宝石の小枝

31

『両親が十王子近くまで来るので、一緒に食事をしてきます』
 嘘から出た真。きっとこれは大切な友人たちを欺いた罰に違いない。
 
「っあ、……お父さん、お母さん」
 予想だにしない邂逅に、特待生はそれ以上の言葉を紡げず立ち尽くした。男女は顔を見合わせると、こちらへ歩み寄ってくる。
「例の騒ぎは収まったと聞いているけれど、どうしても一度、じかに会って話をしたいと思ってね」
「突然ごめんなさいね。何度か連絡をとろうとしたのだけど繋がらなくて……」
 特待生は弾かれたように鞄の中からスマートフォンを取り出す。タクシーに乗っている間、終始うとうとしていなければ確実に気づけたであろう、大量の着信とlineの通知。己の不甲斐なさに噛み締めた奥歯がキリリと鳴った。
「特待生さんのご両親ですか?」
 依然、二の句が継げないままでいる特待生に手を差し伸べたのはコスモだ。特待生は我に返り、会話の仲立ちをすべく双方の間に立った。
「は、はいっ。ご紹介しますね……えっと……?」
 向き直る方向を数秒間迷ったのは、一般的な行儀作法としてどちらの紹介が優先されるか、即断できなかったからだ。この場合は(少なくとも対外的には)特待生の身内である両親を、宝石が丘の面々に先に紹介するのが正しい。
「あの。父と、母、です」
「ひかりの父です。学園まで突然お伺いしてしまい申し訳ありません」
「母です、ひかりが大変お世話になっております」
 ぎこちない仲介役の紹介を受け、天音煌介とあかりが会釈する。続いて宝石が丘側の説明に移ろうとする特待生を荒木が制止した。
「宝石が丘学園講師の荒木冴と申します。ご両親のほうからお越しいただき大変恐縮です」
 公の場に立つ指導者としての表情で、荒木が深く頭を下げる。
「本日はご足労いただきありがとうございます。本来、私がもっと早くにご挨拶と謝罪にお伺いするべきでした。今回の騒動は全て私の不徳の致すところにございます」
「先生! それは違います」
「違わない」
 荒木の断固たる声に特待生は押し黙る。先刻のくだけた明るさは欠片も残っていない。
「天音さん。立ち話で済むようなお話でもありませんので、場所を変えて詳しくお話させていただけませんか。もしお時間が許すようでしたら、ぜひ」
「よろしいんですか?」
「もちろんです、学園に応接室がありますのでそちらで」
 大人たちの間で粛々と進む話を飲み込みきれない特待生の背に、ふわりと手が添えられた。振り向けばすぐそばにあかりが立っている。
「あか……お母さん」
「行きましょう」
 先導する荒木に父親が付いていく。あかりが続き、選択の余地はない特待生も彼らの後を追う。ドクドクと心臓から送り出される血液は自己嫌悪でどす黒く染まり、特待生の内を満たしていくようだった。夢と希望に満ちていた一人の少女と、彼女を宝物のように大切にしてきた夫妻。宝石が丘での月日が経つにつれて、彼らに思いを馳せる時間が確実に減少しつつある。この期に及んでそれを自覚すれば自分という存在はあまりに許しがたく、いっそこの場で霧散、いや爆散でもして消えてしまいたい。素晴らしい友人たちとの楽しい時間も、さっきまで食べていた美味しい料理も、自らの趣味で選んだ服も、過去と決別し宝石が丘の特待生として生きていくのだと前向き思考を決め込んだのも、全ては自分本位。その間も天音夫妻は娘を失った悲嘆に暮れていたのに。ああ私が悪い、私が全部悪いんだと、そのように思考停止して楽になろうとしているのも憎い。針のむしろの上で永遠に悶え苦しみ、のたうち回ればいい、この先も決して許されることのないように――
「……っ、俺も同席させてください!」
 特待生は振り返り、その正体を視界に収める。五感よりもっと奥のところで感じることができる声がある。初めてこの学園に足を踏み入れた日も、それを教えてくれたのは彼だった。青だ。泰然とたゆたう青が自分を掬い上げ、包み込むような気がする。
「宝石が丘学園三年、青柳帝と申します。俺、いや僕も、こだまさんのことを知っています。合格発表の日に何があったのかを彼女から聞いております」
 
 近日中に、奮発した牛肉でとびきりの肉じゃがを作ろうと帝は胸に誓った。どういうことかと聞きたいに違いないだろうに、詮索せずあっさり寮へ戻っていったコスモに心から感謝している。週末の宝石が丘学園校舎内。すでに日は落ちていて、廊下ですれ違う生徒や講師はいなかった。自主練の生徒が数人程度残っている可能性はあるが、レッスン関連の部屋は離れたところにあるため、周囲に人の気配は感じない。滅多に立ち入ることのない来賓用の応接室へ足を踏み入れた。
 帝の隣には荒木が、向かいの上座に位置するソファには特待生とその両親が腰を下ろした。うつむいた特待生が顔を上げて目が合いそうになるたび、ふっとそらされてしまうのがなかなかに堪える。いや、様子が気になるからといって彼女ばかりを凝視する現状に問題があるのだ。強制的にでも他の人物に視線を移すしかあるまい。
 天音煌介(こうすけ)。ころんと丸い目が特待生に似ているかもしれない。頬や鼻筋のラインも、年齢相応の腹回りも、物腰も纏う空気も丸みを帯びて柔らかく、その場にいるだけで不思議と安らぎをもたらすようなタイプだ。一方、天音あかりは一輪挿しに活けられた水仙を思わせる。華奢なのに凛とした存在感を併せ持っていて、今朝きっちりとメイクをしていた特待生は、彼女の顔立ちとかぶるところがある。夫妻は二人とも身なりが整っていて、衣服の生地や仕立ても上質だ。天音ひかりが高校を中退して宝石が丘に入学した経緯からも察せられるとおり、裕福な家庭のゆったりとした空気を感じる。接客系アルバイトの癖からか、帝がプロファイリングめいたことを始めた矢先、部屋に立ち込めていた沈黙が破られた。
「勝手なことをしてすみませんでした!」
 悲痛を吐き出すような声に、帝は夫妻のすぐ横へ視線を滑らせた。頭を下げた特待生の表情は前髪で遮られてよく見えない。
「煌介さんとあかりさんの同意も得ずに申し訳ありません。ひかりちゃんとの関係について、荒木先生と青柳先輩に話をしました。全て私の独断です」
 うつむいた顔に、血の気が引いた唇だけがかろうじて確認できる。膝の上で組んだ両手は不安げに震えている。誰が責め立てたわけでもないのに突然に謝罪を始めた特待生を見て、残る四人は面食らった。その中で煌介が当惑しつつもゆっくりと口を開く。
「――ええと、謝らないで、まずは落ち着いて。そう、まず状況がよく飲み込めていないのだけれど、〝こだま〟さんというのは……?」
 応接室までの道中、ほうぼうからそれを問いたげな視線が飛んでくるのを帝も感じていた。「それは」「それも私のやったことです」帝の返答を特待生の声が遮る。
「私がお座なりで名乗ったんです。その、……以前の名前を使うことに抵抗を感じてしまって。勝手なことをして、すみません」
「特待生、謝るのは俺のほうだ。後先を考えず口にしてすまなかった」
 寮の一室で即興で考えた名前を夫妻が知るはずがないのに、コスモもいる前でとっさに彼女の秘密を口にしていた。この場に加わりたい一心だけで、当の帝本人が驚くほど〝青柳帝らしくない〟行動をとったものだ。特待生、続いて帝と、なぜか謝罪を始める人数が増えていく展開に煌介が苦笑いする。
「いやいや、お二人ともそんなにかしこまらないで。……うん、きっとそっちのほうがいいよね。僕たちもこだまさんと呼ばせてもらっていいかな? あかりはどう思う?」
 煌介が傍らの妻に目配せを送ると、あかりも静かに頷いた。
「こだまさん。ダメ元でここまで来たけれど、会えて良かった」
「……お心遣い、いたみいります」
「本当に、これ以上は謝らないでね。私は、その話ができるほど信頼できる方々がいてホッとしているくらいだもの。だから謝るのはおしまい。ね?」
 あかりの、ふわりと華やかでありながら芯の通った声は、場の空気を浮上させる力強さを持つ。特待生の声帯のルーツだ。
「うん、うん。僕も同じ気持ちだよ。いやあ、どっちかというとお二人とも男性というのには少し驚いたかな?」
 あかりの言葉を煌介が逃すことなく伝播させて、話しやすく朗らかな空間へと仕上げていく。特待生の眉は依然としてハの字に下がったままだが、天音夫妻につられて弱々しくも笑みを浮かべた。
「はは……仮に女子生徒や女の先生がいたらどうだったんでしょうね。荒木先生と青柳先輩が頼もしいことに変わりないですし」
「やだなあ。そんな周りが男性しかいないみたいに言われると心臓に悪いよ」
「そうよ、全寮制というだけでも様子が見えづらくて心配なのに」
「…………」
「……特待生、まさかとは思うが……」
「わ、私は。ひかりちゃんが宝石が丘を志望したときに、煌介さんもあかりさんも既にご存知かと。でも、その……入学してからは、あまりご心配おかけしたくないですし、意図的に話題に出さなかった、ですね……」
 荒木のじっとりした視線に耐えきれなくなった特待生が「うう」と手で顔を覆う。当惑する天音夫妻に、荒木が宝石が丘学園の男女比率について説明を始めた。話が進むにつれ、夫妻の口はぽかんと大きく開け放たれていく。
「そんな……聞いてないわ。あの子、出願のときもそんなの一言も」
「うん、ひかりはしっかりしているようでいて、抜けてるところがあったからね……」
 しかし、重苦しい雰囲気がほんの少し上向いたと感じたのは束の間。
「でも頑張ってなんとかしちゃうのよね。親ばかですけれど、本当に、ハラハラしながら見守っているつもりが、いつの間にかこちらが元気をもらってるような、そんな子で……」
 涙まじりの声で気丈に微笑むあかりの肩を煌介が優しく抱き、共感するように何度も頷いた。

 天音ひかりは一体どんな少女だったのだろう。もともとは赤の他人だったであろうこの男女が、出会い惹かれ合い、新たな家庭を築き、そうして生まれ出た命。たっぷりの愛を注がれすくすくと育まれた彼らの宝物。特待生は依然としてうつむいたままだ。帝から見て先程と変わったところといえば、口を強く引き結び、拳は固く握られていることくらいだろうか。学園中を慌ただしく駆け回る彼女の身体も、声優にとって魂の原点とも呼べる声帯も、ルーツは間違いなく天音夫妻だ。帝がその身に流れる雅野家の血にどれほど抗ったところで覆せないのと同じに、打ち消しようがない。重要なのは青柳帝としてどう生きるかであって――
「ん……?」
 思考の渦で何かが引っかかった。帝は特待生の独白を思い返す。特待生が天音ひかりに成り代わったあとも、生まれた家や通うはずだった学校、職場は変わらず存在していたのだという。つまりこれはいわゆる異世界転生ではないのだ。成り代わり前後の世界は同一で、特待生の人生だけが根こそぎ抹消されている。
「それなら……」
 彼女の血を分けた子どもたちはともかく、もともと赤の他人である夫はどうだろう。
「特待生のご主人は、いまもこの世界に存在するんじゃないのか?」
 帝がふと漏らした呟きに、周囲はおしなべて疑問符を浮かべた。これまでの会話とはなんの脈絡もないのだから当然だ。改めて言葉を選びなおし自らの仮説を述べると、真っ先に理解したふうの荒木が膝を打った。
「そうか……たしかにそうだな。旦那さんの存在は、特待生が消えたことと直接関係しない」
 少し遅れてあかりと煌介も続く。
「なんで気がつかなかったのかしら。ずっと、こだまさんに対してできることがないか考えていたけれど」
「ご主人の消息、興信所を使えば突き止められるんじゃないかな。お名前も生家もわかっているのなら、そう難しいことでもないはずだよ」
 応接室が一気に色めき立つ中で、特待生は控えめに挙手をした。
「あ……。えっと、そのことなんですが。ご厚意だけありがたくいただきます」
 婉曲な日本語表現が今はとてももどかしい。要は特待生が提案を断ったのだ。なぜだと問い詰める帝の声は、少しの苛立ちを含んでしまった。対称的に、特待生の受け答えはここにきて一番穏やかで柔らかいトーンへと変化する。薄く微笑んで彼女は語り始めた。
「……たとえば。青柳先輩、たとえばRe:Flyの五人のうち、誰かの欠けた世界があるとしたなら……何年かあとでその誰かが合流できたとして、それは今のRe:Flyと同じでしょうか」
「……それは」
 これ以上ない例え話だろう。誰か一人でも欠ければそれはRe:Flyではないし、いまの青柳帝も存在しないと断言できる。同様に、特待生と出会わなかった世界線で生きる男性の消息を突き止めたとして、それは彼女が愛した男性と同一人物だと言えるだろうか。仮に再会を果たしても「会えて嬉しい」それだけで済むだろうか。縁もゆかりもない少女が現れ「あなたの妻になるはずでした」などと口にしたら、帝とて邪心か狂気を疑う。
「いまの主人のことを知りたくないと言ったら嘘になります。けど……私にはもったいないくらい素敵な人なので、きっと誰かと幸せに暮らしてると思うんです」
 耳元の髪を指でくるくると弄びながら、彼女は苦笑する。
「あはは、ちょっと惚気っぽいですよね。いまは妻でもなんでもないんですけどね。……えっと……。少なくとも、っ、いまは、そのことを直視する勇気、がっ、ないので」
 指に巻き付いた髪を握り込んでぐいぐい引っ張るのは、特待生が制御しきれない感情をなんとかやり過ごそうとするときの癖だ。けれど大粒の涙はすでにぼたぼたスカートに零れ落ちて不格好な水玉模様を作っている。彼女はずびび、と勢い良く鼻水をすすり上げた。
「申し訳……っ、ありません。皆さんのご厚意は……っく……とてもっ、嬉しいんです。だから、だからちゃんと笑って、きちんとお礼を述べたい、です。なのに……なのにうじうじ泣いてて、いい大人のくせに恥ずかしくて、もどかしくて悔しいです。本当に……っ、…………えっと。なので少しだけ席を外してすぐ戻ります!」
 嗚咽混じりの泣き笑いで一気にまくし立てると、特待生は応接室を飛び出した。

 呆気にとられた数秒の後、慌てて立ち上がった帝を荒木が制する。
「帝。今は一人にしてやれ」「しかし、元はといえば俺が」
 押し問答の合間にも、特待生の足音はどんどん遠ざかっていった。
「今のは連帯責任だ。お前だって悪気があって言ったわけじゃないだろう?」
「こだまさんが戻ったら、みんなで謝りましょう。それにつけても……突拍子もない事だと思いますけど、荒木先生も青柳さんも、私たちの話を信じてくださってるんですね」
 荒木とあかりに促され、帝はしぶりながらも腰を下ろす。あかりはそんな彼の様子を見届けると、ためらいがちに話しはじめた。
「……事故の報告を受けて私どもが病院に駆けつけたとき、ひかりは血まみれで……気を失いかけたのを覚えています。そうしたら、そこで処置中のお医者様が、ひかりにほとんど外傷はない、他の乗客の方の血液だと仰ったんです」
「ひかりが、……いや、こだまさんが意識を取り戻した瞬間に、血は跡形なく消えました。お医者様も返り血の話などした覚えはないと。あれを目にしたからこそ、私どもも信じるよりほかなかった。きっとあの血はこだまさんのものだったのでしょう」
 帝と荒木は黙りこくった。彼女の独白を受けたときにインプロと決めてかかったことを今でも悔やんではいる。しかし、天音夫妻の話を聞いてもなお、奇々怪々な事象であると驚かざるをえない。生還した娘の身体に全くの別人が宿っていると知ったときの心中はいかほどだろうか。特待生の善意と命が引き換えであったとしても、夫妻がいかなる人格者であったとしても、受け入れがたい現実であることは相違ない。誰一人として悪者のいない悲劇というのはある。
 遺された親の心痛に思いを馳せる一方で、喫緊の気がかりは部屋を飛び出した特待生だ。たまたま同じバスに乗り合わせた少女を庇った結果、すべてを失った挙句、少女の両親への罪悪感を抱えて生きていかなければならなくなった。これも理不尽としか言いようがない。
「……こんなことを伺うのはあまりにも不躾と承知していますが、本日はなぜこちらにいらしたのでしょうか? 彼女に会うことは、お二人にとって非常におつらいことのはずです」
 荒木が帝の心中を代弁する。おそらく荒木も自分と同じことを考えているのだ。宝石が丘学園高等部が全寮制なのは不幸中の幸いで、この複雑な疑似親子はむやみに顔を合わせる必要性がない。夫妻はもう特待生の前に現れるべきではないのだ。もっと率直に言えば、特待生が傷つくくらいなら宝石が丘に来ないでほしかった。今夜出会ったばかりの夫婦と特待生、どちらが帝にとって大事かは比べるべくもない。
 天音夫妻と対面したときの特待生は、入学式の日、初めて出会ったときの彼女と同じだった。自らの存在自体に罪悪感を覚えているような、かつての帝自身を思い出してしまうような危うさ。金輪際、特待生にあんな顔はさせたくないのだ。荒木の遠回しな物言いがどこまで通じているかわからないが、煌介が重々しく口を開く。
「荒木先生の仰る通りです。私どもがひかりを失った悲しみは永遠に消えることはありません。こだまさんに会えば否が応でもそのことを思い出してしまう」
 それならば、互いのためにもう会うべきではありませんね、と結論へ導くべく口を開きかけると、煌介は「だからこそ、です」と続けた。
「……愛する者の亡骸を抱きしめることも弔うこともできない痛みは、彼女自身もきっと同じだから。ずっと心配でした。会えば互いに苦しいとわかっていても、会わずにはいられなかったんです」
 至極当然のように、あかりが夫の言葉を繋ぐ。
「もうこちらに伺うことはありません。安心しました。お二方の前では、天音ひかりを演じずにいられるんですね。本当に、良かった」
 
 程なくして特待生が応接室に戻ってきた。宝石が丘学園と天音ひかりについて黒い噂の流れた経緯、訂正記事による名誉回復が図られること、男性ばかりの学園生活でのセキュリティなど、一通りを話し終える頃には寮の門限が迫っていた。
 
 学園の出入り口まで天音夫妻を見送る役を志願したのは特待生だった。彼女の目に宿っているのは感傷ではなく強い意志による光で、荒木も門限までに戻るようにとしか言えないようだ。
「……なあ、荒木先生」
 爪先で石ころを蹴りながら、帝は隣を歩く荒木に話しかけた。
「改めて、家族ってなんなんだろうな。生まれたときから一緒にいるのと、自分で作る家族って、やっぱり違うものなんだろうか」
「はあ? その手の話は俺に聞くなよ、それはお前だって知ってんだろ」
 荒木は苦笑しながら夜空を見上げた。
「家族なんて、人の数だけ違うもんだろ。そんで、たまたまあの三人の家族観とやらが一致してたんだろうさ」
「うむ……」
 二人とも再び押し黙り、カラコロと小石の転がる音だけが響いた。
「つっけんどんな答え方して悪かったよ。ちーっとこっちも余裕がねえんだ。ビビってんだよ。あいつに使命だのなんだの押し付けて結果的にはうまくいったつもりで……けどよ、何か一つ違ってたらあいつは」
 語尾が震えている。長い付き合いの帝であっても初めて見るくらいの狼狽ぶりだ。それ以上は話を続ける気にもなれないままL棟とC棟の岐路に差し掛かった。じゃあなまた明日、と普段と変わらぬ挨拶を交わして別れる。
『いっそ私は死ぬべきではないでしょうか』
 特待生が応接室に戻ってくる少し前、天音夫妻から聞いた彼女の台詞だ。
『ひかりさんの身体を赤の他人である私が奪うくらいなら、命を絶つことでお返しします。ご息女の姿でこんな提案をすること自体、酷なこととは重々承知しておりますが……どうかご検討ください』
 彼女の心がその時に戻ることがないようにと夫妻から念押しされたところで、今の帝には対策を講じられるほどのゆとりがない。事実を咀嚼するだけで手一杯だ。
 
 一人の少女の死を巡り、声を殺して、時に呻いて、ひたすらに泣いた。大の大人が三人揃って、ほぼ飲まず食わずで三日三晩泣き通したことにも気付かず、抜け殻みたいにフローリングに転がっていた。電池容量残り僅かのスマートフォンで、スマートフォンに負けず劣らず死に体の煌介が宅配を注文した。玄関まで這いずって受け取ったのは熱々のピザで、弱りきった胃腸に暴力的なチーズの匂いが攻撃を仕掛けてくる。
「うぷっ……」
 揃って口元を押さえた。眉を上げ下げしながらあかりが煌介を睨みつけて、煌介が困ったように目線を漂わせて、それが見るからに仲良し夫婦を思わせる一コマで、ふいにほっこりした特待生は不謹慎にも吹き出してしまった。それぞれが、互いの顔を見ないようにうつむいて肩を震わせた。なんの変哲もない定番ピザの味はやたらと現実的で、三人はその現実とやらを咀嚼し飲み下した。胃がキリキリと悲鳴を上げるのさえ命の手触りがする。
 ひどいもんだったねと煌介が笑った。この場の三人だけが知っているあの日々語りながら、十王子駅に一番近い校門に向かって歩いている。
「面差しが変わったよね」
 煌介の言葉にあかりが頷いた。
「誤解しないでね。悪い意味ではなくて、ああやっぱりあなたはひかりじゃないんだって、ちゃんと違う人なんだってわかる。不思議ね。言いたいこと、伝わってるかしら?」
「……はい、たぶん。私は、変わりましたか?」
 一緒に過ごすうちに家族が似てくるのは血縁のせいだけではないと聞いたことがある。毎日同じものを食べて、同じことで笑ったり怒ったり。摂取する栄養素やら表情筋の使い方やらが近くなることで顔立ち、口癖、立ち振る舞いが似てくるという説があるらしい。この三ヶ月、特待生は演技でもプライベートでもめまぐるしいほどにコロコロと表情を変え、学園中を駆け回った。それが今の特待生を形作っている。十七年あまりを共に過ごした両親が、面差しが変わったと指摘するほどには。
「ここまでひかりの夢を追ってくれてありがとう。でもあなたにはあなたの進みたい道を選んでほしい。……この学園以外の場所だっていいのよ?」
 校門に到着した一行が歩みを止める。

 生きる理由がなかった。死ぬことも許してもらえなかった。だから少女の夢を追うことにした。桜吹雪の舞う四月のあの日、この学園に足を踏み入れていなかったら、特待生は今どこで何をしているか皆目見当もつかない。夏の星空を見上げると、ふと青い光が胸に宿る。
「あかりさん、煌介さん。……すみません、私は声優になりたいです。ひかりちゃんではなく私の意志でそうなりたいと思うようになりました。どうかこの夢を追わせて下さい」
 嘆願の形を取ったけれど、たとえ断られても特待生は引き下がるつもりがなかった。自然豊かな十王子の夜闇は深い。自分も光を放つような声が出したい。天音ひかりの背中を追い続けるのではなく、自分自身の夢を輝かせて声を発したい。
「応援してるわ。いちファンとして、友人の一人として」
「いつかまた、必ず会おう」
 それぞれの闇と光を胸に、三人が笑顔で会える〝いつか〟を願った。

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