宝石の小枝

32

「え、ミーちゃんのスカートって、手作りなの?」
 発端は、プリーツの幅が特待生のものと微妙に違うねと話したとき。宝石が丘は制服にも積極的に個性を取り入れるよう推奨しているが、巴のようなケースは初だったのだろう。注文先は勘違いに気を利かせたつもりか、スカートを発注したにも関わらずスラックスが届いたのだという。
「どう見ても既製品だよ。プリーツスカートって縫えるものなの?」
「へへ、お裁縫は得意なんだ~。このリボンもネクタイをリメイクしたんだよ!」
「得意って言葉で片付けちゃっていいのかなーこれ……」
 仮に裁縫が不得手だったとしても、自分の好きを諦めない強さが巴にはある。めげずにスカートに仕立て直してしまうところが彼らしい。頭のつむじから足の爪先まで、緩くウェーブした髪の毛一本までもが美和巴を体現していて、触発された特待生は思いきって口を開いた。
「折り入ってミーちゃんにお願いごとがあります!」
 
 それから数日後、一学期終業式が開かれている体育館は炎熱地獄さながらだった。一応エアコンが入ってはいるのだが、扉は開放され日差しは容赦なく差し込み、意味を為していない。
「いいなー。俺も中等部の制服が恋しくなってきたかも」
 リニューアルした特待生の制服を見て七緒が額の汗を拭う。学園指定のスラックスを巴があっという間にショートパンツにリメイクしてくれた。中等部制服より丈は短いが、センタープレスで制服感は出ている(と特待生は思っている)。上半身は半袖シャツの上に付かず離れずシルエットのニットベストを着る。髪は少し低めの位置で一つ結びにした。まだポニーテールを結えるほど長くない。足元は少しゴツめのスニーカーだ。制服をスカートからショートパンツに変えたい、そう巴にお願いをしたとき彼は少し不服そうだった。
「どうして? せっかくかわいいのに」
「ありがとう、ごめんね。でも、ミーちゃんみたいに一番自分らしい格好でいたいなって」
 そう話すと巴は感慨深げに頷いてくれた。割とシンプルに、膝上丈のスカートを穿いていると全力が出せない。スパッツを穿いても根本解決しない。衣装であれば着るが、自分の日常には馴染む感じがなくてどこか窮屈だった。姿見の前で自分に向き合う特待生の脳裏に、天音あかりの声が蘇る。
『やっぱりあなたはひかりじゃないんだって、ちゃんと違う人なんだってわかる』
 どんなにあがいても自分は自分。少しずつ答えが見えてきた。これまでに歩んだ人生は修正しようもなく根付いて、それを基盤に演じる役という名の花を咲かせる。
「おいそこ! ちゃんと聞いてんのか?」
 荒木の鋭い声で特待生は我に返った。どうやら自分向けの叱咤ではないらしく、ほっとする。うだるような暑さに耐えかねたか、帝とコスモが訓示中の荒木に絡んでいる。さすがの荒木ものらりくらりの最年長組が相手では分が悪いようで、かなり同情を覚えながら終業式を終えた。

 解放された生徒たちが学生寮やレッスン室へと散っていく中、教室にペンケースを忘れたことに気づいて特待生は校舎方面へ向かう。そんな彼女の背後に音もなく忍び寄る人影があった。
「んあ……っ?」
 首筋を這う筆先のような感触に、特待生は喉の奥で鳴いて背筋をのけぞらせた。驚いて後ろを振り返ると青柳帝が立っている。彼にしては珍しく、若干気まずそうに斜め上へ視線を逸らしており、ほんのりと頬が赤い。その意味を理解した特待生も、恥ずかしさと付随する怒りで顔が熱くなる。
「すまん、その、まさかそんな色っぽい声が出ると思ってなくてだな」
「……とりあえず今から先輩の眼鏡を奪って全力で逃走しますがいいですか、いいですね?」
 すかさずファイティングポーズを取る特待生に、帝は慌てて後ずさった。
「待て待て、それは割と本気で困る! 詫びと言ってはなんだが、いいものをやろう」
 帝がポケットをあさり、ふわりと首の後ろから回し掛けてきたのは学園指定の黄色いネクタイ。特待生を含む現在の高等部一年生が、三年間持ち上がりで身につける色だ。
「カカカ! 俺は物持ちがいいのだ。その格好ならリボンよりネクタイのほうが似合いそうではないか?」
「たしかに、そう思いますけど……もしかして、これって」
 話の行きがかり上〝詫び〟と言われて差し出されたネクタイだが、どう考えても最初から特待生のために用意されたものではないか。男子生徒なら最初から持っている、あるいは着こなし上の都合で意図的に外しているのだから。加えて、帝が以前から所持していることを匂わせる発言。今は青色を着ける帝が、留年する前に所持していたのがこの黄色いネクタイだろうことは、容易に推察できる。
 青柳帝が留年した事実そのものは学園でも広く知られている反面、特待生がその理由を耳にしたことは一切ない。彼自身があっけらかんと触れ回っているし、普段のおちゃらけた言動のせいか、かえって誰も深追いしないのだ。しかし以前、特待生ははからずもそこに触れかけてしまい、苦い思いをした。帝の意図と行動が読めないことに戸惑うこちらの胸中を知ってか知らずか、当人はやたらと上機嫌に振る舞う。
「更に本日は特別サービス! 俺が手ずから超絶美麗に結んでやるぞ」
 帝のすらりと長い指が首元に伸びて、リボンタイを外されるとき、心も身体も少しこそばゆかった。今度は変な声が出るのを抑えることができた。拍動で胸が上下しそうな気がして呼吸を止める。しゅるり、しゅるり。衣擦れの音とともに、首元にきれいな形の結び目(ノット)が完成した。
「ありがとうございます。お借りしていいんですか?」
「やるよ。新たな役割があるほうがネクタイも光栄だろう? それに……」
「それに?」
「……いや、しかし惜しかったな。先ほどの特待生の声を録音しておけば、さぞや高値がついただろうに」
 特待生は五秒ほど考え込んで、また真っ赤になって帝の眼鏡に手を伸ばしたがひらりとかわされてしまった。冷静さを取り戻されると真っ向勝負を挑んだところで身長差的に敵うはずもなし、猛暑の最中いま以上に体温が上がるのも遠慮願いたいので、特待生は和睦の道を選ぶことにした。
「もういいです……私、教室に忘れ物があるので行きますね。ネクタイ、ありがたく使わせていただきます」
「お礼は特待生のパンツでいいぞ~」
「っ、いつお詫びからお礼になったんですか!」
 最後の抵抗を声にしつつ帝の脇をすり抜けて、特待生は一ーCの教室方向へ駆けていく。帝はゆったりとその姿を見送った。今回は照れ隠しで早く立ち去りたいのだろうが、なんだかんだで彼女を見かけると歩いているより小走りのほうが多い。結われた髪はせわしなく動く背中でぴょこぴょこ揺れる尻尾のようだ。微笑ましくて背後からつい悪戯を仕掛けたら、つまりは毛束で彼女の首筋を撫でたら例の事態になったわけだが。不思議なことにスカートにリボン、女の子らしいパーツを取り外した後のほうが大人びて見える気がした。細い手足にも緩急があり女性特有の曲線が感じられるのは、彼女の身体的成長によるものか、あるいは。
「まあ、君に着けてもらえたら、……なんだろうな、薄れそうな気がするんだ」
 帝のかすかな呟きは、特待生の背中には届かなかった。
 
 わからない。自分から匂わせたかと思えばはぐらかす。青柳帝にどう向き合えばいいのか特待生は未だにわからずにいる。ペンケースを回収しカーテンのなびく廊下を歩いていると、立ち話をしている荒木とコスモに出くわした。猛暑の中だというのになぜだか寒気に襲われる。
「おやおや、宇宙の意思が即戦力の存在を告げています」
「なるほど。悪くねえな」
 意味ありげな視線が注がれ、自分の第六感が案外優れていることを悟った。
「特待生、修了式で臨海学校の話はもちろん聞いてたよな?」
「あ、はい。自由参加なんですよね。……ちょうど予定も空いているし参加するつもりですが」
 荒木の顔色を窺いながら慎重に返事をすると、にんまりとした笑みが返る。重要なルート分岐の選択肢を間違えたかもしれない。
「うん、感心感心。特待生として日夜頑張るお前には特別メニューを用意してやろう」
「私たちRe:Flyと夏のひとときを楽しみませんか?」
「あっ、えーっ。私は基礎強化のため通常メニューを希望します。遠泳と砂浜ランニングが魅力的なので参加しようと思ったんです。あと夕陽に向かって叫びます」
 荒木とコスモが顔を見合わせて頷いた。
「つまり、OKだな?」
「つまり、OKということですね?」
「話を聞いてください」
 強制イベントだった。視界の隅には、YESを選択するまで消えないダイアログが見えた気がする。そこからさらに数日が経過し、特待生は荒木が運転するライトバンの助手席に座っていた。後部座席にはRe:Flyの五人、うち四名は夢の中。
「どうして私はここにいるのか……」
「仕方ねえだろ。立夏はあのとおり機能してねえし」
「そういうことではなくてですね」
 唯一眠っていない夜来立夏の顔面は蒼白で、時折、歯がカチカチと音を立てている。多少なりも彼を知っていれば理由は明白だ。海は屋外で大自然ゆえアレが跋扈していても仕方ない。残念ながらアレ、もとい昆虫類は地球上で最も繁栄していると言われている種族である、南無。

「……あ、次の次の交差点、○×二丁目を右です」
「りょーかーい」
 今朝、特待生は学園前に停車した大型バスに乗ろうとして荒木に首根っこを掴まれた。連れて来られたこの車の後部座席には、眠る四人とおののき震える立夏がいたのだ。そして、例によって荒木は直前までことの全貌を明らかにしないから、おそらく目的地に着くまで何を聞いても無駄だ。背後で志朗が時々うなされたような寝言を言う。振り向けば目を瞑ったまま険しい顔をしているのが気になった。車窓の外に広大な青が広がる。身近にあるようで実は久方ぶりの海に特待生は数秒ほど見惚れていたが、すぐに手元の地図へと意識を戻した。臨海学校に参加するはずが目的地は海水浴場の駐車場を指している。嫌な予感しかしない。車を降りて連れてこられたのは、使い込まれた年月を感じさせる昔ながらの海の家だった。
「海の家のお手伝い!?」
 帝から聞かされた今後の予定にほぼ全員が声を上げた。Re:Flyと特待生だけの特別メニューとは聞いていたが、もはや臨海学校の要素が見当たらない。さして驚いていないコスモに、さすがは帝との付き合いも長いルームメイトだと妙な感心すらしてしまう。それでも根気強く話を聞いていれば、店主のおじいさんが腰を痛めスタッフも体調不良という非常事態で、ここにいるメンバーで海の家を手伝うことに関しては全員が同意を示した。キッチン担当は志朗と宙の二年生組、ホール担当は帝・コスモ・立夏の三年生組に決定。荒木は寝込んでいる店主に付き添いながら長距離運転の休息を取ることになった。特待生は外で看板娘として呼び込みを命じられている。
(わかってたなら早く言ってくれれば準備できることもあるのに。いつもそう。毎回毎回、荒木先生は……)
 若干むくれながらもホール準備を手伝う特待生の近くで、三年生組が何やら揉めている声が聞こえる。彼らが身につけたエプロンの柄を見て、特待生はすべてを察してしまった。
「特待生。どうだこのユニフォームの出来栄えは! 一目で店員とわかり、なおかつメンバーの一体感も強まる。我ながら素晴らしい発想だと思わないか?」
「あの……それ、私も着けるんですか?」
「いや、残念ながら特待生が参加するとは知らされていなかったからな。三着しかない」
 特待生は帝の答えにひとまず安堵し、忌憚なき意見を述べることにした。
「そうですね。腹筋の割れたイケメンが水着エプロンな時点で欲張りすぎかと思いますが、パンツ柄がいい感じに外しアイテムになってバランス良いかと」
「泣いていいか?」
 立夏ががっくりとうなだれる。
 
「呼び込みは基本的に屋外だからな、こまめに水分補給しておくんだぞ」
「はい」
「特待生、本当に水着は着ないのか?」
「着ませんね」
「帝、そろそろ諦めなさい」
 小さい頃からスイミングをやっていたし人前で水着になることに実はそこまで抵抗はないのだが、イケメンの水着エプロンが三人居ればインパクトは十分だろう。志朗と宙もキッチンで一通りの人気メニューをさらったらしく、海の家はいよいよ開店と相成った。
「梅きゅうりは熱中症予防にもいいですよ~! 涼んでいきませんか?」
「和洋中で修行を積んだ料理人秘伝のタレで食べるイカ焼き! おすすめです!」
 特待生も覚悟を決めて呼び込みをする。正直、事前予告なく知らされたアルバイト内容をうまくこなせるのか緊張で一杯だったが、Re:Fly五人の達観した様子を見ていると弱音は吐けなかった。プロの声優としての年季の違いだろうか、さすがに肝が据わっている。
「特待生、休憩時間だよ。思ったほどお客さん来ないね」
 店を開けて一時間ほど経過した頃、宙がやってきた。差し出されたドリンクにお礼を言って口に含むと、しゅわしゅわの炭酸が呼び込みを続けた喉に心地よく染みた。
「うーん、まだお昼前だし海で遊ぶ時間帯なのかもしれませんね。呼び込み頑張らないと!」
「ふふ、やる気だね。俺も志朗の助けなしで作れるメニューを増やしておこうかな」
「あ。浮間先輩といえば……」
「うん、志朗がどうかした?」
「……いえ、浮間先輩もお料理上手でびっくりでした。では少し日陰で休憩取らせていただきますね」
「いってらっしゃい」
 自分のことすらままならないのに、なんでもかんでも首を突っ込もうとするのは悪い癖だ。呼び込みがしっかりしなければRe:Flyの五人に繋がらない。休憩後はファミリーにカップルなど客層によって売り文句を工夫して声掛けをしてみたが、いまいち響いた実感がなかった。期待した昼時も客の入りはそれほど変わらず、鳴かず飛ばずで夕方を迎える。店内はとうとう従業員のみになり、Re:Flyと特待生は閑古鳥の鳴く海の家から砂浜に出てきた。
「オレの料理がまずかったとか……」
「志朗のせいではありません。味はむしろ例年より良いと言っているお客さんもいましたよ」
 落ち込む志朗をコスモが柔らかく励ます。特待生も昼食に志朗作のまかないをいただいたが、とても美味しかった。味に難があるとは思えない。
「俺たち不慣れだし、忙しすぎなくて良かったと言えば良かった、かな」
「しかしなあ。店の年季の入り方からして、毎年一定の集客はあったんじゃないか」
「うーん、それもそうか」
 行き詰まった一同は黙ってしまったが、ふと何かに気付いたらしいコスモが「ちょっと様子を見てきます」と砂浜を歩いていってしまった。思いがけないコスモの行動に特待生は呆然とその背中を見ていたが、よくよく見れば彼の目指す方向には何かの行列が見える。
「新しい海の家!?」
 帰還したコスモによれば、行列の先には真新しい海の家があり、大層繁盛していたのだそうだ。店内までは見てこなかったが、閑古鳥の原因はこれと見て間違いないだろうとのこと。
「……ごめんなさい。私、ずっと外にいたのに気が付きもしませんでした」
「日中は浜辺に人が多かったからな、行列までは見えまいよ」
「でも! もっと早く気付いてたなら呼び込みも工夫できたし対策も……」
「特待生ちょっと黙って。もう、誰も責めてないのに志朗も特待生もすぐ『自分のせい』って決めつけすぎなんだよ」
「ハハ。もしかしてオレも怒られてる? 宙、ごめんって」
「すみませんでした……」
「ほらまた謝ってる。そういうところ!」
 ぴしっと鋭い宙の声に特待生はまたもやうっかり「すみません」と言いそうになり、慌てて口を噤んだ。
 
「責任を感じているのなら初々しいアベックのふりでもしてライバル店を偵察してこい」
 リーダーの指令が下り、志朗と特待生は真新しい海の家で行列に並んでいる。店に残るメンバーは閉店と明日の仕込みをやっておいてくれるそうだ。
「辺見先輩っておっとりしてるイメージだったんで、さっきのは意外でした」
「あはは、特待生ちゃんにはそう見えてたんだ。宙は大事なことは結構はっきり言うよ、カッコいいっしょ?」
「はい!」
 夕方の海辺にほんのりライトアップされたその店はカウンターバーのように小洒落ていて、実際、テーブルには綺麗なグラデーションのドリンクや球体状のかき氷が並んでいる。いかにもSNS映えを狙った感じだ。行列が長いので待ち時間を覚悟したが、店員がてきぱきと誘導していて予想より早いペースで前に進んでいく。
「いやー、美味いな。このパレットボールかき氷ってのは」
 カウンター席からひどく聞き覚えのあるイケボが耳に届き、特待生は身構えた。
「荒木先生じゃないすか! 店主のおじーさんの看病はいいんすか?」
「休憩もらったんだよ。あとはまあ、お前たちと同じ目的だろうな」
「テーサツ、っすよね。はー、さすが」
 声を潜めながら志朗が感嘆の音を漏らす。店員のスマートな対応で荒木の隣席に案内された二人は、人気メニューらしき数品を奢ってもらえることになった。特待生は、志朗には見えない角度で幾度か荒木を睨んだが、どこ吹く風で受け流される。
(まただ、また……この黒幕体質め……)
 ライバル店の料理の味は可もなく不可もない。むしろこちらのほうが上とさえ感じる。ただオペレーションが洗練されていて、料理の提供や会計がとてもスムーズだった。日中、自分たちの店の有様を見ていたからこそ浮き彫りになる課題。志朗が自分で気づきを得て言葉にしていくのを、荒木が正解を与えずあくまで引き出し役に徹するのを、特待生は拳を握りしめながら見ていた。
 敵情視察を終え、おんぼろ海の家では夕食を囲みながら作戦会議が始まった。調理中、夕食係の一人である立夏が火傷を負うハプニングがあったが、ごく軽症でほっとした。スマートフォンで撮影したライバル店の料理や内装を全員で覗き込みながら、こちらは同じ路線で競わず、郷愁を感じさせる古き良き海の家を活かしていこうという結論に至った。
「方針は決まったところで、いったん離れたお客を呼び戻すのが課題だな」
「集客か……」
 思わずごくんと喉が鳴り、特待生は咀嚼したチャーハンを飲み下しそこねて、軽くむせてしまった。
「特待生、呼び込み係だからっておまえに全部を背負わすなどと誰も言っていないぞ?」
「っ、ごほっ、すびばせん……っ」
「そうですよ、個々の能力は十分。あとは連携が必要だと気がついたはずでしょう?」
「……そういう考え方をさせてしまう原因の一端はこちらにある。が、君はもう一人じゃないんだ。グラン・ユーフォリアも今回のことも、みんなで力を合わせればいい」
「……っ」
 帝に背中をさすられコスモからコップを受け取り、特待生はこくこく頷いた。滲んでくる涙はむせ返ったからということにしてもらおう。
「オレたち声優じゃないすか。ならやっぱ声を武器にできないかな」
「いいね。でも公開アフレコをやるにも絵がないし、仮にあっても宣伝になるかな……」
「んー、そうなんだよなぁ。かと言って歌って踊っても……あ、ラップはどうすか!?」
「浮間先輩、すごい! たしかにラップならメッセージ性が強いし、売り込みに打ってつけですね」
「ラッ……」
 一同の輪から視線をそらす帝を見て、コスモが「おやおや、帝の鬼門が来ましたよ」と楽しげに目を細めた。全方位なんでもそつなくこなすイメージの青柳帝に鬼門が存在する。まさかの事実発覚に特待生が目を剥く間もどんどんとアイデアは膨らみ、担当メンバー決めのじゃんけんが始まった。
「ミカさん、大丈夫ですよ。たくさん練習してうまくなったじゃないですか」
「そうそう、まだ負けると決まったわけじゃないし」
「ううむ、そうだな。いくぞ! 最初はグー、じゃーんけーん……」
 結果、演技抜きでしおれている帝を見て、負けフラグってあるんだなとしみじみ感じたりなどする。ラップ担当は帝とコスモに決定した。
「誰にでも苦手はありますものね。明日まで時間もないですし、交代しても良いのでは……?」
 妙に小さくなった帝を見かねて特待生が擁護の呟きを漏らす。
「いや、決まったからにはやる。そうだな、なにしろ学園の救世主たる特待生もダンスは苦手と聞くからな」
「へえ。特待生、そうなの?」
「……えっ、う……。青柳先輩、なんで知ってるんですか」
「囲碁部で話題だぞ。先日はターンに失敗して鼻血が出たとか。大丈夫だったか?」
「それは大変。他にお怪我はありませんでしたか」
「たまーに打撲とか骨折もあるもんな」
 全員、純粋に心配してくれているのが伝わる。それは件の授業時も同じで、特待生が唯一の女子であることも関係しているのか、講師や生徒が全員集まりとてもとても丁重に扱われた。巴が佐和と陽人の過保護っぷりに愚痴をこぼす気持ちがわかった。前にクラスメイトが捻挫したときのほうがよっぽど淡々と処理されていたと思う。人だかりに囲まれ、痛みより恥ずかしさが勝り、「単なる鼻血です」と言い出せずうずくまるしかなかったなんて。鮮やかに蘇る羞恥心から特待生の口の端がいびつに歪む。
「ふふ、ふふふ。青柳先輩のラップ、期待してます」
「と、特待生? 俺は純粋に心配しているぞ。それとこの話は部活のときに橘と吉條のほうから勝手に」
「よーし、さっそくラップの歌詞を考えましょう!」
「なぜだー特待生!」
 もちろん学園に戻ったら七緒と央太を問い詰めることは忘れない。絶対にだ。
「――ふむ。やはりこのエピソードは丸々削ったほうが良いでしょう」
「特待生の言い分もわかるよ。愛澤も『少女漫画はくっつくまでの過程が熱いぜ!』っていつも言ってる」
「女心ってムズカシイっすね~」
 勢いとは恐ろしいもので、一同はラップの歌詞を作り終えるだけでは飽き足らず、店内で上演する乙女ゲームショーのシナリオまで考えている。
「しかし、メインはあくまで食事を楽しんでもらうことだからな」
「では特待生さん、この場合どのようにすれば良いのでしょうか?」
 コスモの試すような微笑みがどこかの黒幕を彷彿とさせる。
「演技です。声で、削ったエピソードのぶんの関係性を匂わせるような表現をします」
「はい、大変よくできました」
「……」
 ちゃっかり言質をとられた。気付くだけでは不十分、実際に演技をこなしてこそ「よくできました」だろうに。まさに言うは易く行うは難しだ。持参したノートPCで脚本や上演スケジュールをまとめてlineグループに送信する。
「おーい特待生、そろそろ行くぞ」
 少し離れた場所から荒木が呼ぶ声が聞こえる。Re:Flyのメンバーは店主の厚意で海の家の客間に泊まることになった。明日の開店まで移動時間が省けるのは羨ましいが、さすがに特待生は荒木とともに合宿所に移動する。
「それにしてもなあ。結果的に合宿所まで二人きりで夜の海辺をドライブということだろう?」帝が眉根を寄せる。「『なあ特待生、少し海を見て行かないか?』『先生……。はい』夜のしじま、足裏には砂浜の感触、満天の星、しだいに近付く距離、打ち寄せる波の音、否が応でも高まるムード! そして二人は情動に抗えず……んぐっ!」
「下らねえことやってる暇があったらラップの練習しろっつの!」
 帝が即興インプロを演じている間、背後から迫っていた荒木が頭上にチョップを決める。
「才能の無駄遣い……」
「わかる……」
 
 体感的に長い一日だった。車窓から夜の海を眺めていると、ふいに荒木が車を停めた。
「俺に言いたいことがあるんだろ?」
 車を路肩に止めて二人で波打ち際を歩く。結局、いつもこの人の手のひらで踊らされているような気がする。学園公認ユニットの特別扱いやら、アルバイトについて直前まで知らせていなかったことや、こちらの乗り越えるべき課題を薄々見抜いた上で傍観していたこと。物申したいことは色々あるが、今日一日で得たことを振り返れば何も言い返せない。まだまだ不安定な自分たちが困難を乗り越えると信じてくれている。もしも失敗したときには彼が責任を背負うつもりだ。全てはそんな気がするという憶測だけれど、グラン・ユーフォリア関係の暗躍といい、冷静に見えてこの人も案外しょいこみ暴走系なのではなかろうか。無理はしないでほしい、原石のひしめく宝石が丘学園にはアレキサンドライトの輝きが必要なのだから。
「言いたいこと、なくなっちゃいました。今日の失敗を糧に明日は成長するつもりです」
「そりゃまた、模範解答だなあ」
 荒木が頻繁に「ダルい」と口にするのは、声優業と講師業をこなして実際に多忙なのが半分、もう半分は彼が優秀すぎることにあるのではないだろうか。生半可な課題は彼にとって退屈すぎるのかもしれない。潮風に揺れる柔らかそうな髪。月明かりが照らし出す端正な横顔に、神様はえこひいきが過ぎると溜息をつく。
「まーったく、帝のやつも何を心配してんだかな。おじさんだぞ? いや、若造だったかな」
「先生嫌いです……」
「ま、そういう展開がお望みなら付き合ってやらなくもないが」
 目を覗き込まれて、顎の下を指一本かすっただけ。はひゅっと息が漏れて特待生は固まってしまった。じわじわ顔に熱が集まってきている。若造を訂正して老獪とでも言ってやろうか、この人は本当に二十四歳なんだろうか。人生経験の差というチートを噛ませても全然追いつける気がしない。もちろん、荒木どころか宝石が丘の生徒たちに対してだって、多少長生きしたくらいで図々しく年長者ぶることはできない。ただ、ときには年相応の幼さを見せる生徒たちが微笑ましく思える瞬間があるのも事実。だから〝おじさん〟を自称する彼と、大人どうしとして対話してみたい気持ちもあったりするのに、今日も特待生は生徒役から抜け出せなかった。
「荒木先生はいつか痛い目に遭えばいいと思いまーす」
「ははは。痛い目に遭わせてみろよ、お前が」
 精一杯の負け惜しみもさらりと返されて特待生は唸る。あの一瞬で視線も声も別の男になった。時間をもらって役に入り込んでからのアドリブなら特待生もまあまあ得意だと思っているが、魔法のようにスイッチするこの境地に辿り着くまであとどのくらいだろう。伝説の祭典を「おもしろそう」と評する宝石たちに、荒木の魔法に、心に光を灯してくれる帝の声に追いつけますように。満天の星のきらめきを吸い込む気持ちで、特待生は大きく深呼吸した。

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