宝石の小枝

37

夏休みってなんだっけ。荒木の執務室に呼び出され校舎を歩く道中、特待生の心の声が漏れた。今思えば臨海学園など、まだ学生らしい夏だったという気すらしてくる。あと二ヶ月足らずでグラン・ユーフォリアがやってくる。勝手にやってきてくれるならありがたいが、当然そんなことはない。ただでさえギリギリのスケジュール調整にスキャンダル、仲違いと信頼回復、過去の調査などハードル特盛りセットで現在進行形なのだ。
 執務室に到着し、ドアをノックすると反応があった。荒木以外にすでに先客のいる気配がする。しかも、とてもよく聞き覚えのある声だ。
「早かったな」
 解錠の音とともに、荒木がドアから複雑な顔を覗かせた。隙間の向こうに見えるのは、Re:Flyの五人だ。
「あ、すみません。いったん出直しましょうか」
 特待生がそう言ったのには二つの理由がある。荒木が言ったとおり、五分ほど早く到着してしまったことと、できるなら顔を合わせたくない人物が先客だったことである。
「いや、入れ。元はと言えばRe:Flyの集合が遅い」
「先生、それは語弊があるぞ。バイト中にlineで連絡が入ったから、これでも汗だくで急いできたんだからな!」
「はいはい、それでいーよ」
 なんとなく、違和感。帝の声がやや芝居がかったように元気なのは、思い当たる節がある。荒木が気怠そうなのはいつものことだが、帝のブーイングを受けてあっさり引き下がったのは少し引っかかる。入室すると、背後でもう一度、ドアに鍵をかける音がした。
「今から話すことは機密事項だ。口外無用だぞ」
 荒木の声のボリュームが落ちた。これなら外からドアに耳をつけても聞き取れまいという程度の音量だ。それでいて聞き取りやすさが全く損なわれないのは流石スター声優と言うほかない。ものものしい雰囲気に特待生がつばを飲む音のほうが響いたかもしれない。
「要は仕事の話ですよね、先生?」
 コスモの声は普段通り泰然としている。「ああ、そうだ」荒木の返答に、コスモはにっこりとした笑みを特待生に向けた。
「不安がることはありませんよ。公式に発表されていない作品のキャスティングにはよくあることです」
「あ……そうなんですね。話には聞いていましたが」
「ええ、そうです。荒木先生、そんなに怖い顔では特待生さんが怯えてしまいますよ」
「うーい、すみませんでしたーっと。Re:Fly、特待生、お前たちに仕事が来ている」
 特待生は半分だけ胸をなで下ろした。特段悪い話ではなさそうだ。ただ荒木の、帝やコスモの軽口に対するノリがいつもと違うように感じるのだ。それだけが気にかかる。荒木がデスクの上にある封筒から紙束を取り出した。
「竹取物語をモチーフにしたアプリゲームだ。表向きは女性向けだが、月の民の地球侵略に立ち向かう、本格的なSLGの要素も持たせてある。男性ユーザへの波及を狙っている挑戦的な作品、とのことだ」
「竹取物語!」
 その一句に反応して、宙が目を輝かせる。続いて制作元の名前が読み上げられると
「めっちゃ大手じゃないすか!」
 志朗も驚いて声を上げた。Re:Flyでも驚くほどのクライアントということだ。
「声は控えめにな」
 荒木が軽く目配せをして、二年ズは苦笑しながらすみませんと謝った。年端もいかない頃からプロの声優として数年の経験、楽しいことばかりではなかったろうに、初々しさを失わない二人は、やたらと達観した三年生組とのバランスが絶妙だ。そういうところもRe:Flyの魅力だなあと、特待生は少しだけ微笑ましい気分になった。要件の続きを聞くまでは。
「オファーには条件がある。青柳帝がメインキャラクター〝ミカド〟を演じること……まあ、他のメインキャラも、どう見てもお前らの当て書きだがな」
 当て書きとは、演じる声優をあらかじめ決めておいてから書かれた脚本を意味する。
「もう一つの条件は、天音ひかりをヒロイン〝かぐや〟役とすることだ」
「えっ――」
「返答の期限はきっちり今月末、それがダメなら公開オーディションで募集する、だそうだ」
 2.5次元のエメ☆カレほどではないが、Re:Flyは顔出しやラジオ出演の機会がそれなりに多い。ファンの中で役柄を離れた声優個人のイメージが共有されているから、今回のような案件が発生するのだろう。だとしたら、余計に納得がいかない。
「私が、かぐや姫……ヒロインを?」
 荒木も含めて全員が沈黙している。彼らはみな心優しく善き人であるが、ここで特待生をおだて上げて励まし、うやむやにしようとはしない。制作元、共演者、規模。この春からトレーニングを始めた駆け出し声優には、あまりにも分不相応なキャスティングだ。
「当て書き」
 荒木が独り言のように呟いた。
「地球侵略を企てる月の民に対抗すべく立ち上がった地球人たちの旗印が〝かぐや〟だ」
 声が出ない。立ち尽くす特待生に変わり、帝が重苦しく口を開く。
「宝石が丘の廃校危機を救おうとする女神……」
「そういうことだ」
 手にした資料を棒状に丸めて、荒木はぺしぺしと手を叩いた。
「とんだ曲者案件だ。主要キャストはすべて宝石が丘学園在籍中、グラン・ユーフォリア復活から間もないタイミングで公式に制作発表、年末にアプリをリリース。俺が流した噂も、学園の危機を救う女神像としての特待生も、全て利用し尽くそうとしている」苦々しげな声はなおも続く。「成功すればこの学園の名声は飛躍的に上昇する。グラン・ユーフォリア単体の比じゃない。いい話でしょう? ってテイだよ」
「二兎を追う者は一兎も得ず。いくらなんでも失うものが大きすぎます」
 一同が揃って特待生に注目する。特待生自身も不思議なくらい、するりと言葉が出た。
「失敗すれば……仮にどちらかが成功しても効果は半減。宝石が丘の評価は上がりません。どちらも失敗したら大打撃。学園は……」
 それ以上を口にすることすら恐ろしい。ハイリスクにもほどがある。それに見合うハイリターンがあるとは到底思えない。
「そもそも、今の私の使命はグラン・ユーフォリアの成功です。入学したときから変わりません。私がオファーを蹴ってRe:Flyの皆さんのチャンスを潰してしまうのは、本当に申し訳なく思います。それでも作品自体の評価を下げるよりはましです。元が当て書きなら、Re:Flyの皆さんなら、公開オーディションでの合格も十分狙えます」
 そう、伝説の祭典が復興する日をずっと夢見てきた。だからこんなにもするすると喋ることができるのだ。特待生の軸はグラン・ユーフォリアにあり、ブレることはない。
「――わかった。今回のオファーは辞退する。特待生は戻っていいぞ。今ここで見聞きしたことは当然ながら誰にも喋るなよ? Re:Fly、オーディションを受けるつもりなら、お前たちはここに残れ」

「悔しいっす……特待生ちゃんに全部言わせて」
 結局、Re:Flyの五人全員が執務室に残った。志朗は拳を握りしめて悔恨に耐えている。この場の誰もがプロフェッショナルだからこそ「特待生ならやれる」などと無責任なおべっかを使ったりはしなかった。だが、厳しい現実を口にするのもためらわれた。
「そもそも現場経験だってまだ片手も行かないだろう? 新人と呼べるかさえ怪しい経歴で、オーディションなしでメインヒロインなんて、どれだけのバッシングがくるか」
 これで良かったんだ、と立夏は自らに言い聞かせるふうに語る。
「ええ、聡明な判断でした。さすがは、我らが特待生さんです」
 肩を落とすメンバーたちをフォローするように、柔らかな声音でコスモが続いた。僅かな苛立ちを隠しきれないことには、誰も気づかないふりをする。荒木がパンと手を打って場を引き締めた。
「湿っぽい話は仕舞いだ。お前ら全員、オーディション希望でいいんだな? そんじゃ、詳細を説明すんぞ」
 あらかじめ印刷されていたプリント数枚がメンバーに配られた。気持ちを切り替えて荒木の説明にふむふむと頷いていたRe:Flyだが、読み進めていったところで帝が「あっ」と声を上げる。
「どうした、帝」
「岩槻……岩槻桂。この音響監督」
「聞かない名前だ。この音監がどうかしたのか」
 プリントを掴んだ帝の手がわなわな震えている。
「荒木先生、おそらくこの人が特待生を指名した。宝石が丘のOBで、グラン・ユーフォリアの騒動にも詳しい。そして特待生の演技をひどく気に入っている」


 淹れたてのコーヒーと、シャワーを浴びた直後のシトラスの香りで目覚める朝。それがほぼ毎日続くことになろうとは、想像だにしなかった。
「おはようございます、荒木先生」
「ふぁ……はよ」
 日課の早朝ランニングも済ませ、きびきび爽やかに振る舞う彼女は、紛うことなき模範生だ。だからこちらは対称的に気怠げなポーズをとってしまう。物心ついて以来の性分で、深い理由はない。ベッドから出て、ローテーブルの前にあぐらをかく。コーヒーを啜りながら、今日までの進捗や課題点について報告を受ける。いつもの朝だ。
「MAISYのダンスなんですが、序盤はもう少しスローテンポのほうが、クライマックスが際立つかなって話をしていて――」
 普段通りの朝なのに、特待生の様子がどこかおかしい。報連相に没頭できないようで、ちらちら荒木の顔色を窺っている。
「いまいち、ですよね」
「は? 何がだ」
 シンプルに意味がわからない。
「コーヒー、今朝は蒸らしがうまくいかなくて……失敗作です。ごめんなさい」
「ふぅん?」
「だって、先生も少し変な顔してますし」
 そりゃお前が変なそぶりを見せてるからだよ、と指摘するのはやめておいた。自意識過剰気味になっていて、問い詰めてもないのに情緒不安定とバレるようなぼろを出す。つまりはコーヒーのドリップに集中できないような何かがあったということか。特待生は心理戦や駆け引きにはとんと不器用で、荒木側にだいぶアドバンテージがある。軽くつついてみるかと画策していると、ローテーブルの上で荒木のスマートフォンが光った。
「あ、すみません。盗み見るつもりはなかったんですけど」
 思わず二人とも注目してしまったスマートフォンには『スタミナが全回復しました』と通知が出ている。昨夜インストールしたばかりで設定変更を忘れていた。
「先生ってソシャゲやる方でしたっけ?」
「ある程度のトレンドは当然チェックしてるさ」
自身あるいは生徒たちが演じる可能性を考えれば、声優としても教師としても知っておく必要がある。事実、今回インストールしたアプリゲームには、特待生が声を当てたキャラクターがいる。レアリティが低いため比較的すんなり入手できたのは僥倖だった。
「お前が当てた声、よく出来てる。そのときの音監を覚えているか?」
「もちろん覚えています。初仕事でしたし忘れようがないんですけど、余裕がなさ過ぎて記憶の整理が……」
 特待生がうつむきながら回想にふける。あれはまだ五月初旬のこと。初めて学園外の収録スタジオに出向き、初めてギャランティの発生する仕事を経験した。特待生なりにあちこちから資料を引っ張り出して、求められるイメージを複数用意して……用意した引き出し以上のものを求められた。繰り返されるリテイク。しかも、一つのイメージに少しずつ近づけるのではなく、がらりと違うディレクションを何度も受けた。意図が読めない。物腰は丁寧だけど、ちょっとだけ、これは新人いびりというやつかもしれないと思った、などなど。
「荒木先生より無茶ぶりする人がいるんだって驚きました。荒木先生のレッスンを受けていなければ耐えられなかったかもしれません」
「ほぉ~? そりゃ、荒木先生とやらに感謝だなあ」
「いひゃいいひゃい!」
「よく伸びるな~、おじさんとは大違いだな~」
 ねちっこく嫌味を言いながら、左右の頬をつまんで引っ張った。
「そのときの無茶ぶり音監が、昨日のオファーの発端にいるらしい」
「ふぇっ……」
 特待生はほっぺたをさすりながらも、聞き捨てならないようで身を乗り出す。岩槻桂。荒木よりは年上で在学期間が被らなかったが、新進気鋭の音響監督だ。宝石が丘の卒業生でもある。
「そうなんですか。宝石が丘の出身者だなんて、知りませんでした」
「俺も初めて聞く名前だからな。声優としての代表作もこれといってないし、スタッフ側に回っての日も浅い」
 岩槻が手がけた作品を調べたところ、メジャーとは呼べないタイトルが多い。結果的にさほど名の知れていない声優を起用しがちだが、どれも良く仕上がっている。それらの功績があって、この春にはそれなりに人気のあるアプリゲーム、つまり特待生の初仕事で音響スタッフとして起用されたのだろう。SNSの口コミも盛んなこの時代、何を契機にか火がついて、一気に名が売れてもおかしくない。
「でだ。その岩槻という男が、つい最近、帝と話をしたみたいでな」
帝から聞いた話をなぞらえる形で特待生にも伝える。昨日の新作ゲーム案件は、帝の話とつじつまが合いすぎた。すでに作品の青写真があるような言いぶり。帝の声と演技に注目しており、それ以上に特待生に異様な興味を見せていたと。
「つまりお前は当て書きの話題性〝だけ〟で選ばれたわけじゃない。岩槻という音監に実力を買われている。たしかに気後れしてもおかしくない仕事だが、本当に辞退でいいのか」
 もしも特待生が廃校危機を救う使命を帯びていなければ、挑戦したかったに違いない。彼女みずから申し出て身を引かせたばかりなのに、酷な問いかけをしている自覚はある。それでももう一度答えを聞いてみたかった。目線の揺らぎを見逃さないよう、しっかり凝視する。特待生はマグカップに手を伸ばしかけて引っ込め、ローテーブルの上で拳を握った。
「……まず、私が新たな予定を入れるとすると、スケジュールの大幅な見直しが必要です。グラン・ユーフォリアのために、これまでユニットが続けてきた活動を減らしてもらうのは、違うじゃないですか。特に、MAISYの放課後パフォーマンスやエメ☆カレの週末公演は、ユニットのアイデンティティと呼んで差し支えないものです」
 Prid'sは個人でもユニットでも引っ張りだこ。Hot-BloodやRe:Flyも似たような動きだ。それぞれレギュラーの仕事があり、針穴に糸を通すようなスケジュールを組んでいるのに、新たに特待生が予定を入れる隙間などない。そこまで口にして、特待生は縋るような目で荒木を見上げた。
「もし、仮に……仮にですよ? 私がオファーを受けさせていただくとしたら、高卒資格は諦めて、レッスン系の授業も喫緊のもの以外は来年度以降に……。当然、留年も視野に入ります」
 昨日の今日でそこまで考えていた、か。執務室では未練なんて微塵も感じさせなかったくせに、やっぱり引きずってやがった。荒木の胸の内は、嬉しいような不憫なような、複雑な思いで満たされる。
「それでも成功できる保証はないんですよね。廃校になったら留年どころの話ではなくて、私個人で償えるような損失じゃない」
「お前が償う必要はない。そもそも何も手を打たなければ、廃校は免れなかった」
「煌介さんとあかりさんはきっと反対せずに応援してくださるけど、〝娘〟として後ろめたいです。娘じゃないんですけどね、いちおう名目上の話として」
 特待生はすべてを振り払うように、強くかぶりを振った。
「みんなが一つになって、全部決まって、やっと見いだした成功への道なんですよ。だからやっぱり、辞退一択です」
「そうか……わかった。蒸し返して悪かったな」
「いえ。あ、そのゲーム、私の担当キャラけっこう使い勝手がいいんですよ。よろしくお願いしまーす」
 駆け引きは苦手だが、こうやって茶を濁すのはまあまあ巧くなったか。いつもの朝の空気を取り戻して彼女は部屋を出ていった。
「……帝のやつ、何やってんだよ」
 諸悪の根源は荒木自身だと自覚していてもなお、毒づいてしまう。彼女が泣きつくなら自分か帝が第一候補なはずなのだ。
「お前にすべてを背負わせる気はない、と言ったのにな。くそっ!」
 自分の振りまいた噂が更に利用されるのは想定外だった。特待生を利用した自分が言えた義理ではない。ぽつぽつと彼女に来ていた仕事は荒木の流した噂でゼロになった。ガヤでさえ「女声は間に合っているので……」とやんわり断られる始末。注目株のゲームメーカーからサンプルボイスの問い合わせがあって、浮かれた矢先にこのザマというわけだ。

「千紘、七緒。二人とも揃ってるな? 練習熱心なのは結構なことだが休息も取れよ」
「はーい。荒木先生、おやすみなさい」
「おやすみなさい、冴さん」
 消灯時間の見回り業務。ここの部屋のやつらは素直な返事とは裏腹に、夜中まで練習していることが多いから侮れないな、などと思案しながら廊下を歩く。残りは荒木の隣室だ。一呼吸置いて三○七号室のドアをノックする。
「特待生、起きてるかー?」
隣人は最近になって特に、机に突っ伏して寝落ちしていることが多い。一人部屋が災いしているのだが同室になれる生徒がいるはずもなく、マスターキーで入室した荒木が起こしてやったことも幾度かある。
「はい、起きてます。荒木先生、お疲れ様です」
 今夜は素直に出てきた、が「先生、少しだけ」と部屋着姿で手を引かれて面食らう。やましいところは全くないにしても、マスターキーで入るのとはまた違う緊張感を覚えた。
「どうした、改まって」
 腰を下ろすでもなく、フローリングに二人で向かい合って立った。
「先生。もし、……もしその岩槻さんが私を評価してくださっているというのなら、こういう交渉はありなのか、先生のご意見を伺いたくて」
 特待生の奇策を一通り聞いて、荒木は頭を抱えた。
「やっぱりだめ、ですよね。あは、あはは」
「ビビりのくせに、よくそんなん思いついたな」
 ようやく甘えて弱音を吐いてくるんじゃないか、と微々たる期待をした自分が馬鹿だった。彼女は時折、こうやって荒木の想像もつかない提案をぶち上げてくるのだ。駆け引きの巧みさなどお構いなしに。
「お前の案を採用するかどうかはともかく……やるって決めたんだな?」
「やりたいです」
 既視感のある眼差し。ユニットの賛同を得るだけでいいと言ったのに、全校集会を開いて全生徒を巻き込むと言い出したときだ。頼んだ以上のことを背負い込む前例はすでにあったのだ、と荒木は天を仰いだ。

 翌日、荒木は岩槻桂に接触を試みた。オファーの正式な返答先ではなく、岩槻個人に。互いに多忙な身ではあるのだが、奇跡的に電話をつなぐことができた。突然に連絡した非礼をを詫びて、単刀直入に「今回のオファーの真意は何か」を尋ねた。彼に直接連絡を取る時点で向こうも意図は理解しているはずだ。
「なるほど、天音さんは今回のオファーは分不相応とご自分でおっしゃっていると。ふむ、そうですか……。ああ、まず真意についてでしたね」
通話相手に動揺は見えない。流暢で滑舌も良く、あえて感情を読みづらいトーンは、やはり宝石が丘学園の出身者というところだ。
「いわゆる〝非公式コラボ〟とでもとらえていただければ。これはオフレコになりますが、私も宝石が丘学園の卒業生ですから、母校の凋落を食い止めるため何か役に立てればという下心はあります」
「ええ、青柳から聞きました。それと、天音にご興味がおありだと」
「そうです。今回のシナリオは天音さんが演じてこそ、と意気込んでおりましたから。まさか辞退されるとは、残念でなりません」
「私も、いち教師として非常に残念です……」
 荒木のほうは、岩槻に同調する形で沈痛の感情をたっぷりと声に乗せる。岩槻がグランユーフォリアと救世主を利用しようとしているならこちらにも考えがある。
『考えたんですけど……グラン・ユーフォリアが不発に終われば、あちらのゲームの話題性も引きずられて落ちますよね。それなら、グランユーフォリア成功最優先の収録スケジュールを組ませてください、とお願いするのはどうでしょうか……あは、やっぱりだめ、ですよね』
 相当に危険な駆け引きだ。ひよっこ声優未満から願い出るレベルの提案ではない。
「無礼を承知でお願い事があります。母校を救いたいお気持ちがあるのなら、うちの天音を買ってくださるのなら、できる限りグラン・ユーフォリアのスケジュール最優先に収録スケジュールを組ませてください。最終的に、彼ら彼女らが演じるゲームにも箔がつきます」
 荒木冴は宝石が丘学園の講師で、国民的スター声優だ。自分が願い出たことにすればいい、無傷では済まなくとも。
「そういえば、失礼なこととは存じますが……スキャンダルの発信元は荒木冴さんという噂を耳にしました。それほどまでにグラン・ユーフォリアの成功を願われているのだとしたら、まったく辻褄が合いませんね。まあ、あくまで噂ですから」
「事実です。グラン・ユーフォリアに注目を集めるため、すべては私が仕組みました。それも〝燃料〟に使っていただいて構いません、天音に一切の非がないことを合わせて広めてくださるのなら」
「なるほど、なるほど。天音さんのためなら汚れ役も厭わないと。彼女への熱量は互いに一致しているようですね」
 うきうきと弾むような通話先の声に、たしかな手応えがあった。

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