたいな話を、彼になら聞いてもらえるかもしれない。それなのに何かが、誰かの顔が脳裏をかすめて、特待生は衝動を飲み込んだ。
「ああ……そうか。きみにはもう、それを話すべき人がいるんだね」
 曖昧な感情を護が言葉に変えてくれた。何度も頭を下げて、早く良くなることを願って特待生はその場を去った。藤の花の下、柔らかな風を受けて護はその背中を見送る。純粋な黒は視認することができない。ただそこにぽっかり穴が空いているように見えるのだという。目を凝らさなければ虚無に満ちた彼女のオーラに気づけなかった理由がわかった。
(失意、後悔、絶望。悪夢の檻……逃げられない、飛ぶことのできない蝶)
 まるで嘘つきオーラ。そんなものを抱えていながら、なぜ彼女はあんな顔で学園を走り回っているのだろう。

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