宝石の小枝
28
その日の小部屋はすし詰め状態だった。なにしろ宝石が丘学園公認ユニットの全メンバーから黒曜護を除いた二十八名が集結しているのだ。夏休みも間近に迫る七月の夕暮れ時、エアコン全開でも湿度と暑さが厳しいというのに、彼らの話題はますます焦燥を煽るようなものだった。以下はメンバーたちの会話である。
雅野椿 「だから! どうするも何も。あいつが何も言わない以上、俺たちが口出しできることはないでしょ」
加賀谷蓮 「悪りぃな、うちのお姫様ずーっとイラついてこんな感じでよ。助けに入るタイミングが来ないもんだから」
輝崎蛍 「俺、過去の資料をひもとくのに夢中で……ここまで状況が悪化してるなんて」
吉條七緒 「結果的に誰も助け舟ださなかったんすよね。なあなあで済ませて練習続けるのやりにくいっていうか」
櫻井百瀬 「そうだよね~。女の子ってボロボロに傷付いてるときが狙い目でしょ? で、さっき優しーく声かけてみたんだけど」
一色葵 「なぜお前はいつもそういう……」
輝崎千紘 「どうなったんだ」
櫻井百瀬 「満面の笑みでスルーされちゃった。経験上、これは相当きてるね」
冠嵐真 「あばばばば……(((((;゚Д゚)>)))」
小野屋あずき「大人たちの汚いやり方も散々見てきたとは言え……心が濁っていたのはこちらだったようじゃの」
雛瀬碧鳥 「うん……プロとしてちょっと苦労したからって悪いほうに考えるのを当たり前にしすぎてた」
雨知祭利 「うう……僕……どうして信じられなかったんだろう」
白雪零 「祭利くんはあの時点での正直な気持ちを特待生さんに伝えました。俺のほうが……信じるなら信じるとはっきり言えなかったほうがよっぽど悪質です」
美和巴 「僕はあのあとも友達としては仲良くしてた。けど公認ユニットの一員としては何も……」
神谷祈 「MAISYは最初から特待生を信じると言い続けていた。俺も魔除けのお守りを誕生日プレゼントで渡して、特待生を励ました……」
森重優那 「ガミ、ユニット間の溝を深めるような言い方は良くない。特待生ちゃんは俺たちをまとめるために奔走していたんだから」
光城新多 「ああガミ、落ち込まないで! 悪気がないのはわかってるから。ていうか、誕生日の話は初耳なんだけど。いつだったの?」
神谷祈 「昨日」
光城新多 「きっ……昨日ぉ!?」
神谷祈 「お守りが力及ばずコップで水をかけられた。許すまじ……ギリギリギリ……」
愛澤心 「まじかー……人生最悪レベルの誕生日じゃねーか……」
夜来立夏 「それは由々しきことではあるが……」
天橋幸弥 「ええ、いまは本題に戻りましょう。……で、どうします?」
青柳帝 「さっき森重が言ったことがすべてだろう。特待生は全ユニット、いや全生徒をまとめてグラン・ユーフォリアを成功させるために駆け回ってた」
「じゃあ、やる?」「そりゃ」「もちろん――」談話室の空気が一つに収束しかけたそのとき、ドアのノック音が響いた。
「すみません、お話中失礼いたします」
ドアの陰からそっと顔を覗かせたのは特待生だった。ごくり、と喉の鳴る音が小部屋のあちらこちらから聞こえる。
「……あ。どなたも見つからないと思ったら、こちらに全員集合だったんですね。ミーティング中、失礼しました」
普通なら到底気づけない、つとめて明るく振る舞う彼女の僅かな声の震えを、この部屋の生徒たちは聞き逃さなかった。
「ちょ、ちょっと待って! 特待生も参加して、はいこっち座って」
ドアを閉めかけた特待生の手を引いて、七緒が椅子に掛けるよう勧める。七緒のとっさの行動、それ自体はファインプレイだったのだが、部屋には重苦しい空気が立ちこめた。客観的に見れば彼女を蚊帳の外に置いての密談と受け取れるこの状況。しばらくして、特待生が観念したように立ち上がった。
「今回のこと……当初皆さんに、学園が廃校になるからそれと引き換えに協力を、とか、脅しのような交渉をしてきたことを深く反省しています。週刊誌に書かれたことは事実無根のものですが、疑いを晴らすだけの力がなかったことで、皆さんを失望させてしまいました。重ねてお詫び申し上げます。私は総指揮を降ります」
小部屋は一瞬だけどよめいて、直後に静寂を取り戻した。
「それはそれとして。短い間でしたけど、私なりに学園と各ユニットのことを知ったつもりです。私は皆さんに声優として惚れ込んで惹かれているからこそ、まだグラン・ユーフォリアを諦めきれずにいます。そして、ユニットメンバーの皆さんもグラン・ユーフォリアを作ることや演じることそのものは楽しみにされていた。そのように認識しています」
総指揮を任されたとき、特待生は計画の壮大さにおののくばかりで、面白そうなどと微塵も思えなかった。きっと彼らとはそもそもの出来が違う。彼らが親しく接してくれるのは友人としての天音ひかりであり、グラン・ユーフォリア総指揮者としての特待生に存在価値などなかった。
「きっと素晴らしい祭典になると確信しています。どうしたら皆さん全員に参加していただけますか? 後方支援としてなら、私にできることはなんでもやります」
膝の前で手を揃え深々と頭を下げた。特待生は昨夜、心に誓ったのだ。絶対に退学はしない。三年間宝石が丘学園に通い、必ず声優になる。天音ひかりの夢を叶えてみせる。残念ながら特待制度は放棄せねばなるまいが、極力、天音家に負担がかからないようにしたい。可能な限り声の仕事で稼ぎ、不足は学生向けのアルバイトに頼るしかないだろう。
ユニットメンバー側で突破口を開いたのは巴だった。
「違う、ちょっと待って特待生ちゃん! あのね、実は僕たち、グラン・ユーフォリアをやりたいねって話でここに集まってたんだ」
「ミーちゃん、本当に!?」
特待生の顔がぱっと輝くが、それは優那が次の言葉を繋ぐまでの僅かな間だった。
「ああ。そしてこれからも君に総指揮を頼みたい」
優那に同調したように何人もがうんうんと頷く。
「……それは……。いえ、それではなぜ今、皆さんがここに集合しているのでしょうか?」
最も痛い部分を突かれて、一同は沈黙した。
「答えは、今すぐここでとは言わないから」
「……っ、じゃあ、今すぐでなくて一体いつならいいんですか? どこにそんな時間があるんですか!?」
特待生が声を荒らげる。肩は大きく上下して、唇がわなわなと震えている。グラン・ユーフォリアの公演日まであと三ヶ月、実際に一刻の猶予すらない。特定の誰かに目を合わせるでもなくテーブルの天板を睨みつける特待生。その耳に場違いなほど涼やかな帝の声が響いた。
「そういうことなら話は簡単だ。引き続き特待生が総指揮を務めると承諾する、さすれば対価としてここにいる全員でグラン・ユーフォリアを見せてやろう。これ以上のwin-winはないはずだが?」
絶句した特待生の顔から、一粒の涙と引き換えに感情が抜け落ちる。
「…………今夜いっぱい、考えさせてください」
窓の外で響く蝉の声が、ひどく鬱陶しいと感じる。さながら時が停止したような小部屋で、特待生だけが縛りを破ったように歩きだして扉の外へ出ていった。
「……助かりました、青柳さん」
「首の皮一枚繋がったな」
「カッコつけないでよ! なんでミカひとりで憎まれ役を引き受けてるのさ」
帝に掴みかからんばかりの椿をコスモが制止する。
「椿の心情は理解できます。しかし帝の返しは最低の犠牲で打てる最善手でした」
「現時点で特待生と良好な関係を保てている者も多い。俺たち全員 対 特待生の対立構造に広げるのはうまいとは言えない」
「ミヤ。特待生ちゃんほどの子なら、青柳先輩の発言が演技込みってことまで気づいてるさ。ただ、今のお前と同じように感情が追いつかない。たぶんそういうことなんだ」
コスモの制止に立夏がフォローを入れ、霞がだめ押しする。
「で、でもあのさ。オレたちにそのつもりはなくても、これってもう〝いじめ〟っしょ? オレも昔、似たようなことあったから、わかるんだ」
志朗の声は涙まじりの鼻声だった。
「なぜだかみんなで『特待生なら乗り越えられる』って思い込んで。俺たちだって一人で乗り越えたんじゃない、ユニットのみんながいたのに、それを忘れて……」
宙の目にも涙が光っている。前髪に隠された左目からも、涙が伝い落ちた。ふいに部屋のそこかしこで、lineグループの着信音が重なって鳴り響く。各々がスマートフォンを取り出して内容を確認した。
――――――――――――
[hikari-amane]
グラン・ユーフォリア総指揮を謹んでお受けいたします
先程の失礼な言動、誠に申し訳ございませんでした
――――――――――――
「どいつもこいつもバカじゃないの……まったく」
椿のやりきれない呟きが夕暮れに吸い込まれていく。
宝石が丘学園は、再びグラン・ユーフォリアに向けて動きはじめた。日々の授業やレッスンがあるから、正当な理由で大声を上げたり存分に身体を動かしたりできる。特待生にはそれがありがたかった。へとへとになるまで心身を疲れさせれば、眠れぬ夜も訪れない。
今日はユニットごとに個別練習の日だ。収録室でHot-Bloodの演技について進行状況を確認し、次にレッスン室にいるMAISYの元へ廊下を走っているところだった。
「おい」
呼び止められて振り向いた先には、先日の食堂で特待生に水をかけた男子生徒、白金が立っていた。時間があるかと聞いてくる彼に「一〇分程度なら」と返答する。白金は人目を気にするそぶりを見せ、無言ですぐそばの空き教室に誘った。特待生は、念のためドアを開け放ったまま続いて入室した。
「荒木先生だよ」
白金はまず、そう口にした。
「……噂の出処。荒木先生がケータイで話してるの偶然聞いたやつがいる。通話の相手まではわからないが何度も〝特待生〟とか『裏口入学』とか、あと『大手の事務所に内定済み』とかはっきり聞こえたって。落ち着いて考えれば思いっきり不自然なんだよな、そんなやべー内容を盗み聞きできる場所で話すなんて。荒木先生の化け物じみた演技力ありきで騙せてるようなもんだ」
特待生は、耳を傾ける間ずっと白金を見つめていたが、彼と視線が合うことはなかった。
「もう噂を鵜呑みにしてはいないさ。けどお前の潔白を示す証拠が弱いのだって事実だ」
「そうですね」
「いや、そこは食い下がれよ……俺は潔白だと思ってる。残念ながら証拠はないけどな」
気まずそうにうつむく白金に、特待生が教室へ入ったときの警戒心は消えている。張り詰めた空気が少しだけ緩んだのを感じ取ったのか、しばしの沈黙の後、白金はようやく顔を上げて特待生の目を見た。
「なあ、お前はなんでグラン・ユーフォリアをやるんだ? 俺たちはなんのためにいるんだ? 俺はもう三年なんだぞ」
学園が威光を取り戻したところで、卒業まであと僅か。学園公認ユニットメンバーとなって翌年こそは出演したいと思っても手遅れ。赤裸々な思いを白金は語る。当初、グラン・ユーフォリアは宝石が丘の外に魅力を伝えるものだと決めてかかっていたが、先にきらめきを届けるべきは学園内の暗鬱な空気だったのだと、特待生は気付かされた。
「白金先輩、副総指揮を引き受けてくださいませんか。見明先輩から聞いたんです、あなたがとても人望に厚い方だと」
思いもかけないオファーに白金が硬直する。
「いま音響や照明のサポート役が続々決まってるんですよ。でも先輩、学内サイトへのログインの形跡がありませんね。……んもうっ、定期的に見てくださいってお願いしたのに~」
特待生は口を尖らせ、とびきりあざとい萌え声で拗ねてみせた。白金はしばらく開いた口が塞がらないようだったが、突如「ははっ」と破顔した。
「ああ、受けてやるよ。お前が裏方の総大将なんだろ」
「裏方の総大将、やだかっこいい……」
教室の外に漏れ出した声が聞こえたのか、そこに蛍がやってきた。
「特待生さん、ここにいたんだ。大丈夫? また変な人たちに絡まれてない?」
蛍は怪訝な視線を白金に向けた。Prid's輝崎蛍の纏う険しい空気に、白金が少し動揺する。
「蛍先輩。ありがとうございます、全然そういうんじゃないです」
「よかった……」
蛍がいつもの穏やかな微笑みを浮かべる。白金は特待生にだけわかるくらい軽く手を上げて、足早に教室を去っていった。
「特待生さん、グラン・ユーフォリアについてわかったことがあるよ。七年前にも一部の生徒が復興を試みたって」
「……なな、ねん……」
無意識に拳を握りしめていた。強く儚く美しくも醜い。人が持つ多面性を見事に演じきる若きスター声優。光源によって色を変えるその石にちなんで、宝石が丘学園時代に彼が冠した名は――幻惑のアレキサンドライト。七年前と蛍は言った。嫌な数字だ。資料も映像もない幻のイベントなのに荒木先生は詳しすぎる、と帝は指摘した。それなのに資料の一つも出してはこないことを不思議に思っていた。荒木は七年前に生徒としてこの宝石が丘学園にいたのだ。おそらくは〝グラン・ユーフォリア復興を試みた一部の生徒〟として。その後、ありとあらゆる資料が葬り去られる。
本当はずっと、気づかないふりをしてきただけなのだろう。なぜなら、特待生はそれに気づきたくなかったから。
雅野椿 「だから! どうするも何も。あいつが何も言わない以上、俺たちが口出しできることはないでしょ」
加賀谷蓮 「悪りぃな、うちのお姫様ずーっとイラついてこんな感じでよ。助けに入るタイミングが来ないもんだから」
輝崎蛍 「俺、過去の資料をひもとくのに夢中で……ここまで状況が悪化してるなんて」
吉條七緒 「結果的に誰も助け舟ださなかったんすよね。なあなあで済ませて練習続けるのやりにくいっていうか」
櫻井百瀬 「そうだよね~。女の子ってボロボロに傷付いてるときが狙い目でしょ? で、さっき優しーく声かけてみたんだけど」
一色葵 「なぜお前はいつもそういう……」
輝崎千紘 「どうなったんだ」
櫻井百瀬 「満面の笑みでスルーされちゃった。経験上、これは相当きてるね」
冠嵐真 「あばばばば……(((((;゚Д゚)>)))」
小野屋あずき「大人たちの汚いやり方も散々見てきたとは言え……心が濁っていたのはこちらだったようじゃの」
雛瀬碧鳥 「うん……プロとしてちょっと苦労したからって悪いほうに考えるのを当たり前にしすぎてた」
雨知祭利 「うう……僕……どうして信じられなかったんだろう」
白雪零 「祭利くんはあの時点での正直な気持ちを特待生さんに伝えました。俺のほうが……信じるなら信じるとはっきり言えなかったほうがよっぽど悪質です」
美和巴 「僕はあのあとも友達としては仲良くしてた。けど公認ユニットの一員としては何も……」
神谷祈 「MAISYは最初から特待生を信じると言い続けていた。俺も魔除けのお守りを誕生日プレゼントで渡して、特待生を励ました……」
森重優那 「ガミ、ユニット間の溝を深めるような言い方は良くない。特待生ちゃんは俺たちをまとめるために奔走していたんだから」
光城新多 「ああガミ、落ち込まないで! 悪気がないのはわかってるから。ていうか、誕生日の話は初耳なんだけど。いつだったの?」
神谷祈 「昨日」
光城新多 「きっ……昨日ぉ!?」
神谷祈 「お守りが力及ばずコップで水をかけられた。許すまじ……ギリギリギリ……」
愛澤心 「まじかー……人生最悪レベルの誕生日じゃねーか……」
夜来立夏 「それは由々しきことではあるが……」
天橋幸弥 「ええ、いまは本題に戻りましょう。……で、どうします?」
青柳帝 「さっき森重が言ったことがすべてだろう。特待生は全ユニット、いや全生徒をまとめてグラン・ユーフォリアを成功させるために駆け回ってた」
「じゃあ、やる?」「そりゃ」「もちろん――」談話室の空気が一つに収束しかけたそのとき、ドアのノック音が響いた。
「すみません、お話中失礼いたします」
ドアの陰からそっと顔を覗かせたのは特待生だった。ごくり、と喉の鳴る音が小部屋のあちらこちらから聞こえる。
「……あ。どなたも見つからないと思ったら、こちらに全員集合だったんですね。ミーティング中、失礼しました」
普通なら到底気づけない、つとめて明るく振る舞う彼女の僅かな声の震えを、この部屋の生徒たちは聞き逃さなかった。
「ちょ、ちょっと待って! 特待生も参加して、はいこっち座って」
ドアを閉めかけた特待生の手を引いて、七緒が椅子に掛けるよう勧める。七緒のとっさの行動、それ自体はファインプレイだったのだが、部屋には重苦しい空気が立ちこめた。客観的に見れば彼女を蚊帳の外に置いての密談と受け取れるこの状況。しばらくして、特待生が観念したように立ち上がった。
「今回のこと……当初皆さんに、学園が廃校になるからそれと引き換えに協力を、とか、脅しのような交渉をしてきたことを深く反省しています。週刊誌に書かれたことは事実無根のものですが、疑いを晴らすだけの力がなかったことで、皆さんを失望させてしまいました。重ねてお詫び申し上げます。私は総指揮を降ります」
小部屋は一瞬だけどよめいて、直後に静寂を取り戻した。
「それはそれとして。短い間でしたけど、私なりに学園と各ユニットのことを知ったつもりです。私は皆さんに声優として惚れ込んで惹かれているからこそ、まだグラン・ユーフォリアを諦めきれずにいます。そして、ユニットメンバーの皆さんもグラン・ユーフォリアを作ることや演じることそのものは楽しみにされていた。そのように認識しています」
総指揮を任されたとき、特待生は計画の壮大さにおののくばかりで、面白そうなどと微塵も思えなかった。きっと彼らとはそもそもの出来が違う。彼らが親しく接してくれるのは友人としての天音ひかりであり、グラン・ユーフォリア総指揮者としての特待生に存在価値などなかった。
「きっと素晴らしい祭典になると確信しています。どうしたら皆さん全員に参加していただけますか? 後方支援としてなら、私にできることはなんでもやります」
膝の前で手を揃え深々と頭を下げた。特待生は昨夜、心に誓ったのだ。絶対に退学はしない。三年間宝石が丘学園に通い、必ず声優になる。天音ひかりの夢を叶えてみせる。残念ながら特待制度は放棄せねばなるまいが、極力、天音家に負担がかからないようにしたい。可能な限り声の仕事で稼ぎ、不足は学生向けのアルバイトに頼るしかないだろう。
ユニットメンバー側で突破口を開いたのは巴だった。
「違う、ちょっと待って特待生ちゃん! あのね、実は僕たち、グラン・ユーフォリアをやりたいねって話でここに集まってたんだ」
「ミーちゃん、本当に!?」
特待生の顔がぱっと輝くが、それは優那が次の言葉を繋ぐまでの僅かな間だった。
「ああ。そしてこれからも君に総指揮を頼みたい」
優那に同調したように何人もがうんうんと頷く。
「……それは……。いえ、それではなぜ今、皆さんがここに集合しているのでしょうか?」
最も痛い部分を突かれて、一同は沈黙した。
「答えは、今すぐここでとは言わないから」
「……っ、じゃあ、今すぐでなくて一体いつならいいんですか? どこにそんな時間があるんですか!?」
特待生が声を荒らげる。肩は大きく上下して、唇がわなわなと震えている。グラン・ユーフォリアの公演日まであと三ヶ月、実際に一刻の猶予すらない。特定の誰かに目を合わせるでもなくテーブルの天板を睨みつける特待生。その耳に場違いなほど涼やかな帝の声が響いた。
「そういうことなら話は簡単だ。引き続き特待生が総指揮を務めると承諾する、さすれば対価としてここにいる全員でグラン・ユーフォリアを見せてやろう。これ以上のwin-winはないはずだが?」
絶句した特待生の顔から、一粒の涙と引き換えに感情が抜け落ちる。
「…………今夜いっぱい、考えさせてください」
窓の外で響く蝉の声が、ひどく鬱陶しいと感じる。さながら時が停止したような小部屋で、特待生だけが縛りを破ったように歩きだして扉の外へ出ていった。
「……助かりました、青柳さん」
「首の皮一枚繋がったな」
「カッコつけないでよ! なんでミカひとりで憎まれ役を引き受けてるのさ」
帝に掴みかからんばかりの椿をコスモが制止する。
「椿の心情は理解できます。しかし帝の返しは最低の犠牲で打てる最善手でした」
「現時点で特待生と良好な関係を保てている者も多い。俺たち全員 対 特待生の対立構造に広げるのはうまいとは言えない」
「ミヤ。特待生ちゃんほどの子なら、青柳先輩の発言が演技込みってことまで気づいてるさ。ただ、今のお前と同じように感情が追いつかない。たぶんそういうことなんだ」
コスモの制止に立夏がフォローを入れ、霞がだめ押しする。
「で、でもあのさ。オレたちにそのつもりはなくても、これってもう〝いじめ〟っしょ? オレも昔、似たようなことあったから、わかるんだ」
志朗の声は涙まじりの鼻声だった。
「なぜだかみんなで『特待生なら乗り越えられる』って思い込んで。俺たちだって一人で乗り越えたんじゃない、ユニットのみんながいたのに、それを忘れて……」
宙の目にも涙が光っている。前髪に隠された左目からも、涙が伝い落ちた。ふいに部屋のそこかしこで、lineグループの着信音が重なって鳴り響く。各々がスマートフォンを取り出して内容を確認した。
――――――――――――
[hikari-amane]
グラン・ユーフォリア総指揮を謹んでお受けいたします
先程の失礼な言動、誠に申し訳ございませんでした
――――――――――――
「どいつもこいつもバカじゃないの……まったく」
椿のやりきれない呟きが夕暮れに吸い込まれていく。
宝石が丘学園は、再びグラン・ユーフォリアに向けて動きはじめた。日々の授業やレッスンがあるから、正当な理由で大声を上げたり存分に身体を動かしたりできる。特待生にはそれがありがたかった。へとへとになるまで心身を疲れさせれば、眠れぬ夜も訪れない。
今日はユニットごとに個別練習の日だ。収録室でHot-Bloodの演技について進行状況を確認し、次にレッスン室にいるMAISYの元へ廊下を走っているところだった。
「おい」
呼び止められて振り向いた先には、先日の食堂で特待生に水をかけた男子生徒、白金が立っていた。時間があるかと聞いてくる彼に「一〇分程度なら」と返答する。白金は人目を気にするそぶりを見せ、無言ですぐそばの空き教室に誘った。特待生は、念のためドアを開け放ったまま続いて入室した。
「荒木先生だよ」
白金はまず、そう口にした。
「……噂の出処。荒木先生がケータイで話してるの偶然聞いたやつがいる。通話の相手まではわからないが何度も〝特待生〟とか『裏口入学』とか、あと『大手の事務所に内定済み』とかはっきり聞こえたって。落ち着いて考えれば思いっきり不自然なんだよな、そんなやべー内容を盗み聞きできる場所で話すなんて。荒木先生の化け物じみた演技力ありきで騙せてるようなもんだ」
特待生は、耳を傾ける間ずっと白金を見つめていたが、彼と視線が合うことはなかった。
「もう噂を鵜呑みにしてはいないさ。けどお前の潔白を示す証拠が弱いのだって事実だ」
「そうですね」
「いや、そこは食い下がれよ……俺は潔白だと思ってる。残念ながら証拠はないけどな」
気まずそうにうつむく白金に、特待生が教室へ入ったときの警戒心は消えている。張り詰めた空気が少しだけ緩んだのを感じ取ったのか、しばしの沈黙の後、白金はようやく顔を上げて特待生の目を見た。
「なあ、お前はなんでグラン・ユーフォリアをやるんだ? 俺たちはなんのためにいるんだ? 俺はもう三年なんだぞ」
学園が威光を取り戻したところで、卒業まであと僅か。学園公認ユニットメンバーとなって翌年こそは出演したいと思っても手遅れ。赤裸々な思いを白金は語る。当初、グラン・ユーフォリアは宝石が丘の外に魅力を伝えるものだと決めてかかっていたが、先にきらめきを届けるべきは学園内の暗鬱な空気だったのだと、特待生は気付かされた。
「白金先輩、副総指揮を引き受けてくださいませんか。見明先輩から聞いたんです、あなたがとても人望に厚い方だと」
思いもかけないオファーに白金が硬直する。
「いま音響や照明のサポート役が続々決まってるんですよ。でも先輩、学内サイトへのログインの形跡がありませんね。……んもうっ、定期的に見てくださいってお願いしたのに~」
特待生は口を尖らせ、とびきりあざとい萌え声で拗ねてみせた。白金はしばらく開いた口が塞がらないようだったが、突如「ははっ」と破顔した。
「ああ、受けてやるよ。お前が裏方の総大将なんだろ」
「裏方の総大将、やだかっこいい……」
教室の外に漏れ出した声が聞こえたのか、そこに蛍がやってきた。
「特待生さん、ここにいたんだ。大丈夫? また変な人たちに絡まれてない?」
蛍は怪訝な視線を白金に向けた。Prid's輝崎蛍の纏う険しい空気に、白金が少し動揺する。
「蛍先輩。ありがとうございます、全然そういうんじゃないです」
「よかった……」
蛍がいつもの穏やかな微笑みを浮かべる。白金は特待生にだけわかるくらい軽く手を上げて、足早に教室を去っていった。
「特待生さん、グラン・ユーフォリアについてわかったことがあるよ。七年前にも一部の生徒が復興を試みたって」
「……なな、ねん……」
無意識に拳を握りしめていた。強く儚く美しくも醜い。人が持つ多面性を見事に演じきる若きスター声優。光源によって色を変えるその石にちなんで、宝石が丘学園時代に彼が冠した名は――幻惑のアレキサンドライト。七年前と蛍は言った。嫌な数字だ。資料も映像もない幻のイベントなのに荒木先生は詳しすぎる、と帝は指摘した。それなのに資料の一つも出してはこないことを不思議に思っていた。荒木は七年前に生徒としてこの宝石が丘学園にいたのだ。おそらくは〝グラン・ユーフォリア復興を試みた一部の生徒〟として。その後、ありとあらゆる資料が葬り去られる。
本当はずっと、気づかないふりをしてきただけなのだろう。なぜなら、特待生はそれに気づきたくなかったから。
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